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第67回あいち平和行進出発集会報告

概要

2024年4月27日(土)、あいち平和行進出発集会が、名古屋市中区にある保険医協会伏見会議室にて行われ、会場には30名を超える参加者が集まった。
1958年に始まった平和行進以来、毎年行われ、今年で67回目となるあいち平和行進は、8月4日の広島入りを目指して、東京から愛知県を経由し、反核平和を訴えながら行進するというものである。
その規模は、参加地域、参加者数、いずれも愛知では最大の草の根反核平和運動であり、全国をつなぐ平和行進として実施される国民的大行進となっている。
行進の日程としては、5月31日に湖西西部公民館前広場を出発し、6月11日に犬山市までを集結として歩いていくというものだ。

出発集会では、開会の挨拶として、金本弘あいち平和行進共同連絡会代表・愛友会理事長が、「日本政府に我々の運動をわからせたい」との意気込みを語った。

次に、名南病院・反核医師の会の早川純午医師によるマーシャル諸島のマジェロ訪問の報告が行われ、現地住民や被爆者の人たちの健康状態やビキニ被災による悲惨な境遇が語られた。

そして、愛知県原水協代表理事である大村義則さんからは、今年の平和行進出発の取り組みの意義とするところが語られ、この行進に8000人を動員し、来年には万を超える人々と共に歩こうと語られた。

その他、全国通し行進者の大村美恵さんによる決意表明や、愛知県各地で運動を盛り上げるために行われる準備企画の報告、行進の際のシュプレヒコールについて紹介があり、最後は愛知のうたごえ協議会による「青い空は」の合唱と記念撮影で集会は締めくくられた。

早川純午医師のマーシャル諸島訪問の報告

現地の被爆者はいかに悲惨であるか?

まず、第一に核実験をアメリカによって補償金が減らされている点である。
しかしながら、人口は増えている。
人はいるのに、金が減らされるということが行われている。

次に、アメリカによる現地の人たちの扱いである。
核実験の絶好の実験所所とみなされ、1946年〜1958年まで行われた核実験ではその21回がマーシャル諸島で行われたとのことである。
核実験の報告は住民にはひた隠しにされ、強制移住もなされたという。

また、マジェロとても狭い島でもあり、その医療体制は決して進んでいるとはいえない。

これらのことについて、マーシャル諸島は二重の暴力が振るわれできることを意味する。
一つは他に類を見ない核兵器の破壊力と永年に渡る苦しみを被爆者に与え続ける直接的暴力が。
もう一つはアメリカの政策に基づく補償の減額、そして現地住民間の分断・差別といった構造的暴力が振るわれていることが。

核兵器が物理的な破壊だけではなく、社会をも破壊し続けるという事実は被爆国に生まれた者として語り継がれなければならないと感じる報告であった。

大村義則さんによる今年の平和行進出発の取り組みの意味

大村さんは、2024年の平和行進の3つの意義を挙げた。

1つ目は、日本政府に核兵器禁止条約への参加を訴えることである。
日本政府は現在、核兵器禁止条約については、核を保有しているとされる国々が一国も参加していない、という理由で批准もしていなければ、核兵器禁止条約第2回締約国会議にもオブザーバー(傍聴)国としての参加さえ表明していない。
NPT(核拡散防止条約)の再検討会議の枠組みなどを通じてを核廃絶を訴えると威勢こそいいものの、その枠組みに基づく廃絶の見通しは立たない状況である。

2つ目は、ウクライナ・ガザにおける即時停戦を訴えることである。
核保有国をめぐってはロシアとイスラエル、そしてイランの存在も抜き差しならない。
ロシアがウクライナとの戦争において、核使用をも辞さないとの表明を公然と示している。
イスラエルも核兵器を保有しているとされる国でありながら、これまた核開発を推進しているイランとの間に緊張関係がある。
それらの事情によって、まさに核が使われるのではないかとの瀬戸際にある。

そして3つ目は、原水爆禁止世界大会の成功を訴えることである。
来年が被爆80年という節目の年で、核廃絶の手詰まりと、今にも核兵器がつかわれようとしている緊迫した情勢の中で何ができるのか。
国民的規模で反核の機運を醸成し、日本政府に物申すという目的のため、結束してこの行進を歩きたいと思った。

核なき世界を実現するために

今年は、第五福竜丸がビキニ環礁で核被爆した1954年から数えて70年目の節目の年である。
また、先にも述べたように、2025年は1945年8月の広島・長崎の原爆投下から80年の年である。
そのため、この集会の参加者の意気込みは強かった。
しかしながら、来年は被爆者がこの運動に直接携わることのできる最後の節目の年ではないかという事情や、運動の主要な担い手の高齢化もあって、必ずしも良いとは言い難い状況であるのも事実である。
そのような中で、登壇者たちは「若い人たちに参加してもらいたい」と訴えていた。

筆者は今年で30歳になる。
この会に参加した中では最年少ではないかとの自負がある。
この言葉はまさに私に向けられたものなのだと思った。
今、何ができるのか、平和行進を歩くこと、署名をすること、色んな団体の反核の思いによる運動を支持すること、やれることは思いの外ある。
この運動も最初は一人の行動から草の根を通して広がっていったという。

私も民草の一人だ、今、これを書き記すことで、来年に向けての飛躍を勝ち取る足がかりにしたいと思う。
皆様、愛知県の街で、名古屋の街で私達の行進やスタンディングを見かけた際は署名をお願いしたく思います。
一緒に核なき世界を実現しましょう。
あなたも民草の一人になりましょう。

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