2024年3月10日〜3月20日


3月10日

法律って面白いですよね。

まず、地球に元からあったものではなく、人間が割と最近作ったものなのに学問になってるのがすごい。勝手に作って勝手に研究して、自作自演というかマッチポンプというか、とにかく自然の摂理には逆らっています。

また、法律はずっと難しいこと言ってるけど、カンタンに言えば復讐の掟ですよね。被害者が加害者に報いるための武器。裁判所・刑務所は国営の復讐代行業者とも言えないでしょうか。ただそんな復讐システムが国家の秩序を守っているのだから侮れません。

そして法律は復讐システムでしかないので、別に破ってもいいんですよね。いやダメなんですけど、究極にはそのダメさを証明できないというか……。たとえば信号無視って法律上罰金2万円が課されるのですが、これは「2万円払えば信号無視していい」とも言えちゃいますよね。「罰金2万円」はあくまで条件でしかない。六法全書は「この対価(刑罰)を払えるならこの罪を犯せますよ」という犯罪のカタログにもなりうるのです。

では、皆さんはこれを知って「法律って意味ないじゃん、2万円払って信号無視してやるよ!」となるでしょうか? 多分ならないですよね。だって絶対割に合ってないですからね。この割に合わなさが犯罪抑止につながるのでしょう。つまり、法律で規定された刑罰って、誰にとっても、普遍的にイヤなことでなければなりません。

ここで考えたいのは死刑制度に関してです。日本の極刑は死刑ですが、これは「全国民にとって、この世で1番イヤなことは死ぬことである」という前提がありますよね。裏を返せば、日本人はみんな生きるのが楽しくて、自殺志願者なんて1人もいないことが想定されています。死刑のある国ほどハッピーな国はありません。現実では「罰金を払いたい!」と言ってる人より「死にたい!」と言ってる人の方が多い感じもしますが、気のせいでしょう。

人が嫌がることを勝手に決めつけるなんておこがましいとは思わんかねですが、このおこがましさで平和が保たれているのが感動的です。人間スゲーと思います。法学部卒でもなんでもないのに勝手に感動してすみません。


3月11日


今更ですがこの記事すごいですよね。



ここに書いてある「本を読まない理由」って全部同意できます。文字を読むこととビジュアルイメージを作ることを同時並行できないので、僕もミステリー/SFは苦手です。部屋の間取りとかすぐ忘れるし、どんでん返しとかされても、「そんなこと言ってたか?」とか思います。

一方『走れメロス』のように、ストーリーはシンプルながら一文一文に含蓄のある本は好きです。小説で言えば純文学系ばっかり選んでる気はします。その理由まで考えたことはなかったですが、「目の前の表現を見ただけでもう色んな想像ができる」のが良いのでしょう。

記事内でみくのしんさんも感銘を受けていた、『走れメロス』内のセリフ「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ」など、ストーリーから独立させても味わい深い言葉だと思います。まず単純に「なんで?」と、問いが生まれますよね。これだけですごいです。

たとえば人を試す行動って社会的にはクズ扱いの対象になります。邪智暴虐の王もメロスに「試し行動」をしています。そんな行動をするのは「人の心を疑う」証でしょうが、なぜ疑ったらダメなのでしょうか? その割にはみんな、就活とか試験で人を試しまくってませんか? 試し行動の結果配偶者の浮気がバレたとして、試した方にも相手を疑った責任があるのでしょうか? 「事実さえあれば関係は続けられたのに、疑いによって真実を暴いた」という罪なのでしょうか?

……というのをたった一文から考えさせる力があるのが、いわゆる名著の面白さだと思います。

でもこれ、最悪の言い方をすれば「面白い思想を持ってる人のTwitter」が好きなだけなんですよね。ストーリーを追わせる作品にハマれないのは普通に読書が苦手なのであり、短い文章のセンスにばかり惚れているのは単に「ツイート」を楽しんでいるのと同じです。



僕は『春は馬車に乗って』がこの世で1番綺麗な文章だと思っています。青空文庫で無料で読めます。肺を患って寝たきりの妻と、それを看病する夫の日常を切り取ったそれだけの話。なのに、宝石みたいに美文が集まっていてビックリします。


