見出し画像

[エッセイ]彗星に手を伸ばせ

今年もこの時期がやってきた。
年に一度の年賀状シーズンだ。

子供の頃はプリントゴッコでピカッと簡易シルクスクリーン印刷を楽しみ、社会人になってからはパソコンでネタ画像を作成し、今では子供の写真選定に最も時間をかける。そんなささやかな手仕事を毎年続けてきた。

私は毎回、年賀状の空欄に手書きで友人宛てのメッセージを書き込むことにしている。
特に悩む間もなくスラスラ書ける友人もいれば、「待てよ……これ去年と同じ文面かも」と書くネタが浮かばず悩む友人もいて、案外けっこうな時間がかかる。

年単位で会っていない友人に対しては、何を書けばいいのか、どうにもふさわしいメッセージが出てこない。
元気でいるか、仕事はどうか、また会えたら飲みに行こう……そんな毎年ずっと使いまわしできる文面しか出てこない自分にがっかりする。

毎年うんうん悩んでペンが止まる私を見て、「彗星みたいだ」と夫は言った。
「彗星って、ハレー彗星とか?」
「そう。何年かに一度、周期的に地球の近くにやってくるやつ」

地球に接近する時期がくると大きな注目を集める彗星は、長いもので100年以上、短いもので3年ほどの周期で太陽系のどこかをぐるりと周っている。
タイミングよく地球の近くを通りかかる彗星が現れると、ニュースや新聞に取り上げられたり、自前のカメラで彗星の姿を撮ってTwitterやインスタにアップする人も出てきたりと、なにかと盛り上がるプチ祭りのような数日間を過ごす。
けれども、彗星が地球を離れて私たちの目に映らなくなれば、後はもうどこでどうなっているか気にも留めなくなる人がほとんどだ。
彗星は地球で天体ショーを披露した後も、太陽の熱で融けたり冥王星のあたりでカチコチになっていたりと、いろいろ忙しくやってるはずなのだが。

近くに来た時だけ盛り上がって、またすうっと忘れてしまう。
周期的にプチ祭りを繰り返す様は、なるほど年に一度の年賀状に似ていた。

「なんだか薄情だな……いやいや、年に一度でもつながり続けるのは情があるってことよ」
夫の指摘に相反する気持ちを抱きながら、私はペンを握り直した。ちなみに夫自身は、なにも悩むことなく毎年「また飲みに行こう!」と書き続けられる人である。

さて困ったぞ。
今年は便利な魔法の言葉「また飲みに行こう!」が使えない。
新型コロナウイルス感染症の影響で、日本全国に「お酒を伴う飲食は自粛しましょう」という意識がうっすら徹底されている昨今、特に仕事や子供や介護を抱える私たち熟女世代は感染回避の行動規範ががっちり出来上がっているのだ。

軽々しく飲みに行こうと書いていいものか……文面一つにも気を遣ってしまう自分、嫌いじゃないけどちょっと面倒くさい。
「いつかまた会いましょう」なんて言葉は使いたくない。
「コロナが収まったら会いましょう」これもなんか違う。
やっぱり無難に「また飲みに行こう!」と書くしかないのか?

そうやって先送りにし続けた結果、私たちは年賀状でしか繋がってない間柄になっちゃったんじゃないのかな。

会いたいと思ってもなかなか会えない今になって、そんなことに気付いた。
会おうと思えばいつでも会えると思っていたからこそ、気軽に先送りしていたんだ。

周期的にやってくるはずの彗星にも、ぷつりと地球への来訪が途絶えることがあるという。
それは彗星の核が太陽熱で融けたり壊れたりして、物理的に彗星が消失してしまうからだ。

これを知った時、私はとても驚いた。
彗星は太陽熱で融けて夜空に長い尾を引く。けれども、太陽から遠く離れた極寒の宇宙空間で、また氷をまとって元の大きさに戻るんだとばかり思っていた。
よくよく考えたら、宇宙空間に氷や水分が都合よく転がっているはずがないから、彗星は鉛筆のようにだんだんと「ちびて」いくのが運命なのだ。

彗星と私たちはおんなじだ。
人の寿命は1年ずつ減っていくし、人と人との繋がりだって、少しずつ「ちびて」いくのかもしれない。
「会おうと思えばいつでも会える」なんて思い上がっている間に、ふと気付けばびっくりするほど縁が薄くなっていることだってある。
向こう10年はまだいい。でも20年、30年先になったら……私たちは、会いたくても会えなくなるんじゃない?

「絶対、会いましょう」
ずいぶんと自分勝手なものだけれど、2021年の年賀状は祈るようにこう書いた。
私たちは彗星みたいな間柄だけど、近づく周期を変えることはできるはずだから。

《終わり》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?