週刊!しゃべレーザー【続きが気になる話】の続きの話。

SBSラジオ「週刊!しゃべレーザー」の「続きが気になる話(11/5放送分)」をまとめて物語にしてみました。
暇つぶしにどうぞ。

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めずらしく家の固定電話が鳴った。

「もしもし、室井さんのお宅ですか?」
若い女性の声だ。とても慌てている。
「はい、そうです」
私はつとめて静かに返答する。
「ご主人の部下の小泉といいます。室井部長が会社で急に倒れて…。急いで病院まで来てもらえますか?」
さらに慌てた様子で、早口が増す。
この様子じゃ詳細を聞くのは難しそうだな。
私は「分かりました」とだけ言い、病院名を聞いて受話器を置いた。

リビングの窓を閉め、カーディガンを羽織る。そして2階に声をかけた。
「お母さん、ちょっと病院に行ってくるから」
返事はない。
私は玄関の鍵をかけると、車に乗り込んだ。

国道は渋滞していた。
病院までは10分ほどの距離だが、これでは倍の時間がかかりそうだ。
「やっと終わるんだ…」
ハンドルを握る手に高揚感と虚無感が入り混じる。
「始まりはいつだったのかしら?」
目の前にはテールランプの赤い光の列が果てしなく続く。
多分、あの日だ。
息子のリュックから【おにぎり】が出てきた日。

***

2年前の秋だった。
クローゼットから息子のリュックが出て来た。お気に入りの赤いリュック。
学校の遠足にも家族旅行にも一緒に出掛けたリュック。息子の分身のようなリュック。懐かしい。愛しい。

噛み合わせ悪くなったジッパーを力まかせに開けると、中にはコンビニの【おにぎり】が入っていた。
もちろん未開封。具はシャケ。賞味期限を見ると9年も前だった。
「ユウと最後に出掛けたのはいつだったかしら?」
記憶を辿ってみたが【おにぎり】を買った日は思い浮かばなかった。
息子との思い出は何一つ忘れていないつもりだったが、やはり記憶は薄れるのだな。
9年という月日の長さを実感した。

一方で【おにぎり】は9年前の姿を留めていた。
ご飯はカチカチになっているものの、カビも生えず、見かけは当時の状態を保っている。
「コンビニおにぎりは腐らないと聞いたけど本当なのね」
その姿は不思議でもあり、忌々しくもあり、同時に希望のようにも思えた。
この9年ですっかりダメになった私の家族にも、幸せだった時が確かにあったと、【おにぎり】が教えてくれたように思った。

***

病院へは30分かかった。主人のかかりつけの総合病院。
受付で名前を言うと、病院のスタッフさんより先にスーツの女性が声をかけてきた。
「室井部長の奥さんですか?」
「そうです」
「お電話した小泉です」
「いつも主人がお世話になっています」
こんな緊急時だというのに、社交辞令的な挨拶をしてしまう。
「で、主人はどうしたんですか?」
「実は私もよく分からなくて…。倒れた時に一緒に居たわけじゃないので。とりあえず救急車に一緒に乗ってここまで来たんですけど…」
小泉さんがしどろもどろしていると、看護師さんがやってきた。
「室井さん、会社で倒れて救急搬送されました。いま意識がない状態です。検査が終わり次第、先生から説明がありますので、それまでお待ちください」
と、病院の奥へと促された。

***

【おにぎり】を見つけた後、クローゼットを片づけ、主人の帰る時間に合わせて夕食を作った。
結婚以来続いてきた毎日の習慣。
それともう一つ、新しい習慣がある。
出来上がった料理を1人前盛り付ける。トレーにのせて、2階へ上がる。
息子の部屋をノックして、ドアの前にトレーを置く。
そして空になった皿と、脱ぎ捨てられた服を回収する。
「ユウくん、ちゃんと食べてね」
返事は無いと分かっていても、毎回声をかける。そして返事がないことに毎回失望する。
あの赤いリュックを背負って「行ってきます」と飛び出していた息子の顔が浮かぶ。
もう一度、あの頃に戻りたい。いや戻れるはず。
そう自分に言い聞かせた。

