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あなたが疲れ果てた時、私は。

12年間勤めたNHKを退職して5年が経ちました。

退職直後は「喧嘩して出て行ったんですか?」「ニュース番組から《きょうの料理》に担当が変わるのが嫌だったのですか?」など色々と聞かれることも多かったのですが、そうではありません。

喧嘩なんては現場にいれば日常茶飯事、上司と部下がぶつかり合わない環境の方が不健全。新人の頃から言うときは言います!というスタンスを貫いていたのでそれが原因ではありません。食文化を伝える《きょうの料理》は人々の営みそのものでまさに報道。担当が決まってからは米国の留学先からメールを使って担当プロデューサーと事前にああしよう、こうしようと連絡を取り合ってもいました。

(先日、久しぶりに再会したニュースセンターの上司が「え!お前、きょうの料理が嫌で退職したわけではないんか!?」と真顔で驚いていたので念のため書いておきます。)

受信料で育てられた自分の役割について待ったなしで全速力で本分を全うしたいという欲求がより強くなったのが退職の理由です。

公共放送とは何か、まさに自分自身でその言葉の意味を因数分解した結果が、現在の活動につながります。公共とは、広辞苑を引くと【社会一般。おおやけ。「−の施設」】と書かれています。

では公(おおやけ)とは何か。同じく広辞苑では、天皇、政府、国家、社会、世間、私有ではないこと、公共などと書かれています。公共という概念はpublicを英訳したものと言われています。publicを英和辞典で引くと【①民衆、大衆、庶民 ②公、公衆、公共、公立】など抽象的な概念が並びます。

社会とは何か、公とは何か、公共の蓋を開けると次から次に因数分解しがいのある言葉が出てきます。

僕自身の回答。

「公共とは一人一人が自由に幸福を追求できるよう、表現し、活動し、互いに思いやることができる環境であり、一人一人が当事者として自立し、かつ支え合う環境をさす。」

公共放送はまさに個人が活躍するためのみんなの放送であればという思いが強くなっていったのです。公共と冠がつくのに、僕らはNHKの電波も、施設も、蓄積された放送資料も自由に使うことができない、そんな不満を解消していくことが必要だと思いました。自らの理想の公共放送像をさらに追い求めてみたいと思い、退職し、伝える人たちと共に発信するメディア環境をつくっていこうと決意したのが始まりです。

NHKを飛び出してみると、メディアに関わる様々な人たちが「伝える人と共にあるメディア」の在り方に共感して力を貸してくれました。恵比寿新聞の高橋編集長、コピーライターの阿部広太郎さん、恵比寿ガーデンプレイスやamuの皆さんと共に立ち上げ運営してきた「伝える人になろう講座」以外にも、「一緒に何かやりましょう!」と真っ先に声をかけてくれた、講談社の瀬尾傑さんや毎日新聞の佐藤岳幸さん、ハフィントンポストの松浦編集長、フジテレビやテレ朝、日テレ、TVK、TOKYOMX、テレビマンユニオンの皆さん、J-WAVE、Yahoo!やGoogleのみなさんをはじめ、ラジオ、テレビ、ネットメディア、出版、様々な環境で働く同僚たちが共に声を上げてくれたのがとても励みになりました。

そして講座を開くたびに受講生として駆けつけてくれた「伝える人」たち。学び、知るだけではなく、発信の当事者として何ができるかを真摯に自問自答する参加者の姿に僕も運営側のとても勇気付けられました。

メディアリテラシーや発信の技術を学ぶために始めたこの講座でしたが、社会問題の当事者と共に考え、悩み、処方箋を書くために知恵を出し合う場へと発展。

シリアやパレスチナといった紛争地域での難民支援を続ける団体の皆さん、発達障害や身体障害と共に歩む皆さん、LGBTsの当事者や仲間になりたいというアライのみなさんなど、まさに一次情報をもつ当事者のみなさんを迎えて、受講生と共に考える機会へと繋がっていきました。

毎回講座では、次々と手が上がり「私はブログに今日の講座の内容をまとめて記事にします」「僕は寄付します」「私たちはイベントを手伝います」など「伝える人」たちが、各々の得意な形で発信を始めていく姿が大変頼もしくもあり、誇らしい気分にもなりました。

100人いれば、100通りの生き方がある。100人いれば、100通りの悩みがある。100人いれば、100通りのアイデアがある。100人いれば、100通りのアクションがある。100人いれば、100通りの幸せのカタチがある。

一言で言うならば、これが多様性。大きな主語で括ってしまう程乱暴なことはないんだ、ということをあらためてこの講座の参加者のみなさんから教えてもらいました。

先日、ちょうどこの原稿を書いている最中に僕のツイッターのダイレクトメッセージに嬉しい報告がありました。

「堀さん、こんにちは。今日はお伝えしたいことがありメッセを送ります。私は、昨年「伝える人になろう講座:LGBとT」に参加した者です。あの講座を契機に、より深くその方面について考えることが増えました。そして、勤務先にもLGBTの方々に対する配慮の働きかけをしたところ、ようやく来週の役員会の俎上に乗ることが決まったそうです。私一人の小さな声をすくい上げてくれた担当の方のおかげではありますが、堀さんの講座がきっかけになって、きちんと形になりつつあることがうれしいです。ありがとうございました。」

お礼を言うのは僕のほうです。声をあげ、発信し、アクションをするのは勇気のいることです。しかし、沈黙を強いる社会こそ恐ろしいものはありません。あなたがあなたらしくいられる社会、わたしがわたしらしく生きられる社会を共に作っていくためには、発信がその第一歩です。

民主主義の対義語は沈黙だと思っています。

あなたが疲れ果てて発信できなかったとしても、あなたの代わりに勇気を持って発信をした人がいたらみんなで支える、そんな連鎖が広がっていけばと願ってやみません。

発信は終わらない、これからも共に。


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