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楽しさで解決!

大好きな神話「天岩戸」。弟スサノオのあまりの暴れん坊ぶりに、怒った姉のアマテラスは洞窟に隠れてしまった。世の中は闇に包まれ世界は禍いに満ち溢れ、神々はなんとかしてアマテラスを探し出しなくてはと、方々探し隠れている場所を見つけるが厚い岩で固く閉じられて開けられない。

八百の神様たちが集まって何とかしてアマテラスに出てきてもらう方法がないかと、作戦会議。隠れている洞窟の前で歌って踊ってのどんちゃん騒ぎ。なんだか賑やかで楽しそう、とチラッと外の様子を見るため岩をずらしたところでアマテラスを引っ張り出し、その岩を長野県まで投げ飛ばすというなんというスケールの大きさ。引き篭もっている人(神)を夜通し外でパーティをやって引き出してくるってすごい発想だし、従来日本人は楽しい民族なんだなと気づかせてくれるこの話は色んな意味で大好き。

アマテラスが洞窟から出て来たときの第一声が何だったのか、また最初に声をかけたのはどんな一言だったのか想像を張り巡らすと楽しくなる。

先日実は幼稚園の時から周りに馴染めなず、苦しい思いをしながらずっと社会で生きてきたという友人がいた。その人は子供の頃に楽しいこともあったし、学校にも行っていたし、友達もいたのだけどその息苦しさはずっと続いていたと言う。その話を聞いた時、彼女が生き抜いてきてくれて良かったと心から思った。今は立派に仕事をして楽しそうに過ごしているので、打ち込める仕事との出会いは人にとって大切。

今中学生の20人に1人は不登校だと言う。その数は小中高でもどんどん増えている。今は教育の選択肢が増えてきているし、イジメの問題などあり無理やり学校に行かせるということが昔ほどではなくなったのではないかと思う。

怠けたいとか、勉強が嫌いとかではなくて学校がつまらない。なんだかわからないけれど息苦しさを感じている、なんていう状況にいる子どもたちが多くなっていると感じるのは数が増えているのではなく、自分自身のこころの声を敏感に感じ取って行動しているのかもしれないと思う。十人十色。千差万別。1人1人皆違う存在で、過去も未来もたった1人の存在なのに、まるっとまとめられてしまい、高校生だからこうあるべき、女性だからこうあるべき、など決めつけられてみんなと一緒であることを求められることは多い。私は基本、同調圧力がとても苦手。こだわりないことは合わせてもストレス感じないけれど、そんなものかと合わせていて何か居心地悪さを感じたことはある。

例えば昔ランドセルは、男の子は黒、女の子は赤しかなかった。今はネイビー、紫、ピンク、など色とりどり。ランドセル自体、小さい身体であんな重いものを背負うのって可哀想だなと思うけど(コアトレには良いかもと別の解釈をしたりして)

息苦しさ、居心地の悪さを感じるってことは本能と理性が戦っている、自分の中で葛藤しているということ。子供は本能が優位で、理性は経験が浅いから葛藤が少ない。でも幼い頃から理性が発達している子というのがいて、大人のように悩んだり、息苦しくなる。すでに自分をコントロールしようと試みている。子供ながらフロイトの言う自己防衛規制ができる子は、悩みながらも無事に大人になってそのうち自分なりの生き方ができているのかな、と思った。

こうしなきゃいけない、こうあらねばならない、ということは子供は大人から強いられ多くの場合社会的弱者の立場では従うしかないことが多い。 更に自分軸でその葛藤を乗り越える知恵はまだたりない。だとすると周りの大人がその葛藤を楽にする手助けが出来たら気持ちが楽になる子供が増えるかもしれない。

子供でも大人でも周りの人の葛藤を乗り越えて、気持ちが楽になる防衛術のヒントでも与えることができたら、良いなと思う。

アマテラスも葛藤があり閉じこもったとしたら、楽しそうと思える何かを人に与えられるようになりたい。


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