ネクタイ2本

2024年1月23日
やっぱ1.23っていうと区切りを感じる。
90年代の全日本プロレスの正月みたいな感じだった。
そのころの全日本プロレスには経理部以外には、営業部・渉外部・企画宣伝部の3セクションがあって、
営業部は10数名所属、渉外部1名、企画宣伝部1名+アルファという陣容で運営しており、渉外部と企画宣伝部は厳密に仕事の線引きはあったものの同時進行的なタスクが多かったので、ほぼ同セクションだった。
たぶん1992年、32年前。1月23日。
このころの1時間、1日、1週間、1か月は長かったなぁ。1日が1年くらいの密度で思い出される。
渉外やってた英語堪能の谷矢くんとふたりで、なにかプレゼントを送ろうって話になって、谷矢君がネクタイをチョイスした。
馬場さんと僕のファッションセンスについての確執は前項にも書いたので、谷矢君にお任せした。
社長室のソファに座り「ほう、お前らにしては、なかなかええ趣味やないか」と照れながら返答していた姿を思い出す。馬場さんにはネクタイは同じ柄のものを2本差し上げる。元子さんが2本を1本に縫製してくれるのである。
ひとり1本づつプレゼント。
確かあの頃の流行りのペイズリー柄で暖色系のネクタイだったような気がする。
スマホのある今なら、ああいうときに記念写真の一枚も撮らせてもらうんだろうけど、頭の中にしか映像はない。どっちがいいんだろう?

馬場さんはCM出演でその都度、さんざん衣装を作った。主にスーツ系が多かった。
地方巡業の多いスケジュールに合わせてスタイリストさんに採寸してフィッティングもしてもらう手間は困難だったので、馬場さんお抱えの仕立師、
横浜にあった「キングス・クラウン・テーラー」の野田さんにいつもお任せした。ジャストフィットのスーツを期限までに仕上げてくれる。
何度お世話になったか数知れず、である。
最後の仕事の依頼は等身大フィギュアが着用するスーツだった。

野田さんにあるとき「ちょっとこれ着てみて」とスーツを手渡された。
「あるプロデューサーさんにオーダーだけでトンずらされちゃってさー。あーやっぱりちょうどいいね。これ着て」って、そのままそのスーツを一着いただいた。
「え、いいんですか。ありがとうございます」
すこーしだけ袖が短かった。
今はもう自分が瘦せたので着ていない。

馬場さんのお抱え衣装部で製作された同じもの!
フォーマルファッションへの拘りエピソードはたくさんあって、そのうちの一つ二つが記念日に、頭の中のインスタにフィードバックしてきました。
このスーツは当然、僕の家宝である。


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