自由 ≒ 不自由
自由は実は、不自由だ。
そう思うことがある。
なぜって?
自由といっても完全に自由じゃないでしょ?
いくら自由でも生活するために働かなきゃならないし、
働くという事は、ある程度社会に合わせて適合して、決められた不自由さのの中で生きなければならないでしょ。
そりゃ大金持ちで一生働かなくていい人は、かぎりなく自由に生きれるかもしれないけど、そんなごく一部の大金持ちの話なんてしても、うちらには関係ないからしてもしょうがなくない?
でね、大金持ちじゃないけれど仮に自分が完全に自由だったとする。
その場合でも、行動を共にしたい仲間が自由じゃないと、縛りがあって不自由な思いをしたりする。
かといって、1人は寂しいみたいな。
だから、自由を手に入れるを突き詰めると、どうしても孤独に到達するのかなぁ・・・なんて思ったりするよね。
自由を求める → 孤独へ
逆に
孤独になる → 自由が得られる
みたいな感じかな。
あと、自由が本当に幸せかどうかって、よくわからない。
いざ自由になってみると、案外しばらくすると、ある程度の不自由さが恋しくなりそうな気がする。
自由にしていいよって言われても、つい不自由さを選択してしまうみたいな。
なんだろう。
例えば、原稿用紙に自由に書いてくださいと言われても、なにかテーマを与えて貰わないと書けないとか。
自由にと言われても、依頼者の期待するものを察して書かないと評価されないとか。
要は、これまで不自由さの中で生きてきて、不自由さが身に沁み込んでしまっているから、不自由さが落ち着くんじゃないかな。
だから、自由なんだけど、自由に不自由さを選択するみたいな。
ちょっと話が哲学的な感じになってきましたけどねw
言いたいのは、自由って案外自由じゃないよねーっていうことと、自由でも自ら不自由を求めてしまうよねーってこと。
何かを得れば、何かを失う。
我々が住む世界は、そんな風にできている気がする。
さて、ここからは少し話がぴゅーんと飛ぶけれど、もう少しお付き合いくだい。
「BASTARD -バスタード暗黒の破壊神-」って漫画知っていますか?
(説明するとnote 10000字を超えそうなので、一言でいうと魔道士が主人公のエロティックファンタージーです。←ざっくり)
この作者が、1988年から連載を始めたのだけれども、けっこう自由に休載しながら書いていて、連載が27巻で止まってる状態です。
で、前巻の27巻が発売されたのは2012年3月で、もう8年近く経っている。
けれど、28巻を待ち望んでいる読者やファンが根強くいる。
事実上の連載終了状態にもかかわらずに。
自由って考えた時に、こういう自由なんだけど人から求められるような人になりたいなぁと真っ先に思い浮かぶ。
「自由」と「孤独」の狭間に、「求められる」をそっと加えたものを。
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