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「祈りとムダ」~Naoの辻信一さん~

Naoのテーマ「祈り」
一瞬で「読みたい!」と思い、手元に届いたのが1ヵ月以上前
隅々まで読みこんだのが、つい最近

その中で、一番最後のページにある辻信一さんの「祈りとムダ」というコラム
やっぱり!やっぱしです!!!
辻信一さんの言葉が大好き過ぎる

今朝の朝ヨガ瞑想朗読では、その冒頭と文末の一節のみ抜粋してお伝えしました。

「祈りとは何か」はわからなくても、それが「何でないか」はわかる。祈りとは何らかの目的のための手段ではない。役に立たない。つまり、ムダなのだ。しかし、だからこそ、この世界が役に立つ物事で覆い尽くされそうな今、祈りはいよいよ大切なのだ。うん、きっとそうにちがいない。

途中割愛・・・

ぼくたちの世界では今、真の祈りは薄暗い片隅に追いやられている。その一方で、「祈り」という言葉だけが乱用されて、「あれがほしい」「こうなってほしい」と請い願うことだと誤解されている。でも、そろそろ気付くべきだろう。屋久島に生きた詩人、山尾三省が教えてくれるように、私やあなたが願うのではない。私たちが願いなのだ。

わたしたちは この青海の<願い>から生み出されて 四十六億年をかけて はるばるここまでたどりついた <願い>の果てのまたひとつの 青く染められた わたしたちという 尊い<願い>なのであるから~山尾~

「祈り」という詩で山尾はこう言っている。祈りとは、自分がいちばん好きな状態でいるときのことだと。そう、私やあなたが祈るのではない。私たちが祈りなのだ。

辻信一さんのコラムより引用

20240405朝ヨガ瞑想朗読より

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