「ルックバック」についてのレビュー

過去にルックバックについて語った文章です。我ながら結構好きな文章なのでnoteに残しておこうと思います。
一部、実際の事件や災害について言及し解釈を述べる部分がありますので苦手な方は読むことをお勧めしません。
大学の課題として書いたものを読みやすいように一部改変して投稿しております。完全なる個人の主観と解釈、そして作品を全肯定するような文章ですが、ぜひ「ふーん」くらいの気持ちで気軽に読んでみてください。


藤本タツキは短編集「17−21」の後書きに東日本大震災についての記憶を述べている。
こんな大きな震災が起こっているのに自分は絵を描いていていいのか、と思いボランティアに行ったが、一日中行われた作業も成果は乏しく無力感に襲われて帰ったと言う話だ。そしてそこからずっとその無力感は付き纏い、悲しい事件があるたびに自分のやっていることがなんの役にも立たないと言う感覚が大きくなっていった、と。
(これは私の解釈からの要約なので、ぜひ短編集を購入して確認してもらいたい)
そしてそこから生まれたのがルックバックだ。

藤本先生の言う悲しい事件、には京都アニメーションの事件も含まれていたと言うことは「ルックバック」を読めば語るまでもなく、それを踏まえた上でこの作品は彼が至った一つの結論を提示しているように感じた。それは「結局描くことしかできない」ということだ。

藤本先生は周りのいろんな人から「漫画家になれてよかったね」と言われることが多いと言うエピソードがある。そのほかにも漫画や絵、それらに対する彼の姿勢などにまつわる逸話は多く存在する。それほど彼にとって漫画という存在は大きかったのだと思う。
「ルックバック」は何度も主人公を描く姿が後ろからえがかれる。この後ろ姿がこの作品の全てを表しているのではないかと私は思う。理不尽に人が殺される。震災で多くの人が犠牲になる。ああ、自分があの時こうしていれば。いくら例えの話をしようと、それでも結局自分には「描くということ」しかできない。そういったやるせない思いを一つの着地点としたのではないか。それは諦めのようにも感じられるし、やっぱり執着のように感じられる。

私はこの作品が高く評価される点の一つに、話の展開があげられると思う。この作品はとうとう最後まで彼女たちを救うような言葉も、、全てを丸く収めるようなストーリーも用意されない。またこの作品を読む私たちを納得させるようなセリフを藤野が吐いてくれることもない。私たちは傍観者として彼女がただ「描く」という姿を眺めることしかできない。その理不尽とやるせなさがこの作品が人々を惹きつける理由なのだと思う。

この漫画は特別秀逸なストーリーというわけでも、歴史に残るような名台詞があるわけでもない。ただ、藤本タツキの思いと、彼が描く一コマ一コマに全てが込められている。この作品は藤本タツキが感じた色々な感情が生み出した彼自身の作品としか言いようのない名作だ。

⚠︎この文章は2022年ごろに書いた文章です。