冬空の下であれ、言葉は容易に溶けてゆく
2人の間に、僕の言葉が溶けてゆく。
言葉は、恐ろしいほど質量が軽く、儚く、頼りない。
それでも、僕は言葉に依存するしかない。できるだけ多くの願いや思いを込めて、それを織りなす。
体、行動、芸術…。世の中には色々な伝え方があるけれど、結局、言葉にすることが多い。そして、文字や口にした瞬間、胸の内に抱えていたモノが空虚で軽いモノに見えて仕方がなくなる。もう少しだけで良い。言葉に重みを持たせることができる力を、僕にください。そう、願うことが増えた。
どうしたら、この胸の内にあるモノをそのままに伝えることができるだろうか。長年、何気なく聞いていたラブソングの類が、一層輝いて見える。いずれの楽曲も、そこにあるのは詞を描いた人が、その瞬間に抱えていた胸の内であり、共感を超えたモノを感じるようになった。その人が、見ていた世界を追体験する。
ラブソングをはじめとした楽曲だけではない。世の中にある全ての言葉が、美しくて仕方がない。小説の何気ない一節。そこに作家は生きており、その時間がある。街中の商業的なキャッチコピーだってそうだ。下敷きには商品があれど、そこには紛れもなく人間が存在する。その時の胸の内を、何とか言葉にして、そこに現前させているのだ。
僭越ながら、僕がいま書いているこの文章だってそうだ。
こうして文章にしてしまうと、あまりに稚拙で、皆目見当がつかない怪文書に見えてしまう。しかし、何とか、いま胸の内にある複雑な何かを言葉にしたくて、表現したくて、文章を紡いでいるのだ。
安っぽい、安っぽい。
だけど、ここにある僕の思いはリアルなものだ。それを証明できることだけが、この文章の救いだろう。
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