見出し画像

自転車も人生も早ければいいってもんじゃない

自転車は、人生だ。

私は自転車で、石山に突っ込んだことがある。
石山と言っても、墓石を彫る石材店の端石が30cmほど積み重なった山だ。

『あっ、こける』

こう勘付いた3秒後には、石の中にいた。幸い擦り傷くらいのケガだったのだが、私はこの事件を今でも鮮明に覚えている。17年も前のことなのに、だ。

記憶が色あせない理由。それは怖かったから、だけではない。
200m先のおばあさんに追いつきたくてこけたからだ。

石山のある石材店の前、車通りの少ない東西に走る一本道。そこは、実家の目の前の道であり、つい半月前に自転車デビューを果たした5歳少女の特訓場所でもあった。

その道の西端で自転車をまたぎ、東端を振り返って見えたのは、おばあさんだった。200m先の反対端に、歩いているおばあさんを見つけたのだ。

『追いつくぞ』

少女は何の怖さも考えず、目標を定めた。

「幼稚園で男子にバカにされたから、いすに足をのっけて怒ってきた」

こんなことをする5歳だ。石山に突っ込む未来なんて、視界に入っていない。

『よし』

やっとこさ地面につく片足を踏ん張り、もう片方をペダルにかける。ペダルに力をのせて、空気に乗り始めた。

今までで一番気持ちよく、風に乗っていた。おばあさんが大きくなってくる。

『すごいスピード!気持ちいい!』

自転車を乗りこなせる自分に少女の口元が緩んできたその瞬間。あの事件が、起こった。大きな音におばあさんは振り向いたが、すぐに前を向いて進み始めていたと思う。


自転車は、人生なのだ。

今日、私は1台の自転車と横並びで走っていた。

信号が赤から青に変わる瞬間に感じた、勝負の予感。

『追い抜くぞ』

22歳少女は、5歳少女の考えることを想像していた。

信号が青に変わり、隣の自転車が動く気配がした。私もペダルに力を任せて、空気に乗り始めた。

だけどもう、考えられなかった。追い抜くことなんて。横並びで、相手のスピードを感じながらも、私は私の乗り方で、私は私の漕ぎ方で、進んで行こうと思っていた。

1m、2m、3m・・・

どんどん差は広がっても、ペダルに強く力を込めることはなかった。

力加減を知る大人になったと足元が緩んだその瞬間。信号が20m先で赤になった。10m先の自転車は横断歩道の近くで止まり、私は止まるかどうかのスピードで漕ぎ続けた。

信号が青に変わり、私は再びペダルに力を任せた。5m先にいたはずの自転車が近づいてくる。

3m、2m、1m・・・

『あ、並んだ』

こう勘付いた3秒後には、もう追い抜いていた。

力まなくても、抜こうと思わなくても、風に身を任せればいつの間にか心地よい漕ぎ方を見つけられる。22歳の少女はこう、感じていた。

赤信号でも止まらずにのろのろと漕ぎ続ければ、青信号になったときに少し力を入れるだけで風に乗ることもできる。5歳の少女はきっと、止まっていただろう。


自転車は、人生だ。

どこかへ向かって、どれくらいのスピードで、どんな漕ぎ方をするか。
力いっぱい漕ぐ時期も、冷静に力を考える時期も、どれも間違っていない。

ただ、今はどの漕ぎ方をしたいか。

こう問い続けることが、必要なのだろう。問い、考え、迷い、こける。だけどもう一度立ち上がって、漕ぎ始める。この繰り返しなのだろう。

迷うことは怖い。こけることも怖い。でも漕がなければ、どこへも辿り着けない。自転車に乗ると決めた限り、漕ぎ始めるしか、漕ぎ続けるしかないのだ。この宿命を面白がることも私は意外と、好きだ。


さて、明日はどこへ向かって漕いでいこうか。どんな漕ぎ方をしていこうか。どんな理由で、漕ぎ始めるだろうか。





この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?