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エッセイ「駅から駅へ」

 横並び。私の右側では、大学生らしい若者が二人、何も語らずに席に座っている。一言も言葉を交わしていない。すぐ隣の彼は「ティファニーで朝食を」を熟読し始めて。もう一人はスマホで「ぷよぷよ」を熱心にやり始めた。いつまでも会話はない。

 しばらくすると本から顔を離して、少しだけ首をかたむけてきっぱりと言った。「ガム食べる?」「いらない」。そしてまた二人は、押し黙ったままでそれぞれの世界に没入していった。両者の沈黙は、同じ場所へ行くのだということを、硬く約束しているかのようである。学生時代の仲の良かった友の顔がいくつか浮かんだ。

 通路を間にして、斜め前では朝から実験の話に夢中だ。やはり男同士の姿がある。朝の七時前だというのに、熱心な真顔の会話が続く。このまま実験室へとなだれこむのだろうか。向う岸は熱い。川ならぬ通路をはさんで、例えば彼らからこちらを眺めると、隣の無言の学生たちと私とは対岸で初めから消えている火という感じだろうか。あれこれと思っているうちに、母校の福島大学に隣接する金谷川駅に到着し、また出発。

 いつも進行方向の一番前の車両に乗り込む。転勤して電車通勤となった昨年の初日の、四月一日からそのように決めている。運転席のすぐ近くの座席に腰かける。窓に金谷川の景色が映ると、二十数年前の通学の風景の記憶が必ず過ぎる。すごいものである。このように体に刻まれているのだ。それをずっと眠らせているだけなのだ。なるほど。何かを忘れてしまうということは、消えてしまうのではない、〈眠らせている〉だけなのだ。向うの彼らは降りて行った。こちらの二人は無言で座ったままだ。後輩ではなかったことが分かった。

 気がつくと車内は満員になっている。窓を眺めると、桜が満開になっている。通勤客に紛れて、遠くからお花見に来られた方がいらっしゃるのだ。ここから恐らくは、三春の滝桜などの名所に行くのであろう。郡山で乗り換えて最寄りの駅へ、そこからどうやって行くのかナ…、混雑していなければおよそ一時間とちょっとぐらいで現地の近くまでたどりつけるのではないか。朝の始発なのだが、早起きは気にならないというご年配のご夫婦や友だち同士の姿が特に多く見受けられる。 

 リュックを背負ったウキウキしている人々と、通勤の疲れでいびきをかいている、やはりご高齢のサラリーマンの姿が並んでいる。袖触り合うのも多生の縁。全く違う人生を生きていて、隣同士に座って、また大きく分かれていく人々。一人は春爛漫の世界へ。もう一人は書類の積みあがっている机へ(予想)。

 始発の車内を見回すと、私と同じように仕事へと出かける父親たちの姿。様々な人たちの顔を眺める。知らない人ばかり。交わることのないあらゆる暮らしを乗せて、目的地へと連なる車内は、いわば一つの社会の縮図である。車窓の朝焼けを眺めながら、一つ一つの風景を座ったままで、通り過ぎていく不思議さを想う。乗り込む人、降りていく影に紛れていると、自分の人生はこんなふうに一瞬のうちに何かに混ざり込み、通過し、途中で降りていくことの繰り返しなのだろうかと考え込む。なんともなしに大切な駅のホームを過ぎていってしまうかのような人生。

 出発から到着の駅を移動することの連続の中を生きているが、一つのところに集まり、離れていく私たちの行為自体が、これら離合集散の瞬間そのものが…、〈駅〉と呼べるものなのではないかと思う。このように別々の行く先を抱えながら、始発の電車という運命共同体を共にして、そして散らばっていく。私たちはたったいま電車に揺られているのではない、〈駅〉が内包している想像に座ってそこから別のそこへと運ばれているのだ。常連客を除けば、この時だけでもう二度と会うことがない人間がほとんどである。なんだかまじまじといろいろな人の顔を見つめる。不審者と思われてしまいそうである。

 祖母はいわゆるマンウォッチングが好きだった。いろんな人の様子を観察するのが面白いと良く私に話していた。膝を痛めるようになって、病院や駅の待合室に車で迎えに行くと、私を待って椅子に腰を下ろしながら、人混みの中でよくきょろきょろとしていた。ああ、またやっているな、とちょっと吹き出しそうになったものだった。

