2023年12月19日〜12月31日


12月19日

社内の定例会議では、余った時間の5〜10分ほどを使って「各社員の好きなもの」をプレゼンする文化がある。これはハリボテのコミュニケーションタイムを設けて風通しの良い職場感を出すためだけの虚業なのだが、今日はある社員が好きな女性アイドルを紹介していた。

この日は連絡事項も少なくかなり時間が余っていたので、会議も早く終われるな〜と思っていた。しかしそのプレゼンターは「今日は時間あるのでアツめに行きます!」とかいらない宣言をして、余った20分ほどをフルに使い魂のプレゼンを繰り広げた。「なんかすごい未完成な感じがよくて!」とか「清楚すぎて透明みたいな!」とか、ひとこと「処女性が好きです」と言えば済むことをダラダラダラダラ語り続ける。周りの人は「熱がすごいわ!」とか「今年最後のプレゼンこれでよかったわ!」とか本心なんだかよく分からないガヤを入れていた。

最近、好きなものをアツく語ることがそれ自体エンタメになりつつあるが、あまりノれないことが多い。「アツい」というのは自己主張が強いということでもあり、他人の威信を借りて堂々と自己アピールする傲慢さに参ってしまう。宣教師のくせに神様ぶらないでほしい。もちろん、いちファンにも神性を与えてしまう点がアイドルの神性ではあるが……。

「推す」という言葉は「押す」と同語源らしい。つまり「推す」行為には「押し付ける」対象が存在しているはずで、必然的に押し付けがましいはずだ。何も推さず、ただ「在れ」、と言いたい。オシャレな人が着てる服を自分も買いたくなるように、その人が魅力的であれば周りが勝手に好みをキャッチして同じものに触れようとするはずだ。そんな様子が感じられないのならあなたに魅力がないということなのでもっと謙虚になってくれ。

その点、個人ブログの文化って全然押し付けがましくなくていいと思う。とにかく自分の好きなものを垂れ流しておいて、見たいやつだけ見ろというスタイル。趣味の話なんかわざわざ人間を椅子に縛り付けて聞かせる内容ではない。テキストで十分だろう。みんなブログをやればいいのに。



12月20日

最近「ルサンチマン」という言葉がおもしろいと思う。なんかそういうヒーローみたいなのに、「弱者が強者に対して抱く恨みや嫉妬心」というネクラ大爆発な意味を持っているからだ。

しかし、この概念はただ陰湿なだけではなく、我々がいま善悪の基準にしている「道徳」の根源だとする考え方がある。

ルサンチマンは怨恨とか反感とか訳されますが、要するに、現実の世界で成功している人、うまくやっている人に対する、現実の世界で成功できない人々___ニーチェは「弱者」と呼びますが___の僻みとか妬みとか恨みといったものです。その恨みを現実の世の中での競争や闘争によってはらすのではなく、価値基準のほうを密かに逆転することによってはらす、これがポイントです。つまり、闘いの最中に、闘いのルールのほうを密かに変更することによって、闘いに勝つのです。

『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』永井均 著 p248

ケガをしたのであれば、それは悪いことである。殴られたのだろうが、勝手にコケたのだろうが、本来の「ケガをしたこと」の悪さは変わらない。しかし、人に殴られてばっかの弱者はそれに納得できず、真に"悪い"のは殴ったヤツ(=道徳的に悪いほう)と考えることで形成逆転を図った。善悪の基準を捏造したのである。

今はこの捏造された軸がレーザートラップのごとく張り巡らされている時代だと思う。この基準ならNGだけど、この基準ならOK。常識にはハマらない人を褒める言葉として「ロック」というのがあるが、これだって、人としての常識にハマれない弱者が強者に復讐するために「ロック」という新基軸を作ったのだろう。そう考えるとロッカーってかわいいと思う。

この評価軸の多さを多様性と呼ぶ人も多いだろう。今まで不正解だったものが、色んな見方で正解になりうるのはたしかに素晴らしい。でも僕はそんなことより、表面上は素晴らしい世界の根っこがルサンチマンにまみれている可能性にグッと来てしまう。その新しい価値観は、どんな価値観に対する復讐なのだろう。たとえば今色んなアルファベットを使って繊細さのアピール合戦をしている人たちは、誰への妬みをそれにぶつけているのだろう。


12月23日

この動画内の「1個でもさあ、やりたいって言ってさあ、やってさあ、やってよかったって言えよ」って、本当に金言だと思う。「やりたいことをやってる人」はそれなりにいるだろうけど、その前に堂々と「やりたい!」と言って、その後に堂々と「やってよかった!」と言える人は少ないと思う。大抵みんなどこかで自嘲気味になったり、謙遜したり、降りたりしてしまうのだ。