リビングで【おにぎり】を眺めていると主人が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
感情のこもらない挨拶を交わす。
鞄を置き、スーツを脱ぎ始める主人に向かって声をかける。
「今日ユウくんのリュック見つけたの。中を開けてみたらね、9年前のおにぎりが出てきて…」
主人は私と、私の手の中の【おにぎり】を一瞥し、
「汚いな、すぐに捨てろよ」
と吐き捨てるように言った。
「このおにぎり、9年前どこに行った時のだと思う?」
苛立つ気持ちを抑えて、勤めて明るくたずねてみる。
「(そんな面倒なこと聞くなよ。9年前の話なんて覚えてないよ)」
と言いたげな目つきをして、主人は洗面所へ消えていった。

以前の主人は、帰ってくると「ユウは?」と必ず聞いた。
話の中心はユウだったし、ユウの事で喧嘩もしたし、一緒に泣いた事もあった。
でもいつしか、ユウが部屋から出ないことが日常になっていった。
そうね。あなたにとってユウも私も、名前だけの家族だものね。もう、どうでもいいのよね。
一緒に食事をしなくなって久しい。とっくに寝室も別。会話もなく、愛情もない。

家族が壊れていった理由は、私と主人では違うと思う。
主人は、ユウが引きこもったことが原因だと思っている。
私の教育の仕方が悪かったせいだと、自分は被害者だと言わんばかりの目で私を見る。
でも、ユウは私はにとっては可愛い息子。引きこもっていても、そうでなくても関係ない。
それを「失敗作」のように言う主人こそが悪の元凶だ。

***

外来診察室のさらに奥にある、廊下の待合いでしばらく待たされた。小泉さんも一緒に待ってくれていた。
「立ち入ったことだだったらすみません。部長はどこか具合が悪かったんですか?」
黙ってるのが辛くなったのか、小泉さんが聞いてきた。
「なぜですか?」
「部長、ランチの後で薬をのんでいたので」
「実は主人、ちょっと持病があって、ここの病院に通ってたの。日常生活にはほとんど支障なかったから良くなってたと思ってたんだけど」
「今回のこともその持病が関係してるんでしょうか?」
「さあどうかしら?」
時計に目をやった。もう30分以上待っている。
「奥さん、落ち着いていらっしゃいますね」
本当にそうね。私、落ち着いてる。とても。
「そうでもないわ、ただ他にできることが無いから」
当たり障りなく答える。
「息子さんには連絡されたんですか?」
小泉さんが心配そうに言う。
息子に連絡?どうして息子が出てくるの?
私の表情を察して小泉さんは続けた。
「息子さん、海外に留学されてるんですよね?いまコロナのことがあるから、帰国するにしても大変かなと思って…」
ああ、そういうことか。主人は架空の息子像を作り上げて、周りに吹聴していたんだ。
私は「ええ」とだけ答えて、言葉を濁した。
そう言えばよく主人は「引きこもりなんて恥ずかしい」と言っていた。
ああ、主人は息子の事をこんな風に言ってたのか…。男の変な見栄に気分が悪くなった。

「そう言えば」
私は話を変えた。
「会社の近くって鳩のフンの被害がすごいんですって?」
唐突に変わった話題に戸惑いながらも、気まずい空気を避けるように小泉さんは答えた。
「よくご存知ですね。そうなんですよ。鳩の大群が住み着いてて、フンの被害とかすごくて…」
鳩がよほど腹に据えかねるのか、小泉さんは熱のこもった早口で話しだした。

