第三の反抗期「仕事なんてクソ」。そして、今。
新卒で3年間務めた会社を退職するとき、当時の上司からこんなことを言われた。
「入社したてのころ、『かっこいいキャリアウーマンになりたいです!』とキラキラした目で宣言していた姿は忘れられないよ」
上司に言われるまで、当の本人はすっかり忘れていたことだった。
なんだか小っ恥ずかしい気持ちになって、私は強引に話題を変えた。
--
大学を卒業して社会人になるころの私の夢は、”かっこいいキャリアウーマンになること”でした。雪深い田舎で生まれ育った私にとって、日本の中心・東京で働くことは何よりの憧れだったのです。
でもそんな思いも、いつしか消え去っていたのでした。
社会の荒波に揉まれ、汚い現実も知り、働く意味といえば「生活するため」。
ただそれだけになっていました。
かっこいいキャリアウーマンになりたかったんだっけ
冒頭の上司の言葉をふと思い出したのは、人生の新たな挑戦に向けて動きはじめた最近のことでした。
どうして私はかっこいいキャリアウーマンになりたかったんだろう。
私が想像するかっこいいキャリアウーマンって、なんだったっけ。
あのころ頭に思い描いていたキャリアウーマンは、いつも笑顔で生き生きと仕事をしていました。私は、そんな風になりたかったらしい。
それじゃあ実際、これまでの私はどんな風だったのか。
満員電車でイライラしながら通勤し、誰とも目を合わさず形だけの挨拶をする。猫背で1日中ぼーっとパソコンを眺め、定時を過ぎれば「みんなが残っているせいで帰りづらい」とまたイライラ。
思い描いていたキャリアウーマンとは、1ミリも重なってはいませんでした。
でも仕事なんて本当はそういうもので、夢見ていた自分はおこちゃまだったのだと、短い社会人経験から(偉そうにも)悟ったのでした。
だから上司にあの話を掘り返されたとき、小っ恥ずかしく感じたのです。
あの頃はまだ若かったんだ。今はもうそんなんじゃない、と。
失くしたはずの憧れ
そう。夢見る自分は世間知らずのおこちゃまだったと、悟ったはずでした。
でも日常の中でふと気がつくと、生き生きと働いている大人を羨ましそうに見ている自分は、そう悟ったあともずっと存在していたのです。
商品についてなんでも知ってる店員さん、親身になって髪型の相談にのってくれる美容師さん、一般人は聞いたこともない原料の話で盛り上がる開発課の社員と取引先。
こういう人たちを見てなんとなく、いいなぁと感じる心。
ー あれ?これってあの頃の憧れと同じじゃないの?
消えていなかったのです。
「好きを仕事したい」を念頭に新たな一歩をふみだした私ですが、今思えばその根本にあったのは、あのキャリアウーマンの姿でした。
仕事は生活するために仕方なくするものだなんて、誰が決めたんだ。いつしかそう思い込んでいたけれど。
世界が汚いんじゃない、私のメガネが汚れていたんだ。
やっぱり、私もあんな風に働きたい。
--
宝くじが当たったら一生働いてなんかやらないし、仕事を頑張っても給料が上がらないのなら、バレないようにサボったほうが得。仕事なんてクソだ。食べていくために仕方なくやっているだけ。
こんな風に思って勝手に世の中を恨んでいた数ヶ月前までの自分の姿を、私は第三の反抗期と呼ぶことにした。
今となってはこっちのほうが、よっぽど小っ恥ずかしいや。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?