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ひとり旅日記北欧周辺へ22日目:アンネ・フランクの家見学と博物館&美術館めぐり。

2017年1/20アムステルダム2日目。

オンライン予約してたアンネの家9時に間に合うように、早起きして共有スペースで朝食。時間に余裕があったから、明日のブリュッセルへの移動手段確保しようと調べたら、高速鉄道タリス82ユーロ、バスは11ユーロ。バスの方が1時間余計にかかるけど、この金額差はデカイ。しかしiPadでバス予約は難儀した。何回やっても、別に必要なさそうな誕生日情報入力しようにも数字が入力できない。1時間格闘したが、ムリ!アンネの家に間に合わなくなる!

部屋に戻ったら2人とも起きてた。バスの件話したら、Mちゃんがスマホ貸してくれた。誕生日入力できた!で、最後クレジットカード情報入力したら、NG。エポスカード使ったら、ネットパスワードとかワケわからんことが画面に表示された。もうイイ加減出発せんとならん時間。化粧どころでなく、ボロボロの格好でアンネの家に行くことになってしまった…。

宿でもらった地図を頼りに歩いて、教会を目印にしたが、方向とか合ってるのか念の為人に聞いとこうと思った。9時10分前。ちょうど家から出てきたおじさんにアンネの家はどこか聞いたら、右に曲がって教会の近くと教えてくれた。右に曲がったら、遠目では見えてた教会が見えない。このまままっすぐ??曲がった通りにいたお姉さんに、「たぶんこの近くとは思うんだけど、アンネの家どこでしょう?」と聞いたら、「このまままっすぐよ!」と教えてくれた。少し行くと並んでる人たちが見えた。9:05着。予約表には9:00-9:15と幅があったから間に合った。朝からハード…。

2年前の独ダッハウでナチスが一番最初に作った強制収容所を訪れ、去年はアウシュビッツ、そして今年はアンネの家にやっと来られた。お父さんオットーさんの1979年の肉声映像や援助者ミープさんの「フランク一家を助けたのは、人として当然のことをした」というインタビューを見ながら、唯一そのまま残したという隠れ家への階段に向かった。階段をカモフラージュする為の本棚があり、その後ろの階段を上った。住人がいなくなっても、物は残って黙ってただそこにあって、時が流れても、自分を含む見学者達に何かを語りかけてると思った。

オットーさんがラジオを聴きながら戦況を記した地図、アンネとお姉さんのマルゴットが背を測った跡が壁紙にそのまま残っていたのには涙が出そうになった。不自由な隠れ家生活の中でも、そこに確かに彼らの日常があって、アンネが存在していたんだ。と、本で読んだアンネの日記やストックホルムでたまたまやってたアンネの展示で事前に知った事と、今日見学して実際に感じることは、切なさの度合いが全く違うと思った。ストックホルムの展示で知った、米国に行く道が断たれた事はアンネの日記にも恐らく書いてあったと思うけど、アンネの家で日記の書き抜きで「米国に行くのが生き延びる最後の機会」の様な事が壁にあったのを見て、改めて、日本が独と同盟を組んでたから、米vs独の構図にもなってしまって、アンネの人生が狂ってしまった事を、日本人として本当に申し訳ないと思った。

別の書き抜きで、「アンネの日記を出版するの!」とあって、オットーさんが、「アンネが日記を書いてることは知ってたが、絶対に見ないで!と言われてたから中身は知りませんでした。アンネの日記を読んで、彼女の年頃の内面がよくわかって驚きました」の様なこともインタビューで語ってた。日記を通して、アンネの本音を知ったオットーさんは、アンネの夢を叶えるために出版社を探して、世にアンネの存在を知らせた。一家を失った絶望の中で、隠れ家の様子を展示したりと、オットーさんは辛い状況の中で後世の為にご尽力されたと思うと、また涙が出た。

オットーさんは、実際に住んでた頃のままを展示するのではなく、あえて空っぽのままに展示する事で、虐殺された何百万人もの命を伝えられるからと語ってた。空虚を示す。ってことなのかな。

ペーターと空を眺めた屋根裏。アンネが殺風景だからと写真や切り抜きを貼った壁はそのまま残されていた。ここで彼らは確かに生きてたんだ。1.5時間かけてゆっくり見学した。

一度宿に戻り、昼食がてら違うバス会社でブリュッセル行きを予約して、再出発。

午後イチまずはバッグミュージアムへ。1600年~のバッグの展示とともに、各国王室の方々が使ったバッグの特別展もやってた。Sex and the city のキャリーが持ったというカップケーキバッグ、ヒラリー・クリントンの猫バッグ、鉄の女サッチャーさんのバッグ、別名武器、マドンナのエビータプレミア試写会の時のバッグ…etc。バッグ大好きな自分にはとっても興味深い展示だった。自分が好き!と思ったのはビーズのバッグ。可愛かった。ラブレターケースってのが存在した時代があったんだ!そういうのをわざわざ作って持ち歩いたんだ~。大事なものだったんだろうね。

日本発つ前に行ったマリー・アントワネット展で、処刑前でもフェルゼンへの熱い想いを書き連ねたラブレターを思い出した。やっぱ、ケースないとダメな時代だったのかな?相手変わっても同じの使うのかな…。

2時間かかって見終わって、15:30。国立美術館とゴッホ美術館どっちに行こうか迷ったが、今日はゴッホにしよう。国立は17:30までだからゆっくり見られないだろうし。

ゴッホ。良かった。有名なひまわりは言うことないけど、あやめは自分の心に来た。紫の花と黄色の背景。美しかった。浮世絵の影響受けた作品の漢字は写して描いただろうその漢字の最後の一文字の跳ねに、「オレ、漢字書き切ったゼ!」という彼の心意気を感じた(笑)。

ゴッホは自画像でしか顔を知らなかったけど、美術館では19歳の頃の写真があって、わりとフツーの青年に見えた。ゴッホさん。自画像多いのは友達いなくて、モデルいなかったのかな…。と思ってしまうくらい自画像多かった。シャレコウベとかコウモリとか意外!と思うものも描いてたんだ…。5月の爽やか新緑のも心に来た。ミュージアムショップで心に来たあやめと新緑、そしてパンクチックなシャレコウベのポストカード買った。このショップに日本と書いた表紙の塗り絵が売ってたからめくってみたけど、一部台湾か香港か分からないけど、繋体漢字があった…。間違った日本の塗り絵は売らないで。マジ誤解はカンベン。最後日本人チェック入って商品にしたのかな…。

宿に戻る前に激しくポテトを食べたくなり、フェリー乗り場と宿の間にあるポテト屋で買って食べた。部屋に戻って、メイちゃんとしゃべって、夕飯残り半分のサラダパックと卵3個茹でて、そのうちの一つをみそ汁に投入して夕飯終了。

アムス最後の夜ってことで、Yさんと24時までおしゃべり。最後にメアド交換した。

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