そう【鳩】なのだ。私を変えてくれたのは。

***

ある日の買い物の帰り、公園のベンチで空を見ていた。
家に近づくといつも想像してしまう。私が玄関のドアをかけると、「お帰り」とユウが出迎えてくれることを。
でもそれは現実になることは無い。でも想像せずには入られない。
希望と絶望を繰り返すのに疲れていた。
家に帰るが苦しかった。

「プログラマーですか?」
黒いコートの男が、突然声をかけてきた。
「え?違います!」
スーパーの袋を抱えたカーディガンの女が、どうやったらプログラマーに見えるというのだろう。
そんな私の戸惑いを意に介さず、男は続けた。
「あ、そうですか。じゃあ、要りますか、鳥?」
男は右手には生きた【鳩】が握られていた。【鳩】をグイッと私の方に突き出す。
まん丸の鳩の目と視線が合い、思わず身をのけぞる。
「要らないです!何なんですかあなたは?」
本当なら大声で叫んで撃退すべきなのだが、男の身なりや物腰が紳士的なので、声を荒げるのをためらってしまう。
「あなたは誰ですか?何なんですか?」
逃げればいいのに、思わず聞いてしまう。

「私はあなた自身…、いやあなたの影でしょうか?」
男はそんな意味深な事を言うと、【鳩】を掴んだ右手を空に向かって突き上げた。
円を描くように鳩を振る。【鳩】が太陽の光と重なった瞬間、【鳩】が消えた。
「え?【鳩】が消えた!?なに?あなたマジシャンなんですか?」
混乱しながら、周りを見渡す。
たくさんの人がいるのに、私たちに気付いている人はいない。ここだけ別世界にいる感覚。
何なの、コレ?気持ち悪い。

「あなた、死にそうな顔をしていますよ」
私の横にゆっくり腰かけて男は言った。
「唐突に何を言うの?」と思ったが、確かに死にそうな顔をしていたかもしれないと思った。
「あなたは幸せになります」
男はゆっくりと、そして諭すようなトーンで続けた。
「あなたが幸せな状態は何か、をしっかり思い描いてください。あなたが誰かを幸せにしている状態ではありません。
あなた自身が幸せになった状態を明確にするのです」
「自分が幸せになった状態…」
すこしハッとした。ユウが幸せになった状態、家族が幸せになった状態の事ばかり考えてきた。
「そう、あなたは自分の幸せを、自分の意思で、自由に決めることができるんです」
そういって男は私の顔を覗き込んだ。

私の戸惑いの表情を読んだのか、私の言葉を待たずに彼は続けた。
「やはり【鳩】を差し上げましょう。あなたには必要です」
男はコートの内ポケットに手を入れると、すっと差し出した。
彼の手の中には【鳩】がいた。
【鳩】を私の膝の上にそっと置く。さっきより小さな【鳩】だった。
「この【鳩】はあなたの行くべき未来を指示してくれますよ」
男はゆっくり立ち上がると軽く礼をして立ち去った。
いろいろ聞きたいことがあったが、言葉にならなかった。
【鳩】はつややかで、あたたかかった。
いらなければ、このまま空へ離せば済む。
でも私はそうしなかった。
ユウが【鳩】に興味を示してくれるかもしれない、という期待もあったし、
この不思議な【鳩】が私に幸せを運んでくれるような気がしたのだ。


家に帰ると、とりあえず段ボール箱に空気穴をたくさんあけて【鳩】をいれた。
【鳩】はおとなしかった。
明日小屋を買いに行こう。飼い方も勉強しよう。
後でユウにも「【鳩】を買うことにした」と声をかけてみよう。
そんな久しぶりのワクワク気分は、主人の帰宅で吹っ飛んだ。

玄関で【鳩】を見つけるや否や、主人は烈火のごとく怒りだした。
「なんで家の中に【鳩】がいるんだ?【鳩】を飼う?馬鹿な事をいうな!
文鳥やインコと訳が違うんだ!
だいたい【鳩】は病原菌を持ってるんだぞ、知ってるのか?
うちの会社だって今【鳩】のフン被害が大問題なのに、家に帰ってからも【鳩】なんて勘弁してくれよ!」

