見出し画像

エッセイ「その子守唄に耳を澄ませたい」


 「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」。中学の頃。机の上で国語の教科書を見るともなしに眺めていると、母が後ろから覗き込んできた。この世に数多くある詩の中で、これが一番好きだと言った。ちなみに母の故郷は隣町であり、バスで三十分ぐらいの道のり。例えばどんなに近くたって、簡単には帰れないものなのよ…。そのような会話をしているうちに、この二行から静かに染み入るような慕わしさと寂しさとが、少しずつ感じられてくるような気がした。

 いつも気丈で明るい母も、このような切ない懐旧の想いを抱くのだと小さな驚きに似た気持ちが息子の心にあった。この詩句を通して室生犀星の存在を、強く意識するようになった。やがて二十歳前ぐらいから詩を熱心に書き始めるようになり、いわゆる近代詩人たちの作品を貪るようにして読み始める。萩原朔太郎の世界にまず惹かれた。彼の随筆などを読むと、詩友の犀星といかに影響を互いに及ぼし合っていたのかについて良く分かった。

 それから朔太郎と共に犀星の詩集を持ち歩くようになった。詩作のためのノートと一緒に。気がつけばそれから二十数年があっという間に過ぎてしまったのだ。あらためて読み耽ってみると、書きはじめの頃に心が動いたものに目が止まる。詩作の感性のありようの原点のようなものを、あらためて教わっている気がする。

 「我は張り詰めたる氷を愛す/斯る切なき思ひを愛す/我はその虹のごとく輝けるを見たり/斯る花にあらざる花を愛す」(「切なき思ひぞ知る」)。氷の世界が簡潔に鮮やかに描かれていて、文語の調子がなおそれを彫刻のように浮き上がらせている。心が向かう一つの対象を凝視して、その意味の根源を問い続けようとする透徹した眼の力を感じることのできる詩だ。

 「我は氷の奥にあるものに同感す、/その剣のごときものの中にある熱情を感ず、」。「奥」にあるものとは何か。研ぎ澄まされている冷徹で鋭い内部世界のそこに。そこには「剣」に譬えられるかのような鋭さと厳しさとがある。これはなお永遠にそこにある詩人の「熱情」そのものなのかもしれない。零度の冷気のようなものを帯びてたたずむ、隠された炎のごとき感情。冷たさと熱さの二律背反の調子を伴って、常に新鮮なものを読む私たちの心に満たそうとする。同詩集「鶴」におさめられている「行ふべきもの」という作品の中に「詩よ亡ぶるなかれ、/わが死にし後も詩よ生きてあれ。」と歌われてあるように、その時代のみならず後世へと向けて詩の確立を試みた意志が、氷の中に閉じ込められた炎となってこちらに肉迫してくるかのようである。

 このフレーズのある作品も何度も味わったものだった。「雪がふると子守唄がきこえる/これは永い間のわたしのならはしだ」(「子守唄」)。これを読むと切ない思いにかられた。犀星には幼い頃から母が居なかった。しかし不思議に雪の降る日には、どこからともなくきいたことのない節で聞こえてくるという場面である。犀星はむしろ、いつもそれを耳にしていたのではあるまいか。例えばそれが、しいいと鳴く蝉やこおろぎの鳴き声になったり、寺の庭に鳴る鐘の音になったり、白魚の眼になったりしたのではあるまいか。そのことを感じさせてくれるかのような息遣いがある。

 「私はふと心をすまして/その晩も椎の実が屋根の上に/時を置いて撥かれる音をきいた/まるで礫を遠くから打つたやうに/侘しく雨戸をも叩くことがあつた」(「初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと」)。この詩句は父を亡くした後に郷里から住まいに戻ってきて、夜に書物を閉じながら自分の残りの生涯を文学でなお生きていこうと、心に決める詩である。私はこれらの作品の内容に入っていく出だしの、「椎の実」の存在になぜだか惹かれるのである。母から教わった〈染み入るような慕わしさと寂しさ〉が、ここで木の実に成り代わっている気がするのだ。

 彼が描く生物や植物の影、人や故郷、都会の景観。時に、どうして寂しいのか。それはそれらが、様々な不在の象徴だからではないだろうか。犀星の世界には在、不在の交代がいつもある。私は福島にて震災を経験して後、家族などの遺品を大切にしている人々と出会うことが多い。物を通してこの世に居ない人の姿に思いを馳せている姿があった。あらためて犀星の作品を読み返しながら、詩とは何かを問うてみる。言い知れない寂寞さと向き合い、それを胸にしてそれでもこれからを生きていくという心のありかが、それを宿していくのかもしれない。 

    

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?