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#002 キャッチボールの終わり

キャッチボールをしていた。
最初は小さなボールから、そのうちだんだん大きなボールへ。

ボールが投げられない時にもあったりもしたけれど、
「そのうちボールまた投げるよ~」と言う気持ちが残っていて、
また投げてきたり。

相手からはすごくあったかいボールもあってそれがとっても嬉しかったり、
時にはなんだか変な形のものも投げられてきたけれど、
「お、今度は変な形が送られて来たぞ」と笑いながら、
それも楽しいな、面白いな、って思えたし
こんなボールだったら相手が喜んでくれるかな?とボールを返していた。


ある日相手はいつものようにボールを投げようとして、ふと投げる手を止めてしまった。
自分の変な形のボールに気がついて、
これを投げることはおかしいだろうと気がついたようだった。


相手はボールを投げることをやめた。


「そもそもあなたとキャッチボールすること自体おかしいだろ?」

相手はそう言い、もうあなたにはボールは投げない、と冷静にいった。

「ねえねえ、またボール投げしようよ。
君のボールが小さなボールなのか、変な形のボールなのか、
どんな形のボールでも、うけとれるようになりたいからさ」

そう伝えようとしたけれど、
伝える前に相手はシャッターを下ろしてしまった。

手には大きな形も、変な形も受け止められるように作られたグローブが残されていた。
あのあたたかい感触のボールも、
変な形のボールですら既にくぼみになり、自分には必要だと思っていた。


たとえば、キャッチボール以外にも卓球をすればよかったかもしれない。

たとえば、「こんな変な形のボール、おかしいからやめてよ」って素直に言えば良かったかもしれない。

それでも、君とのキャッチボールがあまりにも楽しくて、居心地のよいものになっていて、
いつの間にかキャッチボールがメインの生活になっていた。

それでも楽しかったから嫌な気持ちは全くなかった。


「また小さなキャッチボールから始めようよ。」

そうは思ったとしてももう伝える手段がなくなってしまった。

ガラガラとシャッターの閉まった相手に、どう伝えようか。

もう伝わらないなと諦めるべきだろうけど、なかなかあきらめきれなくて。

グローブ自体を外してまた新しいものを着け替えることすらできなくて、
「キャッチボール」は相手がいなきゃできないのに。
今はただ、突然の終了宣言に泣くこともできなくて、
唇を噛んで、君のシャッターが開くのをただひたすらじっと扉の前で待っている。

せめて、
「楽しいキャッチボールをありがとう。」
それだけでも伝えたい。



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こちらも、2013年に書き留めた文章。
今日読み返してみて、こちらにも残してみることにしました。

キャッチボールといえば、伊藤守著「この気持ち伝えたい」という絵本。
私にとっては大切な本でもあり、座右の銘でもあります。
ちょっと影響を受けて、私も似たようなテイストで書いてみました。

今は、
シャッターが開いたときに、心を込めてキャッチボールをしています。
速いボールは投げられません。のんびりとしたキャッチボールです。
もちろんシャッター閉じたままのときにはボールは投げられません。
だから、
相手からのボールがへんてこりんでも、返すボールには愛をこめて。

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