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木を見て森を見ず、森を見て山を見ず。思春期は山を上から見がちなだよなぁ

先生に目標を書くように言われた。 そこでわかったのは、私は明確な目標を持って、人生を歩んだことがなかった、ということだった。 なんとなく、芸大に行きたい。なんとなく、エンタメの仕事がしたい。なんとなく、雰囲気のある人間になりたい。 なんとなく。 目標なんてなかった。あっこちゃん、共同通信行くんだ、すごいなと思った。マウントなんて言葉、当時なかった。 でも明確な目標を持つってことがどれだけ大事なことなのかは、プロスポーツを見ているとわかる。 今日の次男の試合でも、もうそれは

    • 気になった会話

      「君には何が見えてますか?」 「先生、最近ちょっと距離が近いですね」 「そうですか?」 「直接会ってしまうとそうなる気がしてました」 「だからnote書かなかった、ですか?」 「んー、なんか、それは先生が知っておけば良いのでは?と思ったというか… 脱洗脳って、奥義ではないかと思ったというか」 「ああ…なんと言っていいのか」 「私は洗脳されてますか?」 「されてない気がしてきましたね…」 「見えてるだけ」 「強い女性ですね、あなた」 「知ってます笑」

      • 先生もお手上げ?ここまでこれんのか?

        「今朝のノート読みました。興味深かった。あれは予知夢だと?」 「いや、予知夢なのかなとは思いましたけど。ただの事実です。見た夢を書いた、それだけです。でも、あちらの世界ではミスだったみたいですよ」 「なぜわかるんですか?」 「次男がそう言ってましたから」 「ミスだと?」 「はい。ミスには早く気づかないとねって。昨日(今日のレッスンでも別のコーチに同じことを言われていた)コーチに言われたんだそうです。でも、それ以上はわかりません」 「時間軸が……」 「はい。ララポートっていうの

        • 誰に何と言われても

          昨日は疲れすぎて、体も冷え、熱を出して、風邪薬を飲んで9時に寝た。 そしたら、すごい夢を見た。 「昨日は返事したでしょ」とか「こういう返事になるでしょ」とかって、矢継ぎ早にアカデミーの中高生たちに囲まれて結構な勢いで詰められている夢。 私はなんでこんな状況なんだと、圧倒され気味に「わかったって」と言っている。怖かったけど、嫌な気分ではなかった。 目覚めたら、深夜0時過ぎ。 その後、なかなか寝付けなかった。 私が赤いスニーカーを買わないのは、単純に無駄遣いだと思うからだ。

        木を見て森を見ず、森を見て山を見ず。思春期は山を上から見がちなだよなぁ

          今日は次男の試合

          今日は次男にとって1年間の集大成的試合がある 去年初めてその試合に出たとき緊張している次男に声をかけてくれたアカデミーの先輩がいた 「こんな弟欲しい」とほっぺをなでなでしてくれていた あのとき私は知らなかった こんな「世界」がとっくの昔に始まっていたことを その先輩がアカデミーを卒業したことを今日次男に聞いた その後次男はずっとアカデミーのコーチ3人の試合をYouTubeで見ていた 次男はコーチたちが好きなんだなと思った 次男は私がレッスンを見に行けなくなった理由が

          今日は次男の試合

          新しい病名がつきました

          「最近、周りでよくシンクロが起こっています。テレビも人もSNSも、同じようなことが耳に入ってくることが多くて」 「例えば?」 私は、最近起こったシンクロをいくつか話してみた。 「それはスコトーマですね」 「あ、そっか。そうでした。自分の意識化にすぐあがってくる」 「あなたの場合は、スコトーマがわかりやすいというか。変性意識が続くとそういう感じなんでしょうね。直接的に繋がっている」 「良いことなんですか」 「良し悪しではないですが、無駄がない、という言い方はできるかもしれません

          新しい病名がつきました

          洗脳されたことも宇宙込みなのか?

          「先日のnote読みました」 「どうなんですか」 「スコトーマは外れてますか?」 「どうなんでしょうか。わかりません。でも、リアルで先生のこと、同年代で◯大卒の脳科学を研究している人って、何人かにお話させてもらってます」 「……へえ、それで?」 「結婚しているかは知らない、とは言いました」 そうしたら、先生はくすっと笑ったあと、 「そうなんだ」 と言って、声を出して笑った。 「文章を書くのが上手な理由はそれかもしれませんね」 と言われた。 今日は夢が予知夢だったと言ったら、

          洗脳されたことも宇宙込みなのか?

