見出し画像

山本夜羽音先生の一周忌ミサで聞いたカトリック浅草教会での晴佐久神父の話

そもそもキリスト教に「一周忌」なんて概念があるのか?分からない。でも去年の春に夜羽音先生が死んでから一年が立って、浅草のカトリック教会で追悼があるらしいと聞いて信仰もないのに行ってみることにしたんだ。カトリック浅草教会。まるでイメージがわかない。まあ去年追悼ミサをやった高円寺教会だって寺なのか教会なのかよくわからない名前になっていたわけだが。

同じ3月でも去年の高円寺教会は雪が降るという恐ろしい寒さだったが、今年の浅草カトリック教会は暖かった。道がわからず遅刻して教会についたのだけど、教会のスタッフが寛容にミサに迎え入れてくれた。さすがクリスチャンである。真言密教なら滝壺に放りこまれているところだ。

ミサにはたぶん、夜羽音先生の親族や友人たちが少なくない人数で来ていたのかもしれないが、オフラインでは誰にも名乗らないし誰にも会わない人間なので、誰が誰なのか分からないままミサの後方に混じった。

晴佐久神父は去年高円寺教会で夜羽音先生の追悼ミサを担当した人だと思う。僕が入った時にはもう晴佐久神父の話は始まっていたので、その前にどんな話があったのかは分からない。しかし途中からではあるが晴佐久神父が話していたのは、とにかく山本夜羽音(とは呼ばず本名で読んでいた気もする)という人は色々失敗もしたし金は返さないしロクでもないこともやらかしたが、息をするように自然に孤独な弱い個人の味方であり、数や力に物を言わせる強者が嫌いだった、という話だった。反体制、という古臭い言葉を、そんな言葉が死語になった時代を生きた山本夜羽音と近い世代であるはずの晴佐久神父はあえて使っていたと思う。カトリック教会の日曜のミサの真ん中で、あえてキリスト教の天敵であるところの左翼のボキャブラリーを使いながら、晴佐久神父は袴田事件の冤罪について語り(そのミサの段階では検察はまだ控訴を断念する前だった)入国管理局で行われている人権侵害について語り、そして統一教会の問題について語った。それは我々カトリックは正統であり統一教会は異端だ、という話ではなく、組織というものは一定の数を超えて肥大化すると(比喩的な意味での)悪霊が宿るのです、というような話だった。あくりょうではなくあくれい、と晴佐久神父は発音していたと思うが、なんとなくそれは宗教というよりドストエフスキーの文学を思わせる話だった。悪は我々の中にあり、組織という力そのものが常に力学としての悪に乗っ取られうるのだ、という晴佐久神父の話は、かつて村上春樹がイスラエルの文学賞でスピーチした「壁と卵」の比喩をなんとなく思い出させた。

その日の聖書の引用はイエスが安息日に人を助ける有名な話だったのだけど、それは宗教という人を守るルールがいつしか人を縛るものになり、イエスという人物は言うまでもなくキリスト教という西洋文明の根幹をなす思想を作った一方、変質した宗教や戒律を打ち破る破戒者であり、反宗教者でもあったというパラドックスを語っているように思えた。それはマルクス主義者でありカトリックの洗礼を受けたクリスチャンでありポルノ作家でもあるという、本来はここから重要な仕事をする直前に死んでしまった山本夜羽音という複雑な作家についての正確な批評であり、友人としての弔辞にも思えた。

それはとても優れた説教であったと思う。海外の映画を見るとハーレムの黒人神父が教会で歌ったり、ものすごくグルーヴのある説教で神の愛を説いたりしているが、そういう文化は日本にもあるのだなと思えた。

カトリック浅草教会には、地元の外国人たちが何人もミサに参加していた。ベトナム、中国系、ヒスパニック系、そして欧米白人と、日本の中で暮らす外国人たちが集まり、情報を交換するコミュニティとしての機能を持ち始めているようにも思えた。

ミサが終わり、浅草の街を歩いて帰りながら、山本夜羽音という人は僕が思うよりずっとキリスト教と晴佐久神父に影響を受けていたんだなと考えていた。晴佐久神父が夜羽音先生に影響を与えたのか、あるいは夜羽音先生が晴佐久神父に影響を与えたのか、その両方なのかは分からない。でも若き日に懺悔室の代わりにジーンズメイトの試着室で山本夜羽音の告解を聞き、キリスト者として迎え入れたという逸話を思い返しながら、浅草の春の午後を歩いて帰った。



ここから先は

353字
絵やイラスト、身の回りのプライベートなこと、それからむやみにネットで拡散したくない作品への苦言なども個々に書きたいと思います。

七草日記

¥500 / 月

絵やマンガなどの創作物、WEB記事やTwitterに書ききれなかったこと。あとは映画やいろいろな作品について、ネタバレを含むのでTwitt…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?