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すんぺすんな 映画「岬のマヨイガ」


岬のマヨイガ
〜居場所を失った17歳の少女と声を失った8歳の女の子がたどりついたのは、懐かしくてすこしふしぎな、迷っている人を幸せにする伝説の家《マヨイガ》〜
  
岩手県を舞台に震災後の小さな町で起った不思議な出来事。
人の悲しみを糧に大きくなっていく存在「あがめ」と、人々を陰でそっと守る存在「ふしぎっと」。
それぞれの過去を超えて、大切な居場所を守っていく。

不思議な伝説の家、マヨイガは、迷っている人をもてなしてくれる家。迷い人から何も求めず、ただただ与えてくれる家。
人は、見返りを求めない愛に触れると「こわさ」を感じる。

ただ与えてくれるなんて、何かあるんじゃないか?
そんなはずない。あるはずがない。

ヘンゼルとグレーテルの童話のように、魔女がいっぱい食べさせてくれるのは、太らせて食べるため、みたいにね。

この世には、本当に見返りを求めない愛はあるのだろうか。
この映画は問いかけている。

到底敵わないもの
到底どうすることもできないもの

それがもし、自分自身がそれに力を与えているとしたら?
自分の恐れや心配、悲しみや怒り
それはきっと誰もが持っているもの。
恐れや心配、悲しみや怒りを持つことがダメではないのだ。

「すんぺすんな。」

心配しなくていいよ。
Don’t worry 
っていう意味。

その言葉は、まるで魔法みたいにユイとひよりの心に沁みていく。

震災で傷ついたり、悲しんでいる人の気持ちを糧にどんどん「あがめ」は大きくなっていく。人びとが、自分の住み慣れた土地から出て行かなければならないほどに。
伝説では、伝説の剣であがめを退治する。その剣と共に命を捧げる者のおかげで。
おばあちゃんは、その剣を持ち、ひとり立ち向かっていく。
ところが、巨大化したあがめに太刀打ちできない。
人々の恐れ、悲しみ、怒り、不安がそこまであがめを大きくしてしまった。

ユイとひよりは、自分の大切な故郷と家族を守るため、「自分にできること」で立ち向かっていく。
もう人柱は要らないのだ。

小さな存在のユイとひよりの小さな「できること」は、人々を救うのだけど、それはあっけないの。それよりも大きなことは、自分ができることを「する」勇気なのだと思った。

交通事故で両親を失い、その後、震災に遭い、声をなくしていたひよりが、声を取り戻したのは、ユイを助けるためだった。
人って、結局、自分のためだけより、誰かのために突き動かされた時に、驚くような力を発揮するんだ。
でも、それはユイだけを助けるというのではなく、同時に自分を救うような。

相手のため、そして、自分のための両方がとけあった時、魔法が起こるんだと私は思っている。
自分のためとか、相手のためとか、分けられないような気持ちになった時、神様のエッセンスが入るような。三位一体みたいなね。

おばあちゃんは、孫たちを救うために死んでも本望だと思うけど、それじゃ、孫たちは幸せじゃないの。共に生きたいのだから。それぞれできることをして助け合いながら。
圧倒的な愛、無償の愛に触れ、信じることを思い出していく。




私は東北人だから、その言葉に関してネイティブ。
方言って、ほんの少しのイントネーションや発音が難しかったりして、地元の人が聞くと不自然に感じたりするのだけれど、大竹しのぶさんの「すんぺすんな」は完璧で涙出た。私のおばあちゃんが本当に言っているみたいだった。
ユイの声優の芦田愛菜ちゃんも素晴らしかった。


この作品、震災が背景にあったけれど、これは今、向き合っていることにも置き換えてみることができると私は思った。

できることをする。
それぞれが。
そうすると、あっけなく。となるような気がしている。

「人の世に現れた魔は、人にしか倒せん。」
というおばあちゃんの声が響く。



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