こゝう『思考整理ノート』

都内在住。 【映像作家/クリエイティブディレクター/カメラマン/メディアアーティスト】…

こゝう『思考整理ノート』

都内在住。 【映像作家/クリエイティブディレクター/カメラマン/メディアアーティスト】 映像と、音と言葉と画をクリエイトして生きています。

最近の記事

アール・ブリュットの定義について/Helalbony『異彩の百貨店』

人は 自らを通ったものしか 真に理解しあえない それなりの時間を生きてみた感想 (もちろん例外もあるだろうけれど) だけどそれをどうにかしたいから 誰かと分かち合いたいと願うから 人は芸術を生むのかもしれない だから集い、話し、歌い、かき、奏で、演じ、触れ合うのかもしれない ヘラルボニーのアーティストさんたち 彼らと同じ境遇にいる愛する息子を通して 僕は彼らを知った 2017年 息子を通して アドルフ・ヴェルフリ『二萬五千頁の王国』 を観た時はぶっ飛んだ 息子を通し

    • 『理想と現実について』/マティス展/Henri Matisse:『 The Path to Color』

      理想と現実の衝突 人生はあらゆる衝突でできていて その間の隆起したところで バランスボールに乗ってるみたいな格好で 人はある種の「妥協」と共に生きている (と勝手に思っている) フォービズムというものに対して (小生の浅はかな知識の中でだが) 「自分のクリエイティブとは違う領域のもの」 という偏見があった けれど結局ひっくり返った 誠に僭越ながら マティスの言う 「色彩とデッサンの衝突」 「色彩と線描の衝突」 のジレンマ(課題)が よくわかる気がしたからでR 映像・映

      • 『抽象というものについて』アーティゾン美術館_『ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ』

        短時間でいかに多くの情報を収集できるか 深さや真意などより表面的な数字 「目に見えないわかりにくいモノ」を退け 「目に見えるモノ」 「自分の脳に優しいモノ」だけをチョイスできる時代 社会(特にビジネスシーン)にいると 「抽象」という存在がひどく弱いものに思える瞬間がある 社会が求めているものは「具象のみ」であるような気さえしてくる けれどいざ社会を抜け出すと 「抽象」は時として 否、 ほとんどの人間活動のシーンにおいて いかなる表面的・具体的な「説明」よりも 強い共鳴を運

        • 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』/美学とアートとクリエイティブについて

          実家の近くに記念館があるので、小さい頃から谷崎潤一郎という名前には親しみを感じていたが、まともに読んだのは二十代半ばだったと思う。 さてこの『陰翳礼讃』。 谷崎が日本の「美」について(特にその影と闇について)語る一冊。 欧米ディスのようにもとれる部分も多いwが、個人的に日本カルチャーが好みだし(サリンジャーやアップル、ゴッホなど強い興味を抱いた対象も、奇しくも禅や東洋思想、浮世絵に傾倒していたということが多い)、 『日本』の『美』の真髄は「装飾」ではなく『影』にあり、と語る

        アール・ブリュットの定義について/Helalbony『異彩の百貨店』

          J.D.サリンジャーについて/『バナナフィッシュにうってつけの日』は『サリンジャー入門にうってつけの書』

          ちょうど去年の今頃、蔦屋で発見して即買いした 「しししし3 特集:J.D.サリンジャー」 サリンジャーなんてものは、昨今の若者からは敬遠される存在 (流行ってすぐくらいの頃の『アキネーター』ですら「サリンジャー」を当てられなかった) であると思っていた。 「サリンジャーに傾倒した時期がある」 などと言うと、いろいろな意味で、 「ある種の人間」としてカテゴライズされてしまうのではないか という自意識が働き、なんとなく避けてきた節がある。 (この自意識が、またサリンジャーぽい

          J.D.サリンジャーについて/『バナナフィッシュにうってつけの日』は『サリンジャー入門にうってつけの書』