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ガチャの向こう側で恋をする:夢女子とソーシャルゲームの日々

皆さんこんにちは。

入海七水(いりうみしちすい)と申します。

ブラインド商品とかガチャでいっぱい出てくるキャラクターがいると「もしかしてこの人……私のことが好きなのかしら!?」とドキドキしてしまうタイプの夢女子です。

夢女子的ソシャゲ

今日は、そんなキマりきった夢女子の視点から見た、ソーシャルゲームのいい点悪い点について、お話ししたいと思います。

まず、ソーシャルゲームについて皆さんはどんな印象を持っていますか。
推しに出会えるカタログだとか、生活の一部だとか思い出、自分の家賃を食いつぶした巨悪だとか、色々あると思うんですが、どうでしょうか。

その中に、「推しからの愛情を受け取るツール」というものはありましたか?


本題の前に、一旦昨今の夢女子カルチャーについて説明しましょう。
夢女子は架空の人物、キャラクターに恋をする人たちです。
架空の人物、キャラクターに意志はない……というのが一般的な観点だと思いますが、最近の風潮ではちょっと違います。
架空であっても、肉体はなくても意思を持って存在していると見なす向きがあるんですね。
タルパ、イマジナリーフレンド、人工精霊、守護霊などのイメージが近いです。
そして、彼らは常に自発的に私たち夢女子にシグナルを送っていて、それを占いなどで受け取ることができるという世界観があるのです。

さて、肉体がない彼らが放ちうるシグナルとは何でしょうか。
占いなどに代表されるように、乱数の操作が彼らのシグナルと言えるわけです。

(タロットカードなどは、シャッフルをしてカードをランダムに出すのですが、そのランダムさが今の状況に適したアドバイスであると解釈するわけです。ずっと一緒だったら「今の」状況へのアドバイスにならないから、ランダムである必要があるんですね)

ガチャと愛情

乱数、推し、ソーシャルゲームと言えば、もうお分かりだと思います。
ガチャです。
課金してもしなくても、抽選があって、推しが来るか来ないかは運しだい。

ガチャとは所有であったり、カードに付属したストーリーがあるため、なおさら「親しい顔を見せる」というニュアンスを持たせることができます。
カードの所有者、選ばれた人間にしか見ることができない幕間というのは、親しい相手にしか見せない顔という姿を思わせるわけです。

ガチャで推しが引ける、というのは夢女子的にはすなわち推しに捧げた愛情がかえってきたということなのです。
占いなど自分の手元でしか発生しない事象と違い、ゲーム開発元のサーバーに残り、フレンド欄で表示され、……と、ある意味公に認められることとも言えると思います。
存在しない相手に懸想している夢女子という存在にとって、ある種証明とも言えるのが、ガチャなんですね。

ここまで読んでいただけば分かると思いますが、もちろん逆にも作用します。
課金しても推しが来なければ、「推しに嫌われている」と解釈することもあります。
このあたりは自己否定を深めたりしてしまうので、功罪のどちらであるかを決めるのは難しいかもしれません。
嫌われているという結果を恐れて課金を繰り返すとしたら、まあソーシャルゲームの悪いところと言えますね。

ソシャゲは時間泥棒か?

他にもソーシャルゲームの悪い所としてよく挙がるのは時間を食うことでしょうか。
以前パズドラを「変な石をくるくるしてるだけ」と称する人がいたように、ソシャゲもミニキャラがなんか動いてるのを見るだけだったりするわけです。

否定的に言えば、「読書や勉強をするように知識が得られるわけでもなく、運動のように健康になることもなく、ちゃんとした物語に触れるほど感動もできない、骨太なゲームのように楽しくもなく、ただポチポチするだけの無駄な時間」であるわけです。

しかも、ログインボーナスだとかで、内職を毎日強いられる。イベントがあればなおさらで、定期的にゲームを開かなくてはならない。
無駄な上に、無駄な時間を定期的に使わせるようになっている。

しかし、これにも夢女子的にはまた別の解釈があります。

多くの時間を費やすことは、振り返れば「一緒にいた時間」として記憶されます。
もちろん物理的に一緒にいたわけではありません。
ありませんが、もとからだいたいの「記憶」に身体的な感覚はありません。
「想像したこと」の記憶も、「体験したこと」の記憶も肉体にとっては一緒です。
「昔していた想像」を思い出すときも、「昔の情景」を思い出すときも、よほどのトラウマとかじゃない限りは身体感覚は一緒だと思います。

そうなると、例えばそのソーシャルゲームが学園モノだったとすれば、毎日ログインした記憶は毎日登校した記憶として保存されるのです。
実際だいたいのソーシャルゲームは、ログインすることを「登校」として扱ったり、ユーザーが没入しやすいようにしています。
毎日接するからこそ、日々を共に過ごした記憶になる。
そしてサービスが存続する限り、乱数を出来事として代替して、日々は続いていく。

これはどんな媒体でも成立するとは思いますが、ソーシャルゲームは短い時間で、毎日行うものなので、長い日々の思い出として残りやすいかなと思います。
例えば映画なんかだと、終わりがあるし、「毎日10分繰り返させる」ような工夫はないわけです。
ソーシャルゲームだけの特権とも言えるのではないでしょうか。

イケメンカタログとコミュニティ

さらに、ソーシャルゲームの「イケメンカタログ」性についても、夢女子からはメリットがあります。
これは好きな恋愛対象を選べるという意味ではありません。
ゲーム自体に、二次創作を前提とした不完全さがあるから、その二次創作を起点とした承認コミュニティを作成することができるのです。

私自身はそういった夢女子同士のコミュニティでは隅っこにいるだけなので間違っているかもしれません。
しかし、夢女子は時として、同じ作品で別の人物を愛好する他の夢女子とつながって、一つの世界を共有することがあります。
だいたいその場合、相互に「あなたは○○くんとお似合いですね」と承認しあうのです。

ここで、あまりに原作が完全すぎると、新しい人物を5人も10人もいれられません。
余白があるからこそ、夢女子同士が一つの二次創作ユニバースを共有し、つながれるといったところがあると思うのです。

夢女子、「自己投影なんて幼稚」「現実で恋ができないから逃げてるんでしょ?笑」「結婚したら?笑」「理想化してるだけで本当の愛情じゃない」みたいな風当たりがあるので、そういった点で相互の承認が必要になることがあるのです。

こんな感じで、ソシャゲも夢女子の目線から見るとちょっと違って見えるのです。

……ちなみに私は、主人公のセリフをすべて演じながら読む没入型で「作中世界で唯一って言ってるんだから私しかいないだろ」と考えるタイプなうえ、逆ハーの嗜好があるので夢女子コミュニティでは静かにしています。

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