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わたしのレコード棚が大変革させられた経験・・・田中希代子さんの圧倒的な演奏に魅了された2023年。(YouTube大幅追加)

2023年を振り返ると、CDやDVDコレクションを長らく中断してYouTuberで配信されている演奏や一時期はハイレゾ配信のベルリンフィルなどオーディエンスとしてはインターネットを活用したアーカイブでその演奏力のすばらしさに満足し、たまーに新日本フィルの生演奏を堪能する、という生活パターンがしばらく定着していたはずの自分が、YouTube→CDを買い漁る、という衝動に襲われた演奏家と出会った。
知る人はすでに「なんだ」というご意見もあるだろうけれど、まさか日本の50年代の演奏家にこんなにもハマると思っていなかった。それが田中希代子さんの演奏だった。

1955年~1958年ごろの日本のオーケストラはといえば、オザワ事件より10年近く前の「ガクダン」事情で気位は高いけど録音技術がサウンドのどれだけを収録しきれていただろう・・・という関係者の自己憐憫は沢山耳にするが、デッドな日本の「多目的ホール」で在京オーケストラをバックにピアノを弾きまくる(文字通り「弾きまくる」のだ)圧倒的なピアノ演奏を実感したのだ。なんせピアノに消し飛ぶぐらいのオーケストラの音の非力さと逆に協力で骨太なリズムとぐいぐい前進して演奏をリードする姿は「圧倒的演奏」と言えるのではないか。
そう実感させたすごい演奏の一節が「サンサーンスのピアノ協奏曲第5番」だった。

1950年代に彼女が「打ち止め」にしたんじゃないか?というぐらいのサンサーンス「ピアノ協奏曲5番」

ついこの前のロン・ティボー・コンクールで大賞に輝いた亀井聖也さんの輝かしい演奏もあったばかりで、このサンサーンスの名曲の名曲たる所以をいかんなく発揮しただけでなく「コンクールで賞をとれない名曲」とプレイヤーからは敬遠されつづけてきた演目でもある。そのぐらい「やりつくされた」感のぬぐえない「出来上がった曲」でもあるわけだ。
だけど、最近亀井さんはじめ務川彗悟さんら若い演奏家たちが続々この曲を取り上げて名演奏に仕上げているのを見ると、フランス音楽の演奏法が開架する時代がやってきたのかもしれないと大げさだが思ってしまう。
でも、この「やりつくされた」どころか彼女が打ち止めにしたんじゃないかと思うぐらいの圧倒的なサンサーンスを聴かせまくっているではないか。
限られた配信の尺の中ではあるがフィナーレに向かってジワジワ・ワクワクと進んでいく加速度と前進性、躍動するリズムとキラキラ輝く旋律・・オーケストラの音がようやっとついてくるような感覚。ファイナルでやっと追いついてくるというぐらいピアノの独壇場を思わせる。こんなサンサーンスを聴いたことはないし、サンサーンスで興奮したこともなかった自分には驚き以外ではなかった。
そして、悲鳴をあげそうになるぐらい圧倒させられたのがドビュッシーの「ベルガマスク組曲」でもあった。この演奏も生き生きしたテンポとキラキラした音色でグイグイ聴かせてくれる。
田中希代子さんはテンポを揺らしたり外連味のあるルバートは一切排除した演奏であるのにかかわらず、熱と息遣いをはっきり感じる演奏。それがどんな小品でも大曲のようなスケール感を感じさせてしまうぐらい雄弁なのだ。
クロイツァーや安川さん、レヴィのスゴイところが全部入っているだろうと想像できる演奏なのだ。
YouTubeで田中希代子を探すと同時にCDの販売はないものかと探しまくるようになっていた。
アンテナが立つと面白くて、レコードレビューや名曲解説をYouTubeで展開されている徳岡さんも田中希代子にハマったという話題提供をされており、マニアとしては超S級の徳岡さんには遠く及ばないが、入手可能な数枚を手に入れてワクワクしながら聴いている。どれもすごい。