こう思うとSASUKEの山田勝己ってすごいと思う。山田勝己が自分を客観視したことってあるのだろうか。彼は1秒も山田勝己であることを自嘲しない。「いやもういい年こいてイチ企画に命かけてさ、何やってんだよ(笑)」とか言わない。だからこそ外側からあんなにイジられるのだろうけど、それほど美しい人間がいるか? 僕はこんなに美しい人を叶姉妹と東北大学ウィンドノーツ以外知りません。


そういえば、最近はつまらない飲み会を嗅覚で避けられるようになってしまったので、飲み会に腹立つことってあんまりないかもしれない。でも忘年会などの話を伝聞すると、やはりみんな「マジ酒ヤクザだったよなw」とか「あれは完全にセクハラだったわw」とか平気で言ってるので嬉しくなる。自分の嫌いな対象が自分の嫌いなままでいてくれるのは、世界が思いのままになっている気分になる。こんな「つまらない人間」を表すピクトグラムになれそうな、どストレートにつまらない人間がまだ存在するのだ。その裏切らなさに安寧がある。トトロがいるくらい嬉しい。どうかそのまま、一生面白くなりませんように……。


12月25日

1人でM-1グランプリを7時間ぶっ続けで見ていた。ドラマ性のない敗者復活戦の方がテンポが良くて好き。つくづく自分は、芸人ではなく面白いものが好きなだけだと思う。決勝は『見せ算』が最高。賞レースは周りの空気を読む大会ではなくて、自分が今年1番面白いと思ったことの発表会であってほしい。

令和ロマンの優勝で、くるまさんがこの記事で言ってたことが腑に落ちたのを思い出した。

お笑いって感覚的すぎるので、なんで面白いのか言語化できたら人に伝えられるし、世の中のお笑いレベルの総量が上がる気がして。友達を川に落とすようないじめもなくなるんじゃないかと思う。

自分はあんまり「お笑いに考察はいらねえ!」みたいなのは納得できない。よく「頭空っぽにして見ろ!」って言うけど、本当に頭空っぽだったらロボトミー手術後と同じなので何も笑えないはずだ。考えてるから笑えてるに決まっている。そしてその言語化を芸人本人に送りつけたりするから迷惑なだけで、おもしろの言語化自体は義務教育レベルで重要だと思う。読書感想文もいいけど、水ダウ感想文とかM-1感想文も書かせればいいのにと本気で思う。ちゃんとお笑いを見てればスシローの醤油差しを舐めたりしないし、渡辺直美に豚の衣装を着せたりしないし、お笑いの考察を芸人本人に送りつけたりしないはずだ。別に必ずしも面白いことをやる必要はないけど、つまらないことをして嫌われるのは損だから……。

12月26日

全然できてないのだけど、雑談の中で「自慢・自虐・他慢・他虐」の割合を減らしていきたい。こういう次元の話題って、自分が「雑談とはいえなんとかコンテンツを提供しないといけない」という強迫観念か、「モノの価値は他との比較でしか成り立たない」という価値観に囚われてるときしか出てこないからだ。良いとか悪いとか自分とか他人とかの座標軸を無視して宙に浮いていたい。

雑談だけでなく、自分の思考も自体どんどん浮つかせていきたい。「地球に初めて生まれた"鳴き声がある生き物"って水から出たばかりの両生類だろうから、地球で1番最初に鳴った声はケロケロなんじゃないか」みたいな、意味のないことだけ考えていたい。こんなことを考えられるということは精神に余裕があるということでもある。

3年も社会人をやってるとわかるが、とにかく仕事は自分の生活から余裕を奪ってくる。意味のあることをやってないと無意味なものの価値もなくなるので仕事はするが、全てを意味や目的に支配されるのはいただけない。自分の生きる目的が分かる時が来たとしたら、それは自分が"穴を開けるためのドリル"とか"紙を切るためのハサミ"みたいな道具に成り下がったときだろう。人生の中の、なんの目的も意味もない領域を守り抜きたい。死ぬまで……。


12月31日


「道にまだ未開封のホットドックが落ちていて回復アイテムかと思った」とツイートしようとしたが、画像だけだとそうツイートするためにわざと地面に置いたようにしか見えないのでやめた。


もちろん画角の問題もあるけど、「東京タワーって"寺2個分"なのかよ、しょぼ」と思った。


デカい怪異がこっち見てるのかと思った。


やばい性癖の人が喜びそう。


出汁の自販機とグラフィティ。


コロナになった時、手の血色が失われすぎて、引き算でマニキュアみたいになった。


俺史上最高傑作の替え歌。



こんな感じの1年でしたね。










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