「お前は絶対安静だ」
「いや、いや、あたし、歩きたい。起してよ、ね、ね」
「駄目だ」
「あたし、死んだっていいから」
「死んだって、始まらない」
「いいわよ、いいわよ」
「まア、じっとしてるんだ。それから、一生の仕事に、松の葉がどんなに美しく光るかって云う形容詞を、たった一つ考え出すのだね」


この会話の夫の切り返しとかオシャレすぎますよね。この前に妻が庭の松の葉を美しがるくだりがあって、そのアンサーにもなっているのですが、そんな文脈を無視したとしても、病人にかける言葉として随分ハイセンスです。

確かに、目の前にある葉っぱの美しさにすら敏感になるのって、余命わずかな人にしかできない仕事じゃないでしょうか。明日も人生が続くと思ってる人がいちいち葉っぱなんか見ませんよね。感受性とは今生きて目にしている全てに慈しみを向ける力であり、そのまま死への意識の高さにつながっていると思います。



でも、『春は馬車に乗って』に出会ったときの衝撃と、「引くほど万引きをするが、夕焼けのように笑うジジイ」に出会ったときの衝撃って全く同じなんですよね。自分はタイムラインを更新する感覚でしかページをめくっていません。横光利一さんってツイッタラー、フォロー推奨ですよ。


3月13日

結婚とか出産に関する話題を気軽に出すと絶望的にキモがられますが、結婚とか出産そのものは祝いの対象とされています。これはなぜでしょうか。

某バラエティ番組で、アイドルと芸人の顔を合成して2人の子供の顔を再現する企画がありました。しっかりキモがられて炎上していました。確かにキモいと思いますが、それは少なからず「出産」「子作り」自体にキモさが含まれるからではないでしょうか。ではそのグロテスクは、どこをボーダーにして祝い事に変わってしまうのか? キモがるなら最後までキモがってたほうが一貫性ありますよね。マンコから人間が出てくるわけですから、全部キモいですよね。

誰かが結婚をして、それが職場恋愛だったりとんでもない歳の差だったりしたときも大きなハレーションが起きます。気持ち悪い気持ち悪いと、船酔いでもしてるのかといったところです。

僕もキモがる気持ちはわかるのですが、「職場恋愛だから」とか「歳の差だから」といった条件がついた途端に大騒ぎする突拍子のなさは理解できません。じゃあキモくない結婚とは何なのか。ハッキリ言えないのであれば、結婚自体ぜんぶうすらキモいのです。等しく気持ち悪いものにわざわざ気持ち悪さの階級をつけるとは、吐瀉物の透明度を競い合っているようなものです。もちろんゲロを吐くこと自体は仕方ないですけどね。

不倫だって醜悪な行為とされていますが、あれも「他人が所有しているパートナーを奪う行為だから」でしょう。であれば、そもそも「人間を所有物にする」こと自体ほんのり醜悪ではないでしょうか? 不倫に怒る気持ちは理解できますが、じゃあ結婚の時点でもちょっと醜悪がれよと思います。ヴァージンロードなんて嘘みたいな道を歩かせて純潔ぶる必要はあるのでしょうか。


この話の結論ですが、人間に一貫性など求めても無駄ということです。人は正しさよりも都合の良さを優先するので、怒りたいときに怒って喜びたいときに喜んでいるだけです。正しさとは別軸にある、こういった潮流を乗りこなせるかどうかが社会性です。


3月18日

なぜ素人が質問箱やマシュマロをやっていると痛がられるのでしょうか。

単にかまってちゃんだから、でも済ませられるのですが、そんなこと言ったらこの世の全ての表現活動ってかまってほしいだけですよね。かまってほしくないなら何も「表」に出す必要はありません。孤独な空間に閉じ込めたらすぐ気が狂うのが人間です。この星にはかまってちゃんが70億人もいるので、そんなに煙たがる必要ありません。

問題なのは、かまって欲しがってるわりには何も持っていないところだと思います。何かしら行動を提示してそれを認めてもらおうとするのは自然ですが、質問箱は「認めてもらうための行動を他人に促させる」ツールです。僕があとから行動を起こすのでまずはかまってくれと。承認欲求が複雑骨折を起こしており、不健全です。かまってほしいならかまってもらう理由くらい自分で作るべきですよね。欲望が先行しすぎでしょう。すぐに企画募集とかやりだすYouTuberにも同じことが言えます。

