日曜日の電話

もう二十七回忌ですか
でも、思い出すと鮮明なこともある

常々、元子さんは馬場さんはいつもチャンピオン、弱っているところを誰にも見せたくない、と言っていた
だから何度かあったケガで入院というときもすべてのお見舞いはお断り、マスコミなんてもってのほかだった

1999年の入院時も誰もお見舞いはできなかった
から
馬場さんの症状がそんなに悪いなんてほとんどの人が把握できていなかった
復帰してきたら皆好き勝手やって怒られるんじゃないかとかそんな空気感だった

あれは1月も中旬過ぎだったと思う
元子さん独特の言い方で「馬場さんねー、便秘の原因のおできの親方をとる手術したの」

僕は業務報告やらなんやらで元子さんのいる西新宿の東京医大病院に通うのが日々のタスクだった
ロビーで一通りポスターの内容やら取材の進捗やらのやり取りをし、
“今日はとても怒られなくてよかった”と業務が終わりほっとして帰ろうとすると、
「馬場さんに会っていく?」
「あ、はい」

病室に入ると、馬場さんには様々なチューブがつながれ数字が表示されている医療器械が並んでいた
「馬場さん、寝ちゃってるね~」
「はい、ではよろしくお伝えください」と普通に帰ってきた

今から思い返すと、僕自身の鈍感力もすごい
元子さんが会わせてくれたのだから、馬場さんが弱っている姿ではなかったという認識
僕の中でも馬場さんが亡くなるということが、どうしても頭の中に入ってこなかったのだろう
そんなことはみじんも感じなかった

だけど、元子さんは、馬場さんの大ファンで、SWSで困っている馬場さんを助けに来ましたと言って入社した僕に最後のお別れをさせてくれたんだろうと思う

1月31日 日曜日
この日は一日、僕は家で朝からJRAと格闘中だった
1月なのに行われたフェブラリーステークスは地方競馬所属で初のG1制覇メイセイオペラのレースだった
メインレースと最終レースの合間、ウチの電話が1回鳴った
1回鳴っただけで切れてしまった
着信番号表示なんてない時代

2月1日に馬場さんの訃報をリリースした際、そういえば昨日の電話は亡くなった午後4時4分ころだ
もしかして馬場さんだったのかなとか思っていた

でも、いつからか、なんとなく元子さんだなと思っている
報道規制をどうしようか、そのパニックとなっている事態に僕を呼ぶか、逡巡があったのではないかなと

何とはなしに、その電話のことは元子さんに聞けないままとなってしまった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?