語る追悼2

テレビタレントとしての馬場さんには面白いシーンがたくさんあった

あんなノリのシーンは普段でも割とあって有名なのは
時代劇ファンの馬場さんが、キャピトル東急で俳優の中谷一郎さんを見かけた時
「お、弥七!」と言ってしまった、とか
プロレスファンのサザンの桑田さんが馬場さんへ挨拶に来ていただいた時
当然、馬場さんはサザンとか知らないから、後から〝今の人、誰?〟ってなって
隣にいた田中印刷のおじさんが「ボス、有名なバンドのゴダイゴです」とか

じわじわとタケカワユキヒデさんと若い頃の桑田さんは似ている気もしてくる


広報を担当して気づいたことがあった
こうした面白キャラが定着してしまった馬場さんではあったが
実はカッコ悪いことは大嫌い、ということ
やっぱ思うけど、馬場さんは昭和前半の大スター
石原裕次郎さん、小林旭さん、高倉健さんと並列に生きてきた人なんだ
いかなる時もスターである
結婚を発表しなかったのは、そういうことでもあった
だからカッコ悪いことは嫌いで取材なんか当然NGが多かった
照れ屋でかっこ悪いことの嫌いなスポーツ少年が中小企業の社長になっている
身近にいる誰かを想像してほしい


テレビ朝日久米宏さんニュースステーションのインタビュー特別企画
「最後の晩餐」というオファーは番組の内容よりその出演確認作業の方が記憶に残った
今では想像も難しい時代感だけど、馬場さんはテレビ朝日には出演できないし、しないという不文律があった

逆に新日本の選手が日本テレビに出てたりすると広報として鬼の如く抗議しなければならなかった
この頃はそれが緩み始めたかなーみたいな時代で日本テレビにテレ朝から出演依頼が入ってますと確認したらなんかあっさり出演許可が出た

でも、「死ぬ前に何が食べたいですか」というインタビューである
あの当時、終活なんてもってのほか、中年に差し掛かった年代に一番聞いてはいけないことで、なんでNG出ないんだよとぼやいた

本気で怒られても仕方ないかもしれない
でも、企画は久米宏さんとの対談で、シリーズの他の方は、いかりや長介さん、樹木希林さん、ミヤコ蝶々さん、大橋巨泉さん、美輪明宏さんや売出し中の若い女性の方々という9名だけ
なぜ猪木さんじゃないのと思いつつ、悪くないオファーでもある
しかも視聴率もすごい番組である、門前払いできない

元子さんもなにかを察して、こういうのは「あなた聞いてきて」と一任
ず、ずるい

色々なオファーや、外人選手の売り込み写真などと混ぜ込みつつ
問題の「死ぬ時に、何が食べたいですか?」というファクスに来た
馬場さんは1、2分考えてから、
「死ぬ時のことを考えるなんて、嫌なことを聞くなよ」
直後に、ターザン山本さんに「三橋さん、馬場さんに死のこと聞くなんてタブーですよーーー!!!」という電話をもらった
元子さんもかなり叱られたようであった
僕と元子さんにとって、今のこの令和三年の空気ではとても伝えることのできないエポックメイキングな出来事になった
馬場さんは死というものに対して、それだけ傷ついてしまう人なのだ、と

でも、結局、熟考の後、出演し、何が起こったわけではないけれども、その後、実際の馬場さんの死に尾を引いていたことは間違いない
また、この後、還暦記念試合の「なんだ、まだやれるじゃねえか」ってのも、色々なものを飲み込んだ上でのコメントだったと思うなぁ

馬場さん亡き後、元子さんは立春という日を一年で一番大切にしていた



1/31は『何もないころ』はハワイで過ごす日々
開幕までにゴルフでムラの出ない日焼けに調整していた日々

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