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君たちが明日の“ヒカリ”だ 輝き続けてくれ



めちゃくちゃ久々の更新になりました。
そのうえ 今回は夫とのエピソードではなく、私の人生に彩りを与えてくれた 大好きで大好きで愛おしい存在である“関ジャ二∞”についての記事になります。








 『関ジャ二∞』というグループ名が無くなることが決まってからのここ数ヶ月、私は古い記憶を思い返しながら 彼らを好きになったきっかけを思い出していた。


2005年、中学3年生のときに仲良くなった友達(当時デビュー前のKATーTUN亀梨くん担当)から 毎日ジャニーズについて布教活動をされていた私。


元々は 小学2年生のときにV6の長野くんのファンだったこともあって、お小遣いでアイドル誌を買い漁っていたので 当時関西ジャニーズJr.だった 関ジャ二∞の面々はうっすら認識はしていたのだけれど、メンバーの中で顔と名前が一致するのが半数といった低い認知度だったので、来る日も来る日も登校するとなりに机の上に広げたアイドル誌を見せられて「じゃあ彼の名前は?」「メンバーカラーは何色?」とスパルタ教育を受ける毎日に 少し戸惑いを感じていた。




そんな日々が2ヶ月ほど経った頃、そんな彼女がおもむろに関ジャ二∞が載った見開きページを指さして「この中で一番好きな子は誰?」と言った旨の質問を投げかけてきた。


いやいやいや、私 まだ名前と顔が一致したレベルなのに好きとか分からないよ。
と内心思いながら 公園らしき場所に8人がずらーっと並んだページをまじまじと見つめ、「丸山くん、かな?」と答えたのがすべての始まりだった。




生まれたばかりのヒナ鳥が 初めて見る存在を親と思い込むのと同じように、一度“好き”だと認識してしまった私は そこからのめり込むように関ジャ二∞を、そして丸山隆平さんを右肩上がりに好きになるのは一瞬だった。





そこから 早19年。
そのあと少しだけ別のジャンルにハマり、関ジャ二∞への応援の熱量が薄れたこともあったけれど、私は自分の人生の半分以上を関ジャ二∞が大好きだという熱苦しいほどに強い気持ちを抱いたまま生きてきた。


書きたいこと、綴りたいことが たくさんあるのに その19年を上手くまとめられるほどの文章力を持ち合わせていない自分を歯痒く思う。
頭の中で浮かんだ言葉をスラスラと書き綴ることが出来る機械があれば、きっと 広辞苑一冊分でもまだ足りないほどの想いが溢れ出るだろう。



それほどまでに大好きで、大好きという言葉だけじゃ足りないくらいに 関ジャ二∞を愛している。
この気持ちだけは揺らぐことがない。

生きている中で味わった 様々な辛く悲しい出来事も、このまま消えてしまいたいと願った思いも、すべて関ジャ二∞が私の“ヒカリ”であり続けてくれたから 今まで曲がりなりにも生きて来られたの。






そんな関ジャ二∞が 明日2024年2月4日より新しいグループ名へと屋号を変える。


メンバー自身が、そして共に歩んできたeighter(関ジャ二∞のファンの愛称)が 大切に大切に愛してきたグループ名での活動を終えてしまう。


こんなに辛いことがあるのだろうか、と改名前夜のこの時間にですら 悔しくてやるせなくて涙が出る。
寂しいだけじゃ足りない。このまま関ジャ二∞という名前でキラキラと笑う彼らを 未来永劫応援し続けていたかった。コンサートのラストで彼らとeighterの私たちでグループ名を叫ぶ、あの尊い時間がとても幸せだった。

でも、もう『関ジャ二∞』では無くなってしまう。





けれど、先日の生放送の番組の中で 新しいグループ名での活動を正解にする!早く活動したい!と強い意志のある眼差しで語った彼らを見て、私も 共に一歩を踏み出したいと思えるところまできた。




それに加えて X(旧Twitter)で見かけた

https://twitter.com/black_eighter59/status/1752266369062891697?t=JkmOTTt5nY4DmfklcEXSCQ&s=19



この ゆきみ様とめっち様のポストを読んで、すごくすごく心が救われたの。





明日からきっと私は『関ジャ二∞』と呼ぶことは無くなると思う。

それは 彼らと共に新しいグループ名を愛していきたい気持ちと、先に掲げたポストにある〖宝箱〗へ 大切にな思い出と共に仕舞っておこうという思いからである。



でも 眠りに就く前に、eighterに向けたファンクラブ動画での新グループ名の発表を迎える前に これだけは残しておきたい。




関ジャ二∞である彼らと出会えてよかった。
eighterになれてよかった。