【古都奈良への旅/のんびり記事⑥】~世界もココロもグラデーションでできている~478
こんにちは
八彩理絵子(やいろりえこ)です。
ここ数日、つぶやいておりましたが、富士での素敵な体験についての記事をまた、近日中?に書いていきたいな〜と思っております🥰
さて、奈良の記事も空いてしまいましたが、最終日について書いて行きます。
奈良癒し旅の二日目、1日コースをのんびり記事でお伝えして、1日コースは前回で終わりましたが、3日目最終日についてまた書いていきます。お楽しみいただければ嬉しいです(^^♪
こちらの奈良観光バスツアーでは半日コースというのもありまして、午前半日というコースがあれば私にとっては最高だったのですが、あいにく午後からのコースしかなかったため、1日コースのチケット引き換えの際に教えていただいたこちらのフリー乗車券というのを500円で購入して出発。
時間や場所によって購入できるので、とても便利かと思います。
今回は東大寺⇒春日大社⇒興福寺と予定を立てました。
ドキドキしながらバスに乗り込みました。
しばらくすると車窓からも鹿さんのお姿が見えてきました~ワクワク😍
『東大寺大仏殿・春日大社前』で降車
<東大寺>世界遺産
正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい奈良時代(8世紀)聖武天皇をが国力を尽くして建立した寺である。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させたと国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。
東大寺は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部としてユネスコより世界遺産に登録されている。
まずは・・・そう!鹿さんたちのお姿に癒されましょう😍
南大門(国宝)
東大寺南大門は、国内最大級の重層門で鎌倉時代に再建された壮麗な総門です。 その高さ25.46mは7階~8階建てビルと同等! また、この門を守る金剛力士像も見逃せません。 高さ8.4m弱の巨大な像は迫力満点で、仏法を守る神として立ち続けています。
上層の正面中央には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられている。これは古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき、2006年(平成18年)10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものである。
木造金剛力士立像(国宝)
東大寺南大門の金剛力士像はヒノキで作られた木彫像。 その大きさは高さ8.4メートルにもなります。 遠くからでもわかるその存在感は、近くで見るとさらに圧巻。 木彫像として、日本で最大となります。
石造獅子像(重要文化財)
南大門北面の東西の間に安置されている。建久7年(1196年)に宋人字六郎が作製。元は大仏殿中門に置かれていたが、室町時代に南大門に移された。記録では、日本の石材では造像が困難であったため、宋より石材を購入した。元々彩色が施されていたようで、現在でもわずかに痕跡が残っている。
中門(重要文化財)
東大寺の中門(ちゅうもん)は、大仏殿手前の楼門。
中門からは左右に回廊が伸び、大仏殿に通じている。
現在の中門は、1716年(享保元年)ごろの再建と考えられ、国の重要文化財に指定されている。
中門の両側に、仏を守護する四天王のうち二天が安置されており向かって左の持国天は東方を、右の毘沙門天は西方を守護する武神。
こちらの二天見逃しました😢
気になる方は調べてみてください。
中門の持国天と毘沙門天は、京仏師山本順慶が造立したもので、1719年(享保4年)に開眼供養が行われました。
門は普段閉ざされていますが、1月1日の0時~8時には中門を通って大仏殿に入ることができるそうです。
さぁ この先には~?
みなさまいよいよですよ!
準備はいいですか?😆
あの奈良の大仏さんに会いますよ!!
今回はここまでになります。
エ~ひど~い!!
期待させといて😒
まぁまぁ
次回は大仏さんに会いましょう😅
約束しますよ😅
お楽しみに・・・
ここまで読んでいただき
ありがとうございました。
大切なお時間をありがとうございました。
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