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強い言葉が苦手だ

強い言葉が苦手だ。特に罵倒表現。

じゃあ、ともなかってそういう言葉使わないんだ?と思われた方、違います。結構使います。自戒を込めて言ってます。

生活の中で、罵倒表現は良くないと分かっているものの、よく使ってしまう人は多いのではないか。馬鹿、アホ、マヌケ、クソ・・・。そんな中で、私は罵倒表現の使われ方が気になっている。

例えば、私が無茶苦茶嫌いなAという人について、
①「Aは馬鹿だ」
②「Aのこういう言動は馬鹿げていると思う」

前者と後者では、なんか言葉のニュアンスが違う気がする。①はAの言動や人格をまるっと否定している感じがするのに対して、②はあくまでAの言動に注目して否定している感じがする。

私は罵倒表現を使うときに②のように使うように心掛けている(そもそも使わない方がいいと思うよ)。何故かというと、私の中に『自分が滅茶苦茶嫌いな奴でも、他者にとっては滅茶苦茶良い奴かもしれない』という考えがあるからだ。

人は皆、他者の言動や人格を完全に理解することは出来ない。自分に対してさえ、そうなのだ。人が人の全貌を把握することなど出来やしない。当たり前のことだ。

しかし人は、他者への怒りや侮りを感じたときに、その『当たり前』など無いかのように振舞ってしまう。分かった気になってしまう。一種の万能感だろうか。

私が他者に全否定されてはいけないように、私も他者を全否定してはいけない。たとえ怒りを感じても、最低限の線引きはしないといけないと心掛けている。

いや、嫌いなもんは嫌いだよ。もちろん。でも、他者や属性を安易に罵倒することが、他者や属性を理解しようとする理性的な部分に蓋をしてしまう気がする。私は、人として生まれたからには理性的に生きていきたい(もちろん、人の本能的な部分は否定しないよ)。

なんというか、罵倒表現を使うにしても、工夫した使い方が出来ればいいですね!←そもそも使わない方がいいと思うよ。


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