見出し画像

【2-51】生きていくことと働くこと(~710日目)

長距離移動と模様替え

毎日ご機嫌に暮らすことができれば、それ以上にめでたい事を望んではいないんだけど、やはりそれなりに鬱屈した気持ちになることもあるわけで。
そんな時、私は長距離移動をするか模様替えをする。

車生活になってからは電車移動の時に比べると気楽に少し遠くまで行くことができるようになったけど、金銭的にはガソリン代も高いし、時間の確保も難しい。

そんな時は模様替えで気持ちを切り替えていく。
遠くには行かれないけれど、なんとなく気分が変わる。

クサクサするから、模様替えをするぞ!
と強い意志を持って始めるわけではないんだけど、結果的にそうしていることが多い。

一年間玄関を作業場にしていた。

現実はもっとすごい

家の中で一番暖かい場所だし、木くずもすぐに外に吐き出せるから、都合がいいと思って。
ただ、自分の靴も部屋の中も木くずだらけになってしまうし、玄関先はいつも木の粉で真っ白。
お客さんが来てくれる時も、いつも埃の中。
特に風水的なものにこだわりがあるわけではないけれど、玄関が汚れているのは、自分が出入りするときにもあまりいい気分にはならない。

作業をするのは主に冬場。
北側の土間はかなり寒いけど、思い切って作業場を移動することにした。

土間

一年間溜まり切った埃を払い、霧吹きで水をかけながら土間を掃除する。

綺麗になった!

埃と一緒に、モヤモヤも晴れていくような。

美しい景色

雪景色から一変。
20℃近くまで気温が上がったり、マイナスまでイッキに下がったり。
そりゃあ、気持ちも身体もついていかないわけだ。

遠くに行くことにもつながるけど、どんなに美しい景色もそれが日常になると足を止めてみることが少なくなる。
それでも春夏秋冬、一年を通して景色が変化する場所にいると、季節の移り変わりの中でふと足を止めてしまうような景色に出会えたりする。

ゴミを出しに行った朝。
家の前の山の景色に息をのんだ。

クエスト始まるのか

別の世界に行って新しい冒険を始めるようなそんな気持ちになった。

地域おこし協力隊について

このブログでは、自分自身が養蜂を始めて生活をしていく日常を記録している。今後どうなっていくのかは自分でもわからないけれど、どういう方向になっていくにせよ、何もないただの自分が「ただ生きていく」ことを失敗も含めて記録しているつもりだ。

私は「地域おこし協力隊」という制度を利用して生活をしている。

この制度を利用して生活していることは、地域の広報にも掲載されているし勿論隠すつもりもない。

ただ、私が「地域おこし協力隊」の代表ではないし、この制度についての考え方は人それぞれなので、私の行動がすなわち協力隊とはこういうものだ、という解釈はしないでほしいと思っている。

ここまで書いて、正直自分がこの制度化で暮らしている中で、発言や行動に相当気を使っていることを実感する。

先日「地域おこし協力隊」の来期の活動についての説明会があった。
全国様々な地域でこの制度を利用して都市部から移住して生活している人たちがいて、私が住む町にも、数名の協力隊員や隊員としての任期後も地域に残って生活している人がいる。
私も今のところは、この町で養蜂を続けていきたいと思っている。
ただ、任期後にその地域を離れることも自由だ。
どこに住んで何をして生きていくかは、誰でも自由に選択する権利がある。

協力隊の制度の如何にかかわらず、地域に住みつづけたいと思えて、そこで生活していける術があって、無かったとしても身につけたり生み出したりできることが理想だとは思う。
ただ、この制度が人を地域に縛り付けることになったり、地域という名のもとに、個人を排除するようになったりするのは、違うと感じている。

隣に住む人が、自分にとって不快な気持ちになる人でない方がいい。
周りの人を不快な気持ちにさせたい愉快犯みたいな人は論外で、私だって誰かを知らず知らずのうちに傷つけ不快な気持ちにさせているかもしれない。

知らない人がいるのは、不安になるかもしれない。
もしかしたら、今の安全な生活が壊れてしまうと感じるかもしれない。
でも、今知っていると思っている人だって、ずっと同じ性格で同じ生活を続けられるわけではない。

都市部と違って、人の流入が少ないのは事実なので、親やもっと古い祖先の代からそこに住んでいる人が大半の地域の中で移住者が目立つのは確か。
木を隠すなら森の中なわけで、人が少ないからこそ目立つ。

協力隊の任期が終わった後にも、「元協力隊」というのはついてまわる。
自分がなにかの看板を背負わずに「ただ生きていく」というのは、なかなか難しい。

道具入れ兼内検用ベンチ

去年の今頃はこちらから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?