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#001 理解

一瞬の生まれたつながりののち、
お互いがお互いをもっと知りたくなった。

お互いの本質までとことんさらけ出して、
知れば知るほどお互いがお互いのことをどんどん理解できなくて、
全くもってわかりあえない。
毎日のようにどんだけ言い合いになって、
しまいには「嫌い」になって離れるしかもう道がなくて、
連絡を絶った人がいる。

あんなに仲が良かったふたりだったのに、
急な態度に周りがびっくりするくらいに
ずっと
「嫌い」「会いたくない」を突き通して、
会うのを拒絶していた私。

とあることをきっかけに再会し、少し会話をしたことで、
氷が解けるかのように雪解けをはじめた。

先日、たまたま誕生日だったのを思い出して、メールをしてみた。
ちなみにメールするのは2年ぶり。
(本当に忘れたころにメールするわたし)

出会ったころのやさしさがそこにあって、
ちょっと泣きそうになった。


私、ずっと嫌いになっていたんだよ?

なんでそんな優しい言葉かけができるのさ?

社交辞令だったかもしれないけど、
最近そんな優しさが身にしみる。

10年以上経った今わかることは、
いくら相手のことを考えていたとはいえ、
私が~私が~と自分本位しか考えられていなかったんだなってこと。

極限の余裕のない状態で、相手を理解できない中で、
なんとか関係を維持していたのは日々の信頼関係故だったこと。

こんなに嫌いになったのに、
自分が嫌いでいた時期にも、ずっと私の生活を気にかけてくれて、
今でも変わらぬ優しさを与えてくれる今の状況。

あの頃と何も変わってない。

本当に私は支えられていたんだなと思う。

あの1年のやりとりがあったから、
もしかしたらあの一瞬の生まれたつながりがあったから、
こんなにわかりあえなくても、
それでもお互いがお互いを理解しようとし続けていたあの1年は、
多分私にとっても相手にとっても無駄じゃなかったと思いたい。

最近ちゃんと大切にしたい思いというのは
ちゃんと相手に伝えるようにしたいと心がけている。

もし、どこかで会えることがあったら、
ちゃんと面と向かって「ありがとう」が言えますように・・・。



・・・・・・・・

2013年の思い出から転記しました。
あれから結局会えぬままでいますが、
この間、その人の誕生日だったなぁとふと思いだしました。

「あなたのことをもっと知りたい」をお互いが持ち、
遠慮なく、お互い深く知ろうとできた。
最後はお互いがお互いを理解できなくて、
別の道を歩むしかできなかったその人のお陰で
人間みんなが同じ考え方の人なんかいないんだということを
学んだ懐かしい思い出です。


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