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いちばんは、救われたってことかな

いけばな定期便の営業に行った帰り、突然「そもそもわたしがナニユエいけばなに執着しているのか、伝えるということを全然してないではないか」と気づきました

今さら、今ごろかぁ~~いっ!なのですが今日は、それをお伝えしようと急遽思った次第なので、お付き合いくださいませ


具体的に書くと壮大な量になるので割愛しますが、わたしはあまりよい環境で育っていません

親に愛された記憶がまるでない、というかナイ

そんな子供


大人の顔色ばかり窺って大きくなりました

けど、そんな子供だったわたしにも楽しみはありました

大晦日に父が正月花をいけるのを見る

これがわたしの原点といっても過言ではないのです

時は昭和、家族総出で商売をしていて、休みは元日のみ、とにかく忙しかったので、父は毎年大晦日の夜に正月花をいけていました

テレビから紅白歌合戦の音楽が流れる中、家族がご飯を食べる食卓でいけるのです

父がいける姿を向かい側の椅子に座って見ているのがとても好きだった

父の手によって、植物がどんどん姿を変えて立派に堂々とカッコよくなっていくのを見ることが本当に好きだった


だから社会人になったらいけばなを習うと決めていたのです


習い事の先生を『親先生』といいますが、これが本当に親

だからわたしには『生みの母』『育ての母』そして『いけばなの母』がいます

生みの母と育ての母は、長い人生を生きてやっと感謝の思いがでてきたけれど、わたしの人生を暗くしていた原因でもありました

そんな中、いけばなの母はわたしの揺らぐ気持ちをずっと支えてくれていました


支えてくれていた、といっても具体的にわたしの悩みを聞いてくれたこともなければ、相談にのってくれたこともない

けど、水曜日の仕事終わり、淡々と花をいけることを教えられ、粛々と稽古は続いていたのでした


水曜日は心のリセットの日、だった

これがなければわたしは今、ここにいない
この世界にいない、そう断言できるのです


以前、「いけばなは何を理解したらできるようになるんだろうか」と聞かれたことがあります

答えは

ありすぎて一言では説明できない


植物の扱い方や、特性を知るという技術的なことも教わります

そしてそれをしながら精神を鍛えることもしています

さらに、他者との関わり合いなんかを見出してゆくこともあります

もっともっと色々あります

そして理解するのに長い長~~~い月日を要します

その上、「今日は心の鍛錬の日です」とか「今日は悲しみの乗り越え方を習得する日です」「今日は決断力を高める日です」とかってあるわけじゃない

稽古帰りに「今日は〇〇の考え方を習った」って実感するってほとんどない

全然関係ない瞬間に、突如器から少しづつ少しづつ溜まった水がどばー、と溢れるように

「あー、そーかぁ、そうなんだぁ」ってすとーん、と心の中に落ちるものがある

その器は最初は小さな小さなおちょこみたいなもの
大きさも形も多種多様で、水があふれる瞬間っていつ来るか誰も予想できない


現代の
今すぐ結果を、とか、効率よく成果をあげる
といったものにおもいっきし逆行してるんだよね

けどね、それに疲弊してきている人も多くなってるように感じるの


今ね、世界はホント凄い

テクノロジーやばい  でも、もう十分じゃない?
ネット産業すごいね  でも、10年後20年後どうなってるの?
効率化、AIありがたいね  じゃぁ、ヒトはなにをすればいいの?
お金は大事  けど、これ以上なにで満たされるの?


わたしは、何度か生きることを放棄しました
放棄したんだけど成功しなかった

生きることを放棄すると決めたとき、はなをいけることも放棄した


けど、今も生きている
淡々とはなをいけ続けることで今があります

だから、たったひとりでもいい、この世界で疲弊しきっちゃって向かう方向を見失っている人に

なんとでもなるさぁ、と伝えたい
なんとでもなるさぁ、って知って欲しい


わたしは、いけばなに救われた


一人の力は小さいし限界がある、でもでも、でもね
今日これが視界に入った方のだれかが

「じゃぁ、いっちょいけばなやってみっか、」って思って、30年後にね

「誰かの力になろう、癒しになろう」

そう思ってくれたらとっても幸せ


わたしの声は小さくか細いけど、苦しいこと悲しいこと辛いことが多いこの世界の中で、植物のチカラを信じて植物と関わることで、何かが変わってゆけばいいな、そう願っています







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