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私が書いた小説の1節 その4

又四郎ちゃん、今日のことをよく覚えていてね。私は又四郎ちゃんのことが、大好きよ。あまり、パッとしない人生だったけど、あなたに会えたことが、本当に良かった。ずうーっと、あなたのそばにいたいと心から思うのよ。あなたのその小さなお手ても、いつか、力強く夢を掴むたくましい手になるわ。あなたのその可愛い足も、どこまでも進むための力強いものになるのよ。あなたのその、あどけない、お目目も、鋭い光を帯びるようになる。あなたの、素晴らしい人生が待ってるのよ。でも、もし何かにつまづいて、うまく人生を泳げなくなっても、私のことを思い出して頑張ってね。私は明日から、あのグリーンの病院に行っちゃうの。そして、たぶん、そこで死んじゃうわ。でもね、きっとまた会えるわ。



その2週間後に母親のお葬式があった。



小学生に上がった頃に、父親に、お前の産みの母親は、お前を生んですぐに病死して、再婚してできた、二人目の母親もお前と二年間過ごしたあと、病死した、と聞かされた。



二人とも、お前のことを本当に愛していた。



と話してくれた。



又四郎はその日から、コマなし自転車に乗る練習をして、あきらめていた自転車でのソフトボールチームの遠征にも行けるようになった。




又四郎は35歳になり、硬式テニスを始めようと思った。シューズとラケットを買い、一番近所のテニスコートを借りたが相手は見つからなかった。



でも、週に5日テニスシューズを履きテニスコートのラインの周りを歩いて回っていた。夏の終わりから、年末まで。



又四郎は歩きながら、色んな、人生におけるしがらみの謎について考えていた。



朝早くから、夜まで、サンドイッチ伯爵のように1日3食、食パンにあらゆる、具、をはさんだものを用意して歩きながら食べた。ハマチの刺身や、たくあんや、チョコミントアイスなどもはさんだ。



隣のテニスコートでは小学中学年くらいの少年や少女が小太りのおばさんからコーチを受けていて、彼らは休憩中にドリンクを飲みながらこちらを眺めてよく何か話し合っていた。たまに口を大きく開けて笑っている子もいた。みんな年の暮れまで飽きずに又四郎に関心を持っていたようだ。彼らは何故学校に行かないのか不思議だった。



又四郎はそれを気にしないためにも、スマホからイヤホンで音楽を聴いて歩いていた。又四郎はよくクラシック音楽を聴くようになった。指揮者の棒さばきををイメージしていることがよくあった。あらゆる名曲をスマホに集めて聴いた。ピアニストの良し悪しはなんとなくわかる気がした。youtube でプロの演奏会を歩きながら観ることにはまったのが肌寒くなった、11月の一週目と二週目だった。



テニスコートはスポーツ施設やアスレチックス、ランニングコースのある大きな公園の隅の方にあり、大きな道路が横には通っていた。公園のランニングコース兼、ウォーキングコースやまわりの地面はやけに赤い茶色をしていた。林のように植えられている沢山の木の葉の濃い緑との色のコントラストがその公園の印象をつくっていた。コンビニ弁当のゴミや空き缶が分別されずにゴミ箱にいつも詰まっていた。カラスもたくさんいる公園だった。温水プールや体育館のなどの施設の外観は灰色のコンクリートだ。空も都会の薄い青色だった。



又四郎はテニスコートのラインにそって週に5日、大雨の日にはなぜか子供用の黄色い傘をさして、暑い日も寒い日も同じ上下の深い緑色のジャージに中は赤い長袖のTシャツを着てくるくる歩いて回った。



主に、今までの人生に出会った、人間たちについて考えながら。悔やまれたエピソードや、不思議だった出来事、爆笑した思い出、殴り倒したかった場面、本当に幸せな気持ちになったこと、たくさんの人の顔が空に浮かんだ。それらのことは硝子の粉のようになり又四郎の血液に流れ、時々心臓をちくっと刺した。



テニスコートに行かない日は、家事と買い物をした。昼と夜はパスタとシーザーサラダを必ず食べた。パスタの味のレパートリーはスマホで調べて、たくさんあった。

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