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わが家にMacがやってきた YA! YA! YA!

私が初めて手に入れたパソコンは、林檎のマークがついていた。
通称「ピザボックス」と呼ばれたLC475というモデルで、一世を風靡したスケルトンカラーのiMacが発売される5年前のことだ。
当時はWindows 3.1が使われていた時代で、パソコンといえばPC-98シリーズがメジャーだったのに、なにゆえOSの互換性すらないAppleのMacintoshを選んだのか。
「高校に受かったらなんでも買ってやる」と豪語していた父も、聞き慣れないメーカーのパソコンをねだった娘にかなり面食らっていたし、値段を聞いてもっとびびっていた。

それでも私はMacが良かった。
理由は「なんかよくわかんないけど素敵」と思ったから。フィーリングだ。
周囲にMacユーザーなんてもちろんいなかったので、「MacFan」を読みながらパソコン通信を始め、メモリの増設まで自分でやった。

それから実に四半世紀もの間、私の傍には常にMacがいた。
砂時計マークにイライラしながら徹夜で卒業制作と対峙していたときも、DV夫から逃げるためにノートパソコンをリュックにねじ込んだときも、その躯体には林檎のマークがついていた。
LC475から数えて4代目にあたるMacBook Proは、なかなかの高スペックだったため、実に10年近く時を共にした。
最後の数年は、スペックを考えてギリギリまでOSのアップデートを引き延ばしていたものの、アプリケーション対応のために仕方なくOSをバージョンアップして、案の定めっっちゃくちゃ動作が重くなりテキスト入力すら支障が出るようになったため、敢えなくお蔵入りとなった。

さて次のMacをお迎えしようという段になって、思いがけないことが起きた。
自動車事故である。
脇見運転の車に追突されて自分の車が廃車になり、中古車だからと車両保険をつけてなかったせいで買い替え費用の半分以上が持ち出しとなった。
このせいで、すぐに高スペックのMacを購入するだけの余裕がなくなってしまったのだ。
しかし当時の私はライターとして副業を始めたばかり。動作のめちゃ遅いMacBook Proでは仕事に支障が出まくるため、仕方なく、本当に仕方なく、安いノートパソコンを買うことにした。生まれて初めて、WindowsのノートPCを迎えることになってしまった。

初めてわが家にお迎えするWindows機ではあったものの、社会人になってから会社ではずっとWindowsのパソコンを使っていたため、使用に際しての物理的な不便は特にない。むしろSSD搭載パソコンの動作が速くて感動したくらいだ。
しかし、しかしだ。
物理的な不満はないものの、感覚的な違和感が常にあった。
フィーリングが合わない。
なんじゃそれはと言われるだろうが、とにかく、Windowsはしっくりこないのだ。

大学を卒業して社会に出てから20年、仕事ではWindowsを問題なく使ってきたものの、私がプライベートで使うパソコンは、ずっとMacだった。
Macの何が良いのかは一言では言い表せないが、たとえて言うなら「ご飯」のようなもの。
朝食におにぎりを食べ、ランチは会社でサンドイッチをかじり、夜はご飯に肉じゃが。そんな生活をしていたのに、Windowsを自宅でも使うようになって、朝もパン・昼もパン・夜もパンの永久パン食の生活になってしまった。
パン食であってもカロリーは足りているし、欧米の人々は永久パン食で生涯を終えるのだから、パン自体に問題があろうはずもない。
しかし日本人にはご飯が必要で、私にはMacが必要なのだ。
一日Windowsで働いた後は、馴染んだMacを使いたいのだ。
Will make me feel alright.
離乳食をお粥から始めるように、パソコンをMacから始めてしまったのだから仕方ない。
仕方がないのだ。

私はSSD搭載のWindowsノーパソで仕事に励んだ。Office365を契約して、サクサク動くノーパソでスムーズに副業ライターとして実績を積ませてもらった。
「いつかお前を捨てるために稼ぐんだ」
そんなクソみたいな精神でガンガンノーパソを使い倒す私に、Windowsノーパソはよく応えてくれた。
いつしか私は副業から専業ライターとなり、そこそこの金額を稼げるようになっていた。
そしてとうとう、この日が訪れた。

クロネコヤマトのトラックに乗って大きな段ボールが我が家に届いたのは、あらかじめ伝えられていた到着予定日の1日前だった。
私は早めの到着に驚きながらも、巨大な段ボールを二階の書斎に丁重に運び込み、「ついにこの日が来たか」と感慨に耽った。

新しいiMacを、お迎えしたのだ。

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iPhoneを買った人なら分かるかもしれないが、Apple製品はまずパッケージを開ける段階からUXが素晴らしい。ただ買った商品の梱包を解くだけではなく、「Mac開封の儀」と言いたいくらいの素晴らしいユーザ体験が味わえる。
そのUXの素晴らしさを端的に表すならば、運送用の段ボールを開封する段階からMacの設置完了まで「一度も刃物を使わなかった」点を挙げる。用意していたカッターナイフもハサミも、一度も手に取ることなく済んでしまった。

通常ならば、パソコンが届いたら、運送用の段ボール箱のガムテープをカッターで切り、パソコン本体の箱の透明OPPテープをカッターで切り、ぎっちぎちに嵌められた発泡スチロールを外し、電源コードやアクセサリを包むビニール袋をいちいちハサミで切り……という面倒な開封作業が発生する。
けれども、Macは違った。

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運送用の段ボール箱は一箇所のジッパー(開け口)をお菓子のパッケージみたいにぴーっと引っ張ればパカっと開いたし、中に収められていたiMacの箱も同様に、一箇所を指でつまんでぴーっと引っ張るだけで全開した。
そして箱の中には、「hello」と書かれた保護フィルムが貼られたM1チップ搭載のiMacが鎮座していた。

このワクワク感、これぞ「Mac開封の儀」だ。

精密機器が収められた箱だというのに中には発泡スチロールがなく、紙の凹凸だけで見事にiMac本体が固定されていた。電源コードやマウスも紙や不織布を使って箱の中で整頓されており、その不織布にはマスキングテープのようなゆるい糊がついていて、梱包は簡単に解けた。

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取扱説明書は、化粧品のリーフレットか!?というくらいにペラい。書いてあることといえば、電源ボタンとUSBポートの位置、そしてマウスの充電方法くらい。たったそれだけの情報で、十分だった。

まったくイラつくことなく、びっくりするほどスムーズに、iMacのセッティングが終わってしまった。
そう、このスムーズさ。
この「なんかよくわかんないけど素敵」と思わせてしまう緻密なUXデザイン。
これこそがMacの魅力なのだ。

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ズォーンという起動音とともに、ロリ声が聞こえてきそうな丸っこいフォントで「こんにちは」と挨拶された。
無骨なChicagoフォントで「Welcome to Macintosh.」と挨拶されていた頃からすると、めちゃくちゃ成長したなー、と思ってしまう。
新しいピンクの相棒は、さて何年連れ添うだろうか。

ちなみに、うちの書斎にはエアコンがついていない。
真夏はエアコンの効いたリビングで仕事をしたいので、もうしばらくWindowsノーパソの出番はある予定だ。

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