主人は玄関を開け放つと、段ボールごと外に放り投げた。
「やめて!」
と叫ぶ声むなしくダンボールは地面にたたきつけられた。
その衝撃で蓋が空き、【鳩】は夜空へと飛び去っていった。
「ひどい…」
茫然と立ちすくむ私に、主人は言った。
「ヒドイのはどっちだ。許可なく【鳩】を連れて帰るお前のほうがヒドイだろ。
もう飯食う気もなくなった。外で飲んでくる」
バン!と叩きつけるようにドアを閉めて主人は出ていった。
【鳩】が見たいとユウが部屋を出てくれて、主人と一緒に【鳩】の世話をする未来を、夢見ていた私がバカだった。

「あなた自身の幸せな状態は何?」
コートの男の声がリフレインした。主人はもう、私を幸せにしてくれることは無い。
私は2階のベランダにあがり、生米と雑穀を少しだけ置いた。あの【鳩】が帰ってくることがあれば、食べられるように。
【鳩】さん、ゴメンナサイ。
私は夜空に小さく呟いた。

***

病院に来て1時間も経った頃、ようやく診察室に呼ばれた。
小泉さんは少し前に、一回会社に戻ると言って出ていった。
主治医ではない、初めて見る若い先生が説明してくれた。
「実はまだ検査の途中なのですが、症状は肺炎がかなり重症化しているのと、髄膜炎を併発しています。
ご主人は肝臓の治療もされてますし、アレルギーもお持ちです。
原因はもう少し詳しい検査が必要ですが、いまかなり危険な状態なのでこのまま入院になります。
コロナの関係で今のところ面会は出来ませんので、ご了承ください」

要するに『原因は不明で、危ない状態』いうことだけ分かった。

「奥さん、大丈夫ですか?全力を尽くしてますので、気をしっかり持ってください」
若い先生に励まされてもこそばゆいな、と思ったが、
「ありがとうございます」と殊勝に頭を下げた。
あとは粛々と手続きが進んだ。たくさんの承諾書を出され、サインをし、入院の説明を受け、手続きをした。


***

結局、主人は回復することもなく。帰らぬ人となった。
コロナの関係で、入院中一度も面会できないままだった。
最後に会った主人の顔はどんなだっただろう?全然思い出せない。

主人を死に追いやったのは「クリプトコックス症」だった。
「クリプトコックス症」とは、鳩が媒介する感染症で、乾燥したフンを吸い込むことで発病するらしい。
もともと持病があったことと、最近仕事も多忙で過労だったことが相まって、重症化してしまったんだろう、とのことだった。

コロナを理由に、お葬式は最小限にした。
主人は一人っ子で両親はすでに他界している。親戚には連絡だけして参列は不要と伝えた。
主人の友人は知らない。葬式は私と、そして会社で親しかった小泉さんと金子さんと渡辺さん3名だけのさみしい式だった。
会社の人には「息子は海外から帰って来れなくて」と言っておいた。

すべが終わって家に帰る。
2階に上がって、ドア越しに声をかける。
「ユウ、お父さんのお葬式終わったよ」
返事はない。
そしてベランダにいく。
「遅くなってごめんね」と餌を置く。
ベランダの桟には鳩のフンがびっしりついている。
「これももう掃除しなくちゃね」。
フンを吸い込まないように気をつけながらベランダの窓を閉める。

このベランダは主人の寝室に続いている。
天気のいい日、風の強い日は、常に窓を開けておいた。2年も経てば部屋の隅々にまで乾燥した粉が散らばっているはず。
食事にも振りかけてあげたわよ。あなたが好きだった料理にほんの少しずつ。
「鳩がフンが毒になるって教えてくれたのはあなただもの。自業自得よね」

これから私自身の幸せな未来を生きていく。ありがとう【鳩】さん。

(了)

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