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階段の誘惑

その階段を一目見たとき、私は心を惹き付けられたように眺めてしまった。

その階段は、特段これと言った特徴はないものの別な階段とは違った異質な雰囲気を醸し出していた。有名な画家が最後に描いたと噂される絵画を見たときと同じ気分になった。なんでもない風景を描写した絵画のように、何でもないその階段にだけしか目が向かなかった。

私の心は、その階段に誘われているような気がした。それも、一度や二度の話ではない。この洋館を改装した図書館へ来るたびに、その階段に見惚れてしばらく足を止めたままぼうっと眺めてしまうのだ。普段は敷かれていない赤い絨毯が敷かれたときには、別格の気品を感じられる。そんな階段が私は大好きだった。

或る日、いつものようにその図書館へ本を返しに、また借りに行った時のこと。毎度の如く、その階段の前で足を止め、眺めていた。この図書館のその階段には、普段、誰も足を踏み入れぬよう艶のあるロープを掛けてあった。しかしその日は、いつもはあるはずのロープが片方だけ外されていた。私は良心に従い、そのロープをいつもの位置に戻そうとした。

その時だった。

—また、この階段に誘われている。—そうとしか感じられない衝動に襲われたのだった。私は周囲の目などを度外視に、嬉々としてロープの掛かったその階段の一段目までかつかつと歩いて行った。階段の足元まで来た私の胸はもう一度、階段へと惹き付けられた。どうしてこうも胸が躍るのか、自分にもわからなかった。何の変哲もない大理石調の階段のその一段目に足を掛けた。その後は軽快に階段を昇って行った。

見ているだけで、他より何倍もの胸の高鳴りを感じるその階段を昇る足を進めている内に、幽かに声がするのを聞いた。階段の足元の方から、図書館の係の人間がこちらに注意をしている。私はその係の人間を一瞥して、視線を進んでいる方向へ向けたとき、注意の意味がはっきりと解った。階段から落ちる私は背中を殴打し、また、首の骨にまで外傷を負った。落ちる前に見た光景は、黒い人影だった。


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