なにもできないのだけれど

今年の3月、坂本龍一さんが亡くなった日にnoteを書いて、ずっと下書きにしていたので勢いで投稿しちゃう。さっき書いた記事と逆のことを言ってて面白い〜

高橋幸宏さん、大江健三郎さんの死去に続く悲しいニュース。

一つの時代を創ったといっても過言ではない人物の訃報が、2023年になってここまで続くと、何か大きなものを喪失してしまったような気分になる。

お二方が生み出したものの偉大さを、私は半分も理解できていないように思う。例えば、『飼育』のすばらしさを今すぐに説明してと言われても、私にはあの作品を読み終えた時に感じる得も言われぬ凄まじさを伝えられる知識と経験が無い(既に「得も言われぬ」と形容してしまっている)。しかし、その恐怖すら感じさせる才能と知性は、圧倒的なものとしての安心感も一方で与えてくれる。閉塞感でいっぱいの社会では、その存在がもう有難いし、そういった人たちはしばしば「いや、そんな社会ではダメだ」と先陣を切って声を上げてくれることすらある。考えたくもないニュースを見て、モヤモヤしているときに聞くその声はとても頼もしい。どうにかなるんじゃないか?というか、どうにかしてくれるんじゃないか?と思ってしまう。

でも、そんな恐るべき才能を持った人たちでさえ老いや病からはちゃんと逃れられない。だからそういった人達の作品は美しいのかもしれないけれど、凡庸な私からすればそれはとても不安だ。頼れる人が少しずついなくなってしまう。それなのに、毎日息が詰まってしまいそうな事ばかりが否応なしに降りかかってくる。良くないものの蓄積が一気に爆発してしまいそうな雰囲気を感じる。多分、自分たちでどうにかするしかないんだろうな。今度は自分たちが時代をつくっていく番だ、なんて恐れ多くて口にはできないけれど、社会の0.000000001%くらいは良くしたい。

こんな短い文章すら私は満足に書くことができない。このモヤモヤをちゃんと(少なくともその半分くらいは)表現できるだけの言葉を持ち合わせていないのだ。また間に合わなかったと後悔する。しかし、今回の訃報のように、自身の考えを示さなければいけないタイミングは本当に突然訪れる。その時のためにやはり学ぶことだけはやめたくない。それはとても苦しいけど。





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