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校正の仕事とWebライター

校正という仕事は難しい。特にWebメディアでは。

私は新卒で紙媒体の編集校正の仕事に携わった。そのころは写植とDTPの過渡期で、同一出版社内でも出版物によって写植屋さん(電算写植)を使うかDTP(QuarkXPress)に切り替えるか、対応が分かれて混沌としていた時期だった。

写植屋さんにはフロッピーディスクでテキストデータを持っていく。ゲラに赤字を入れる際は「1文字訂正するごとに〇円」とか「できるだけ文字数・行数が変わらないような訂正」を心がけるよう指導された。写植の訂正は高いのだ。

その後、出版界は完全にDTPに切り替わり、私は赤字訂正の文字数を気にすることはなくなった。ただ、簡潔に赤字を入れることが基本なのだろうという意識が残った。

しかし別の会社に転職したら校正ゲラを戻す相手(著者)が医師や教師になり、彼らの「他人から間違いの指摘を受けることを不快に感じやすい」率の高さを上司から徹底的に教えられた。つまり、丁寧な説明つきの赤字を入れる技術が必要になった。

プロのライターであれば黙って訂正して問題ない内容でも、いちいち「〇〇白書によると、この数字は1億ではなく10億のようです。訂正してよろしいでしょうか?」というお伺いを立てる。しかも相手は忙しい「センセイ」なので「YES/NO」どちらかにマルをすれば済むように解答欄まで用意する。

当時は「うわめんどくせえ」と思っていた過剰な丁寧さは、数年後に転職先で一般市民相手に校正ゲラをやり取りするときに役に立った。何事も真面目に身につけておくものだ。

そう、文章を訂正したり/されたりが当たり前の世界にいると麻痺しがちだが、本来「自分が頑張って書いた文章を赤の他人に訂正される・間違いの指摘を受ける」というのは気分を害するできごとなのだ。それは恥ずかしさや不満や、なんかムカつくという感情に繋がる。
一般人は「頑張って書いたんだから、褒めて欲しい」と思うのが自然なのだ。何もおかしなことじゃない。

だから執筆が本職ではない著者の校正をするときは、できるだけ丁寧に説明し、訂正の選択肢を絞ったり提案したりして「悩まずに修正作業ができるように」気を配る必要がある。
そこまでやるのか、と思う人もいるかもしれないが、なにしろゲラが戻ってこないことには作業が進まない。

印刷製本工程をご存じない一般市民の中には「ゲラを見て気分を害したので/よく分からなかったので、放置していた」と平気で締め切りを破るような人も本当に多いのだ。気持ちよくサクサク校正確認していただいて、早めにゲラをお戻しいただくには必要な手法だった。

さて、いま現在である。
私は縁あって企業のオウンドメディアのディレクターを担当している。紙媒体で言うところの編集者だ。
数年ぶりにこっちの業界に戻ってきたら時代はWebライター売り手市場だったので、あっさり直契約でライターの仕事にありつけた。そして文字単価1円のライターチームの一員として出戻り修行を3ヶ月続けていたら、チームを束ねていたディレクターが抜けたのでそこに昇格した。

「ディレクターってカタカナだけどやってること編集やん…」と思いながら複数のライターさんの原稿を見て、同じ1円ライター同士のあまりの実力差にちょっと引いた。

ライター経験者と未経験者の差は致し方ない。が、副業として真面目に取り組んでいる人と「空いた時間にお小遣い稼ぎ☆」という人の差がひどかった。
「いや待って、この人たち同じ文字単価でいいの?」と呆然とした。1円ライターの幅の広さすげえ。

さて、問題は校正に費やす労力が、真面目なライターと「空いた時間にお小遣い稼ぎ☆」の人とで倍以上違う点だ。
ほとんど赤入れの必要がない人もいれば、めっちゃ直すところ多い人もいる。ライティング文字単価は一緒。校正の単価も一緒。

校正した後に各ライターさんへフィードバックをするが、真面目なライターさんには「今後もライターを続けるだろう」という前提での指摘なり感想なりを伝えられるが、「空いた時間にお小遣い稼ぎ☆」の人には、成長に繋がるフィードバックが果たして必要なのだろうか? 

もっとぶっちゃけると正直に「日本語が変です」と伝えていい? という葛藤すらある。それをやってしまうと、傷ついて音信不通になるのでやらないが。

はっきり言えば「空いた時間にお小遣い稼ぎ☆」の人には、「執筆が本職ではない一般人」としてご機嫌を損なわないように扱う余分な労力がかかっている。
そして「ライターの管理コスト」としては、それは割に合ってないと思っている。私よりさらに上流のマーケティング担当者も。

校正という仕事は難しい。

ライターに素人とセミプロが混在している現在の状況は、いずれ淘汰されるのだろうか?

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