好きに主張していればいい

社会に出て分かったことは、善し悪しは別として主張の強い人間が強いということだ。
むしろ、主張の強い人間が言うことが正しい、という認識になる。

自己主張が、昔から苦手だった。
就活でもグループディスカッションのある会社の選考はすぐ落ちた。
人の話を聞いていたら時間は終わり、私はただその時間中にこにこ座って終わった。
同様に話さなくても、立ち回りの上手い子は最初に「書記」という役割をさりげなく獲得し、「周りの意見を聞いてまとめる調整役」という美味しいポジションを得ていた。
私には、その器用さも無かった。

唯一グループディスカッションがあり、内定が出たのが今の会社だった。
不思議なことに、私以外のディスカッションメンバーは全員内定者にはいなかった。
出る杭は打たれるというか、そういう社風だったからだろう。

しかし、そんな会社の中でも主張の強い弱いはある。
なんなら、社外の人間に主張を通すより、社内の人間に主張を通すほうがより厄介だ。
社外の人間関係なら会って年数回だが、同じ会社だと最悪毎日やり取りをする。

上司や他部署が何かと言う。こちらの事情も知らないで。
部下が何かと言う。私はそんな仕事がしたいんじゃない、限界だ。と。

効率が悪いから遅いのだと言ったあなたの、事務処理を一手に受けていたのは誰だった?
業務量が限界だと言ったあなたは、私より遅く帰ることはあったか?

私は言いたくても、言ったところで現状どうにもならないから、粛々と日々をこなしているじゃないか。


なんというか、虚無。


主張の強い人たちよ、私はあえて何も言わない。
私は私の仕事をする。少なくとも、人より他人の仕事はしている。でも言わない。

私がいずれいなくなる時に。
私は特に大変だとも手間だとも言わず、黙って引き継ごう。さも何でもないことのように。
そうやっていずれ、ツケを払えばいい。


そういうことだけ、最近考えている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?