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占い師の友達事情 

みなさんは大人になって友達はできましたか?職場で出会う人、趣味のコミュニティで出会う人、子供の教育現場で出会う人。大人になってからも色々な人と出会います。子供の頃のように友達は遊びの場だけでなく、うれしい時も悲しい時も報告したり、困ったら助け合ったり、人生の最期を共有したり、関係性も深く複雑になっていきます。大人の友達事情。これは子供の頃とは全く違う人間関係だと私は思うのです。

占い師と友達

私は占い師をしています。だから、年間100人以上のはじめましての人とお話をする機会をいただいています。そのすべてとお友達になるのかと言われるとそんなことはなくて、あくまで鑑定師とお客様という立場であることから一線を越えて友達になることはないのが現状です。
実際問題、私がお客様から、普段も会うようになり、私がこの人は友達だと思っている人は7年間で2人だけ。これはきっとかなり少ないのだと思います。
逆に、他の場所で出会い、友達になってから鑑定するパターンはとても多く、私の友人関係の中で、鑑定を受けていない人はほとんどいないというのが現状です。とてもありがたい話ですが、みなさんちゃんとお金も払ってくれて、必要な時はリピートもしてくれるのです。
この「友達を占う」について、占い師になりたての頃はずいぶん悩みました。占い師を職業にしたとき、だんだんと周りに伝わっていったのですが「ちょっと占ってよ!」なんていわれることがあったからです。そして、今は離れてしまった人たちですが、鑑定を通して「友達になったように見える人」も周り現れたのです。

さんりんくう

さんりんくうとは、仏教の言葉で「三輪空」と書きます。私はこの言葉を守護霊に教えてもらいました。白昼夢という形で教えられたこの言葉は、当時友達を占うことについて悩んでいた私の心を晴らす言葉となりました。
三輪空とは、「私が」「誰々に」「何々してやった」という3つの心を忘れるという教えで見返りを求める心を捨てなさいということです。
白昼夢は時々現れます。いつも驚くほど鮮明に夢が目の前に現れ、今のリアルな景色と白昼夢の境目が分からなくなるほどのものなのですが、その日は運転中に「りんくう」と荷台に大きく書かれたトラックが横切るような映像でした。本当に一瞬の出来事ですが、その現実にはないにも関わらず、はっきりとした映像に驚いていると、今度は「仏語」と聞こえてきたのです。
そこで、走らせていた車を近くのお店に停車させ、「りんくう 仏語」でGoogle検索してみると、「さんりんくう」という言葉にたどり着いたのです。
私はすぐにピンときました。これは悩む私に神様がくれたメッセージだと。守護霊にお礼を言って、さっそく、考えてみます。
友達が占いを求めてくるとき。いつもの私なら、予約を取って、お金を払ってくれている人がいる以上、気安く占って結果を伝えてはならないと考え、自分の意見を言うようにする。そうすると「それって占ったの?」と聞かれてしまう。「私の意見だよ」と伝えると、微妙な空気が流れてしまう。という流れを「私が」「友達を」「無料で占ってあげた」ということを忘れるということにしてみる。そうすると何となく、合点がいったような気持になり、以降友達を占ったりすることに抵抗をしなくなったのです。

去り行く友たち

占い師になってから友達になったと思った人を私はずいぶん失いました。失ったという言葉を使うということは、私は友達に執着をしていたことになります。そう。私は占い師である自分を認めてほしいとか、必要としてほしいとか、知らず知らずのうちに求め、友達をいうものに執着をしていたのです。友達は自分の所有物ではないので失いません。お客様も所有物ではないので失いません。お客様には執着しないのに友達には執着していたのは、なぜでしょうか。それはやはり、誰しもが持っている承認欲求でしょう。誰かに承認してほしいという気持ち。私も人並みにそれを持ち、発揮していたことになります。
占い師になってからは、経営者の方と知り合ったり、個人で素敵な活動をしている人に出会ったりする機会も増えました。今までアルバイト主婦としていたころには出会えなかった、キラキラした人たちとの出会いに、私は圧倒されていました。慣れない人たちとの交流にどうしていいかわからなかった私は、尊敬できると思った人にはその気持ちのまま接しましたし、憧れを抱くような人たちには憧れの念を込めて接していました。
ですが、それはつまり、自分を「下の人間」として位置付ける態度だったと思ます。
段々と仲良くなっていき、一緒に食事に行ったり、活動をお手伝いさせてもらったりする中で、私は尊敬の念を持ったまま、憧れを抱いたまま、意識変革もなく過ごしていましたし、三輪空の教え通り、簡単に自分の能力を発揮していました。そうしているうちに、尊敬できる人も憧れて大好きだった人も離れていくという現象が起きたのです。
そして、10年来付き合っていた友人にLINEも何もかもブロックされるということまで起きてしまったのです。