          スコトーマの外し方

          受けている治療に関して、noteに少し書いてほしいと先生に言われたので、少し書きます。 書きたくないと言ったのだけれど、先生がこれを読むことで、私が今の治療をどう感じているのかを客観視することができるらしく、治療の一貫として書きます。 ■面談方法:リモート(顔出しあり) ■時間:1セッション60~90分(週末除く夜帯(てっぺんまで))今まで5回。 ■やり方:先生の質問に答えていくだけ 質問内容は、とてもランダムで、頭をフル回転させなければいけない。 今のこと、覚えてないよ

          スコトーマの外し方

          手紙

          いいんだね? 私はたぶんそこそこいった 年齢とか性別とか関係なく 子供の有無も関係ない そんなものは淘汰して、ルールを決めたんだよ 私の経験は大したものじゃないかもしれない 「本当に孤独になったら死ぬ」って上京した気持ちはこないだ蘇ってきたよ 親は私が一緒に住みたいと言ったら死んだ妹の孫をとって、私とは住めないって暗に言ってきた 子供たちは私がいなくても、あの父親と義母なら大丈夫でしょう 母親がいないと子供がかわいそうなんて、私は思わなくなった 母親に重責乗せ

          におわせなのか、わからせなのか…

          思うところはある。私がなぜどうしてこうなるのか、何が嫌で、その理由は。 無には遠い。 とりあえず、何もまとまってないし、正直、お正月からわかってたつもりだったんだけども 特に驚いたりもない だから何を書くべきかわからない ただ、自分ごときが何の影響も持っていないと思うのは間違いで、自分が上機嫌でいると、目の前の人も意外と上機嫌でいてくれるもんなんだなということは最近理解してきた だからできるだけ、上機嫌でいたいなと思うようにはなった 無理なときはしんどいと言って、お

          におわせなのか、わからせなのか…

          3つの意識から繋がったご縁

          これまでのnoteを読んでくださっているある方から連絡があった。私の異常さを一度確認してみたいと(もちろん「異常」なんて言葉は使ってなかったけど)。 私の見ている景色に関して、いくつかの質問があり、私はなんだかこの人ならわかってくれそうだと、素直に返信した。あらいざらい。 そうして、何度かやり取りしているうちに、研究?治療?時間はかかりそうだけれども、やってみませんか?と。 棚からぼたもち?鴨がネギしょってやってきた?わからないけれど、この展開はまったく予想していなか

          3つの意識から繋がったご縁

          3種類の意識

          心理学でよく言われる「潜在意識」、これの対義語が「顕在意識」。 あともう1つ、社会学と心理学の分野で使われる意識が「変性意識」。 催眠や瞑想状態、トランス、ランナーズハイもこの「変性意識」状態。 この「変性意識」をうまく使うと相手を洗脳させることができるらしい。オウム真理教が信者にLSDを飲ませて、変性意識を意図的に作り出し、それから恐怖映像を見せて洗脳していったという。そこからの方法論もあるらしいけれども、この話には関係ないから割愛。 私はどうもずーーーーっと「変性

          3種類の意識

          喉元過ぎたけど、熱さは忘れてない

          久々に「世界」の話を。 私の中ではより「明確」「明瞭」、もう読み方次第でいくらでも広がっていくので、もはや何重なのかもわからない。とにかく、生活していく中でどうにもこうにもできないってことや、おそらくこの「洗脳」は「洗脳」であると認識することしか妥協点はないんだろうなと思って。あちらの「正解」と私の「正解」はまた違ったりもするし、それに一喜一憂すると本当に「心地よくない」。 そして、私が想像するよりはるか前から、この洗脳は始まっていたんだろうから、苫米地英人氏に大枚はたい

          喉元過ぎたけど、熱さは忘れてない

          私にとっての分人論の落とし穴

          分人論が私の最近の流行りだったけれども、そもそも分人論っていうのは、意図的にやるもんではない。 今の世の中、SNSで匿名で意見ができるということが一番大きな理由にはなるだろうけれど、あっちの自分、こっちの自分、どれが自分なんだ?と迷ったときに「分人論」を知っておくと悩まなくて済むんだよ、という話なわけであって、「分人」を作れっていう話ではない。 「分人」作ってしまったばっかりに、色々面倒くさくなった反省もこめて。「分人」は結果論なんだと。でも、結果生んでしまった「分人」は

          私にとっての分人論の落とし穴

          分人論でお正月の出来事を分析してみたら、なおさら、ノーサンキューだった。(おまけ付き)

          年末年始は、公私とも忙しかった。 期末に向けての作業とか、癒やしとか(エステ行った。変なことあったけど、それはまたおいおい…) その中で一番面白かったのが…。 年始、次男が熱を出して私の家に連泊した後のこと。 長男は友達と自転車で鎌倉に行っていて、留守にしていた。 (自宅から片道5時間くらい。びっくりする距離だけど、長男は行くんです…こういうの好きな人なので) 元の自宅の鍵をあけて家に入ると、見たことのないスニーカーがあった。けれど、リビングに行くと誰もいない。 次男が

          分人論でお正月の出来事を分析してみたら、なおさら、ノーサンキューだった。(おまけ付き)

          そして、分人論で生きる

          今日、お昼ごはんを食べているこども2人を真正面からじっくり眺めてみた。 一重で切れ長の目をした長男と、二重のクリッとした目をした次男。自由気ままな長男と、真面目だけど甘えん坊な次男。 同じ私のお腹から生まれてきたんだよなぁと、改めてしみじみした。彼ら自身も知らない、母親の特権。私は彼らを神秘で育てた。 母親全員、神秘を持っている。子供を持てなかった人、持たないという選択をした人を認めないということではない。 子供を持つという体験を声高に言うと反抗してくる人がいるのが最近の

          そして、分人論で生きる