諸刃のつるぎを振るう。
発信することは恐ろしい。
「早く帰ってビールが飲みたい」という古代エジプト期の落書きすら、5000年の時を越えて世に出回ってしまうオンラインの海。
しかもこの海に漂う情報は「発信者」に強力に絡みついてくる。コンブのような強靭さを帯びた「絡みつき」を振り払って、情報だけを独立させることは極めて難しい。
知らず知らずのうちに言ってしまった失言や軽口が、スクショされたらマズいのだという常識。若気の至りなどというものは「炎上」に燃やし尽くされ、いまや発信することどころかオンライン上に「存在しうる可能性」それ自体がリスクになってしまっている。
スマホを使っていなくてもまるでダメ。
他人のスマホに撮られて拡散されたらおしまいである。
僕らは意図しないまま、インターネットという「諸刃のつるぎ」を持たされている。
そんな状況下であえて「諸刃のつるぎ」を振るうこと。それがこの世の「情報発信」だと思っている。
なんという呪われた武器だろうか。
誰しもすなるnoteといふものを、ここに来てあえてするなり。呪われた武器を敢えて握り締める気持ちでタイプする。
今やっている「まちづくり的活動」や、その一つと捉えている「MIMORI」の活動のこと。その思考や背景を記録しておかないことの不利益の方が、諸刃のつるぎで傷つくリスクよりも重いと考えたから。
つくづくなんと呪われた武器か。
結局ぼくもこの情報社会で、正気を失わないよう気をつけながら、性懲りもなく情報発信と記録を試みようとしている。
こうなれば精一杯、善くこの武器を振るおうとするのみである。