週刊文春と暴露系インフルエンサーの違い

 週刊文春が最近話題だ。
 少し前まで、週刊文春は暴露系インフルエンサーに駆逐されるのではないかと騒がれていたが、どうやら昨今の情勢を見るとそんなこともないらしい。誰もがメディアになり発信できるSNS時代、なぜ週刊文春が存在感を維持できているのかを考えたい。

・取材力
 週刊文春は選りすぐりの記者を抱えており、彼らによる取材と文春リークスによるタレコミによってネタを仕入れていると考えられる。文春リークスに寄せられるタレコミは暴露系インフルエンサーに寄せられるタレコミと構造的には同じで、週刊文春と暴露系インフルエンサーに大きな違いはない。しかし、週刊文春が記者というマンパワーを使って記事をとってこれるという点は、暴露系インフルエンサーにはない点だと言えるだろう。とはいえ、ここで問題になってくることは、SNSによって誰もがリークできる時代、記者を使って情報収集をすることにアドバンテージがあるのかという点である。とはいえ、いわゆるスキャンダル記事に大事なのは、ストーリーを描くための素材集めである。暴露系インフルエンサーと比べて、週刊文春の記事は圧倒的に記事を構成する事実が多い(ように僕は感じている)。事実の数はは記事が持つストーリーを確固たるものにする上で重要であるし、しっかり構成された記事の方が世の中への信頼性やインパクトが強い。その点において、週刊文春の記者は一定の役割を果たしていると言えるのではないか。

・交渉力
 暴露系インフルエンサーが個人であることに比べ、週刊文春は文藝春秋社の一部門という組織である。そのため、記事元の相手に裁判を起こされたり、その他圧力をかけられた場合の交渉力が決定的に異なる。なぜなら、文藝春秋社は社内に強力な法務部を備えており、裁判になった場合でも適切に対応できる。また、文藝春秋社は企業としてある程度伝統とブランドのある会社であるから、暴露系インフルエンサーという個人と異なり、社会的メンツも保つことができる。また、批判やバッシングに晒されたときも、組織であるから特定の個人に批判やバッシングが集中することはなく、責任を分散できる。スキャンダル記事は社会に与えるインパクトが大きければ大きいほど、その反動に耐えられるメディアとしての交渉力が求められる。そして、週刊文春は暴露系インフルエンサーと比べて、その点における交渉力が高いと言えるのではないだろうか。

 以上の点から、週刊文春がSNS時代でも生き残れる理由は、文藝春秋社の企業体制に裏打ちされた、取材力と交渉力にあるのではないかと結論づけた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?