キュートでシャイだろうなあと思われるたたずまいの田中希代子さんが、いざステージでは別人のような巨匠の演奏をやってのけているのが外見とのものすごいギャップでショックを受けるわけだが、それだけ演奏に対して真摯に生き抜いた方でもあったことが、大きく澄み切った目からもよくわかる。


現代のラフマニノフ演奏はこうあってほしいと思わせるインテンポの演奏。

ある意味では、クライバーンコンクールで圧勝した辻井さんのラフマニノフも前進性のある演奏だったが、ラフマニノフの抒情をいかに引き出すか、スターリン時代を目の当たりにしたロシア人の苦悩と向き合う事、後期ロマン派のほろ苦い耽美に傾いた演奏のしっぽをいかに香らせるか、という風のテンポルバートが出やすい曲を、ある意味拒食を排除して一気に駆け抜けるような演奏でスタートするのは勇気がいることだ。
だが、フランス音楽のインテンポは1拍目と2拍目と3泊目と4泊目それぞれ微妙な揺れはあっても小節やコードの進行では同じ枠内に収まるからテンポが速くなったり遅くなったりはしない。むしろメロディや和声の奏でるサウンドの移ろいとして位置づくだけであって、ドイツ音楽のように四角四面に1・2・3・4で拍が押されていないような錯覚を覚えるのだが、でもしっかりインテンポなのだ。
そのフランステイストとドイツ→ロシアの構造的な音楽と音場の構築の堅牢さというのがラフマニノフの音楽の場合合体するとかくもインテンポで脂身がとれてくれるものなのかと思わされる。ロシアやポーランドのバレエのようなストイックでいながら情熱的なステージの熱がある。しかしそれでいてソヴィエトロシア式の脂ぎったピロシキのような音楽ではない。最悪、冷めた揚げパンになりやすいラフマニノフやショスタコーヴィチが山のようにあるではないか。
これがライブ演奏で、現代のNHK交響楽団や新日本フィルぐらいの演奏力とホールで田中希代子が弾くことがもしあったならレコードアカデミー賞だけでなく10日ぐらいホールが満員になるのではないだろうか。



ベートーヴェンピアノ協奏曲5番やショパンコンクールのピアノ協奏曲第一番は現代の演奏そのものだし「勿体つけたベートーヴェン」演奏や外連味たっぷりの「日本のショパン弾き」と言いたくなる日本人特有の演奏とは隔絶された世界で演奏できるピアニストが1950年代にすでに育っていたということのすごさを思うのだ。

インタビューでしきりに日本に滞在してピアノの先生やるんでしょ、式の質問が飛び交うのも当時の時代を反映しているんだろうし、安川加寿子さんを頭においた質問だったのかもしれないが、田中希代子の回答は「いえまだこれから演奏会のお約束があるのでヨーロッパに戻ります」演奏家の当たり前を貫いている回答で日本の演奏家とくに女性ピアニストのおかれた立ち位置と想定問答のレベルの低さに対して「お約束した演奏会はきちんと果たさねばならない」という演奏家の当たり前が身に着いた人の言葉の重みを感じる。同時に、その言葉を裏付ける演奏の片りんがサンサーンスの協奏曲やショパン、ベートーヴェン、ラヴェル、そして圧巻のラフマニノフ・・・
どれからも激しく沸き立つようなエネルギー溢れる演奏が炸裂するのだから、ヨーロッパで引っ張りだこになるのもよくわかるし、彼女のひたむきで雄弁な演奏があったればこそ、中村紘子が10年後に活躍しやすかったのだろうし(欧州でさんざん田中の名前を言われて「ムカついていた」中村があったのかもしれないし、欧州では宮沢明子など欧州で活躍しっぱなしで日本に帰らなかった日本人演奏家ワールドクラスの演奏家が沢山いたのだ。)田中希代子も強靭な体力に恵まれていたら安川加寿子さんが退官するまでは日本に帰ってこなかったかもしれない。

https://youtu.be/K3YsxkA_ztg?si=sHr4mkasXAAtBb2z


最後にショパンコンクールの予選会でのエチュードの演奏を紹介しておく



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