 そういえばついこの間、知り合いになったばかりのある男性に趣味を尋ねた。「マンウォッチング」と答えが返って来た時は、思わず「私の祖母と同じですね」と切り返してしまった。彼はいくら観察しても飽きないとさらに語った。人通りが良くみえる窓のある喫茶店に行き、珈琲を幾杯も重ねながら、時を過ごすのだそうである。うっとりと語るその姿に、「お店としては、迷惑な客のリストに入ってるかもしれませんね」と言い合って笑った。

 祖母も迎えに行くと「いくら観察しても飽きない」と同じようなことを口にしていたものだった。私の行動が遅くて、いつも待たせてしまっていた。私を気遣ってそんなことを言っているのかもしれないと、どこかで思っていた。

 祖母が他界して、しばらくして時が経った後、駅に用事があり出かけた。思わずいつもの癖で、その姿を探してしまったことがあった。改札口の前にたたずんでいた懐かしい姿が浮かんで、ふっと寂しさと笑みとがこぼれた。

 こんなふうにして、旅立っていくときに、きょろきょろと見知らぬ人たちをやはり眺めたのだろうか。今度は私の迎えを待たずに、列車に乗って行ってしまったんだとはっきりと分かった。

 そう思ったこの瞬間が、心の中に強く刻まれていたことを最近になって知った。改札を抜ける日々を送るようになって、ほんの一瞬だけれど、祖母を亡くしたばかりの時が浮かぶ。別れの悲しみとは、決して消えるものではないのだ。時間をかけて〈眠らせている〉だけなのだ。そんなふうに気づきながら、満員電車に今日も揺られている。

 うららかな春の訪れを感じると心は弾むものなのにに、震災後は空や風の感じで当時のことを感覚的に思い出してしまう方が多いのではないだろうか。

 神戸へと時折に出かけることが多くなった。知り合いも増えた。初めは神戸女学院大学の講演会に招いていただいたことがきっけだった。しばらくして、神戸と福島とをつなぐ合唱組曲の作詞の依頼を、兵庫県合唱連盟からいただいた。

 あれこれと机に向かって構想を練った。街並みを思い浮かべた。住まいの近くには踏切があり、書斎に座っているとふと電車の過ぎていく音が聞こえた。講演後に女学院大の先生方のご厚意で、地震で失われてしまった建物の写真を眺めながら、新しい街をじっくりと歩いた時の記憶を思いだした。これは貨物列車の音だ…。まっすぐに敷かれてある神戸と福島とを結ぶ鉄路を想像してみた。ある方から教えていただいたアメリカの先住民の言が浮かんだ。「私たちの心と肉体は魂の乗り物だ」と。

 春を前にして先日、いろいろと書斎の片付けをしていた。私の祖父は戦争の終りにシベリアで抑留されてしまい、その地で亡くなった。彼が残した二〇歳の頃の日記を、本棚の引き出しの奥にしまってあるのを確かめた。開いてみると一日一枚、しっかりと書かれてあるのが分かる。文学青年だった様子で、詩の断片を見つけることも出来る。頁のそれぞれに存在のぬくもりを確かめている。ここにまた言葉という〈乗り物〉……、というイメージも加わった。 

 神戸のみなさんからも積極的に話を聞くようになった。家族を失って、二〇年が経っても、震災を昨日のことのように考えるとおっしゃる方が多い。向かい合っていると、その方が生きていらっしゃった時の命を、より深く感じる。姿は見えなくても、人を偲んで語っていらっしゃる眼に、親しい人の強い存在の明かりが、はっきりと見える気がするのだ。

 阪神淡路大震災の歳月につながりたい。互いの喪失を共に慈しみ、悲しみを育てたい。詩という〈乗り物〉で、何かを時の岸辺へと運びたいという本能のようなものから、この気持ちはやって来ていると気づく。駅のホームで朝の電車を待って、通り過ぎた長い貨物列車の影をまなざして、こんなふうに、まずノートに歌詞の最初を書き出してみる。

 

 駅から駅へ 

 ずっと走っていく 

 したたかで

 あきらめない

 長さと強さがある

 あなたはいつも

 新しい荷物を運んでいます

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