どうせ嫉妬という逃げ

友人を失うたびにそれなりに傷つきます。いつも通り連絡して、相手がつれない態度を取り、何度も誘いを断られるとき。SNSが外されていた時。挨拶をしたのに無視されるとき。本当に胸が締め付けられますし、悲しい思いも広がります。はっきりとここがダメとか嫌いとか言ってくれる人は誰一人としていません。でもどうしても答えが欲しいのです。悪いところがあれば直すし、リベンジの機会も欲しいと考えますが、離れていった人はご縁の切れた人。理由なんて知る由もないところに行ってしまったのです。
結局何が悪いのかわからないのは、私が相談する人も一緒です。
「嫉妬したんじゃない」と誰かが言い、「あなたは占い師としても能力は高いし、できる人だから、嫉妬したのよ」ということを言われ、無理やり納得させにかかります。ですが、私は全く納得できません。「私なんかより素晴らしい人が私に嫉妬するはずがない」これがいつもの私の言い分です。そう。嫉妬しているというのは、ただの逃げです。嫉妬の炎に燃えて、人間関係が崩れるなど、占い師をしていてもほとんど出会いません。恋愛の初期においての男女関係トラブルではあることですが、じつはカップル以外の第三者が嫉妬するのではなく、相手の見えない敵に勝手に嫉妬して関係が悪化するパターンがほとんどです。嫉妬という感情は、執着も伴いますから、離れていく友人関係においてはあまり発生しないと考えるのが普通です。

上か下かの関係

友達と思っていた人を失い、しかもその現象が何度も起きていることに気が付いた私は、これは何だろうと思考を始めました。もう、大切な人を失いたくないし、変わるべきは自分だと気付いたからです。そしてたどり着いた答えは上か下かの関係は崩れてしまうということでした。
これまでの私は「私なんかより」という変な下の姿勢で行く割に、占いの結果には絶大なる自信を持っていて「守護霊の言うとおり」と絶対的な言葉として伝えることがありました。そうすると「下の人間からの上からの助言」という下克上が発生してしまいます。
さらに友達という関係の中で、ただ相談をしているのに、鑑定の時のように結果を指し示し、こうするべきという強い態度を取っていたのです。
占い師としてなら、鑑定を受ける人はお金を払って、未来や結果を見てもらい、アドバイスをもらうという占い師と客という関係が成立しています。
ですが、友人関係に鑑定を持ち込んでしまうと、占い師と客という関係性でもなければ、友人同士という関係性でもなくなってしまうということに気が付いたのです。
そして、知らず知らずのうちに、人は自分より上か下かという判断を下しているということにも気が付きました。
人間関係において、上下関係があってうまくいくパターンは限られています。それに、人としては上も下もありませんので、上下関係でうまくいっているところは人としては対等だけど、年や立場が違うから区別しているという暗黙の均衡も保たれているように感じます。
私は、自ら下に位置付け、その後、上から行くという暴挙を繰り広げていたことになります。そして、去った人たちは、人として私を下だと認定したということかもしれません。下の人間は下にいなければならないし、上の人間は下に行ってはならないのです。
これは鑑定師としても言えて、私はアドバイスをする立場なので、お客様より占いのことをわかっていないといけないし、お客様に下から相談を持ち掛けてもいけません。占い師が自信がなくて、しどろもどろだと信用も何もありませんから。
占い師としての態度は何となく合っていたようですが、友達として位置づけが間違っていたから、私は友人を失ってしまっていたのでしょう。これ以外に、対等な関係だった友人に、占い師として頼まれてもないのにアドバイスをして、上から行ってしまったパターンもあります。

常に対等な関係が健全な人間関係

友達でも家族でもカップルでも、人間関係は対等でなければ成立しません。そもそも人に上も下もないのですから、自ら下に行くこともありませんし、上から目線で相手を威圧することもしなくていいのです。その立場に自ら行ったた時点でその関係は終わりへと向かってしまうのかもしれません。知らず知らずに、自分の自信のなさや、虚栄心などで、人間関係の均衡を崩してしまうことはよくあることです。ですが、常に対等であり、上も下もないというお互いの認識が人間関係を良好に保っている秘訣なのかもしれませんね。
私は本当に急に何の覚悟も知識もなく占い師になってしまったのだなと、最近になって考えます。友人を占うことに悩むことも今はありません。占い師であることを忘れてしまえばいいことに気付いたからです。占い師顔で上から目線でものを言うことがいかに浅ましいか今ならわかるからです。そうすることで、占いを本当にしてほしい人はちゃんと予約を取ってくれるし、関係性が崩れてしまうことも恐れなくなりました。いい意味でプロ意識が目覚めたのかもしれません。今よりずっと未熟だった私は、占い師であることに自信もなければ、プロ意識なんてあるわけもなく、人を羨んだり、自分を下げたり、そうかと思えば求めてもない占いをし始めたり。本当にめちゃくちゃでした。少し学んで、少しずつ大人になっていく自分を感じています。いくつになっても学びは必要ですし、経験しないと分からないことばかりです。今は去ってしまったご縁に感謝しながら、新しいご縁を引き寄せるべく、これからも成長し続けたいと思います。

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