でもこういう因果の逆転現象、TENETみたいで面白いですよね。テッド・チャンの『息吹』にも、「押したら光る、という因果を逆にして、光ったら押してしまうボタン」みたいなひみつ道具が出てきます。何かをするからかまってもらう、という因果を逆にして、まずかまってもらってから何かする。それが質問箱です。

ただ悲しくも、現実では因果の逆転なんて起きないので、そんな何もないヤツにかまう者はいません。ただかまってほしいというだけの叫びがこだまします。そんなことをしている間にみんなは仕事とかしてます。


3月19日

なぜか鮮明に覚えているシーン。

・文化祭の準備で巨大なマンモスの模型を作っていたのだが、皮膚にするための布の素材が足りなくなって、高3の先輩が「俺らもう着ないしこれ使えば?」と言って夏用の体操服を渡してきたシーン。


・本の陳列をしていた書店員が、人とすれ違うたびにぶつかりそうになって「すいません」と謝っていた。なんか切ないなと思って見ていたらその人が他の店員に「この陳列綺麗ですね!」と褒められており、恥ずかしそうに「まあ…パズルですよね」と笑っていたシーン。


・高校の体育祭で、リーダーが男女コンビのブロックがあった。結果発表の直前、テンションの上がった副リーダーの女が、リーダーの男のヒザの上に座りだした。野球部風の男は明らかにテンパっていたが、ちょっと変な間が開いた後に「いやケツ汗ケツ汗〜!」と叫んでいたシーン。


・電車内で、二人の子供が交互に替え歌を歌っていた。

「チャラリーン♪鼻から鼻クソー♪」
「チャラリーン♪鼻からイチゴー♪」
「チャラリーン♪鼻からリンゴー♪」

どうやら、「鼻から出てくるものをどんどんサイズアップしていくゲーム」をしているらしい。鼻から出すアイテムはどんどんエスカレートしていき、一方の子供が

「チャラリーン♪鼻から車ー♪」

と歌った。車よりでかいものは何だろうと思っていると、もう一方の子が

「チャラリーン♪鼻から駐車場ー♪」

と歌ったシーン。


・幼稚園の時、全然よくないことに対して「よかったね!」というノリが流行った。僕も流行りに乗りたくて、飲み物をこぼした人とかに「よかったね!」と言ったりしていた。そのノリはみんなが知っていたので別にケンカになることもなかった。調子に乗った僕は、家で殺人事件のニュースが流れた時に「よかったね!」と言ってみた。当たり前だが、母親に「なんでそんなこと言うの!?」と返された。怒られる雰囲気を察知した僕は、「犯人が捕まったから」と瞬時に返し、母親は「やさしいね」と笑ったシーン。


・小学生の時、給食のときやたらクイズを出す同級生がいた。その子はある日、「地震で出口が塞がれたビルから脱出する方法はなんでしょう?」というクイズを出し、耳打ちで答えを募集した。僕は「入り口から出る」と答えた。その子は「何カッコつけて答えてんだよ。お前がカッコつけてもキモいだけなんだよ」と言い、正誤は教えてくれなかったシーン。


・体育の着替え中に1軍の男子だけで腕相撲大会する流れになったのに、クラスで1番のマッチョが「女子が見てないならやらねえよ」と言って出場を断ったシーン。


・なんか面白いかと思って普段の1時間くらい前に中学校に行ったら、たまにしか学校来ない人が1人で教室の机を飛石にSASUKEごっこみたいなのしてて、俺はその人と全然関わりなかったけどとりあえず一緒に遊んでみたシーン。


3月20日

スーパーで「かすべ」という魚をゲットしました。



聞いたことない魚でしたが、北海道の方言で「エイ」を意味するそうで、実際はこんな生き物です。



案の定炊き込みご飯にしてみました。



見た目マズそうすぎますが、めちゃくちゃ美味しかったです。筋みたいに見えるのが全部骨なんですが、軟骨なので噛み切れるしむしろコリコリしていい食感でした。コラーゲンの塊なので美肌効果もあるようです。



あとスーパーからの帰り、Twitterの礫死体を見つけました。













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