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ミニマリズム

六月十日(木)

列車に乗って仕事から帰り、いま一人部屋にいる。週末に作り置いておいた、牛肉とアスパラとトマトを炒めて塩コショウで味をつけた簡便な料理と、タッパーに入れておいた白飯をレンジで温めて、夕食として食べて、それから外で一服してから、風呂に入って、また一服して、いまだ。

なぜこんなことを書くのか。こんな暮らしを始めてからもうずいぶんと経った。平日の勤めが8時間、昼休憩を入れると9時間で、通勤時間が往復で電車に乗って2時間ほど、これで合計11時間だ。それから、僕は7時間は眠らないといけないから、それで18時間だ。風呂だの炊事だの、着替えだのをひっくるめて2時間くらいだとすると、僕に残されたこの時間は4時間。多いのか短いのかもよくわからない。ここ数ヶ月のことを思い出しても、その時間で何をしていたのか、よく思い出せない。思い出せないんだから大したことがないことなのかもしれない、けどそんなのは忘れてしまった側の楽観主義で、本当は何か大事なことをしていたのかもしれない。
で、いまだ。今僕はテレビでトーキングヘッズのライブ映像を流しながら酒を飲んでいる。いつのライブかパッケージを見ればわかるけど、めんどくさい。今流れているのはOnce in a life timeでまあ一番見ごたえのあるところだ。聴きごたえではなく、見ごたえだ。ヴォーカルのデヴィッド・バーンのダンスが大好きで、部屋に誰もいないからまねして踊りを覚えようと練習しているけれど、鏡写しだからかどうしても左右が反対になってしまう。それは分かっていてもそうだ。ときどきそんな自分の姿を頭の後ろから眺めて、なにやってんだと可笑しくなる。

気づけばもう11:30だ。そろそろ外でもう一服してから、歯を磨いて寝るとしよう。

六月十一日(金)

そして夜が明けた。列車に乗って仕事に行く。

・・・・・・

列車に乗って仕事から帰り、いま一人部屋にいる。週末に作り置いておいた、牛肉とアスパラとトマトを炒めて塩コショウで味をつけた簡便な料理と、タッパーに入れておいた白飯をレンジで温めて、夕食として食べて、それから外で一服してから、風呂に入って、また一服して、いまだ。牛アスパラトマトの作り置きのタッパーはもう一つ残っている。
思えばぼくはずいぶん煙草を喫むようになってしまった。はじめたころはせいぜい一日に日本くらいだったのに。きっかけは大学二年から三年にかけての春、ヒロキとカラオケに行った。そいつも僕も女の子にふられたばっかでみじめったらしく笑っていた。そいつがたしかメビウスを取り出して、お前もどうだと勧めてきた。メビウスなんてヤダよ、といったが結局喫んだ。メビウスは死んだ爺さんが喫んでいたやつだ。でもあとあときいたらもともとはホープだったらしい。ホープと言えばユウトもホープだった。ユウトとは中学からの仲だけど大学は違ってたまに会って酒を飲むくらいの仲だったけど、会うたびにおらぁ煙草はやめる、明日からやめる、だからこれが最後の一本だと言っていたけど、結局はやめなかった。セイイチが、こいつは煙草を喫まない奴で、ホープの奴がやめるやめる言うもんだから、じゃあやめなきゃお前の嫌いなダンゴムシを触らせるぞと脅していた。いや食べさせるだったか。結局ユウトはダンゴムシを触ったのか、食べたのか。はたまた煙草はやめたのか。友達が煙草をやめるっていうのは物悲しくもある。

気づけばもう11:30だ。そろそろ外でもう一服してから、歯を磨いて寝るとしよう。ぼくの銘柄はキャメルだ。

六月十二日(土)

そして夜が明けた。仕事に行く、わけがない。今日は休日だ。

休みの日は言うまでもなく、平日とは習慣が違う。平日には7時には起きなければならない。けれど困ったことに僕は目覚ましを一回ならすだけでは起きない。しかもスヌーズ機能の付いた目覚まし時計はいともたやすく眠りながら機能をオフにしてしまう。だから携帯でも同時に6時半から5分おきに目覚ましを鳴らす。
しかしそんな心配は休日にはない。だから平気で9時10時と寝てしまうが、世の人はどんなもんだろう。起きてもたいていは寝ている。特に外へ行く用事はない。私は本を読むのが、人並み以上には好きだ。好きだと思う。だから外出する必要を見出せない。行くとすれば本を買いに行く時くらいだが、たいていはもうインターネットで注文できてしまう。これは困ったことだ。
今日読んだのは何だったかな。そうだハーマン・メルヴィルだ。『バートルビー』!弁護士事務所に雇われた書記係が「せずにすめばよいのですが」とか言って仕事をしなくなる話だ。そりゃせずにすめばよいとは思う。でも物も食べなくなるなんて。チン!電子レンジが鳴る。僕はご飯と最後の牛アスパラトマトをチンした。僕も食べずにすめばよいのですが。生きていくためにはまた買い物をして何かを作り置きしておかなければならない。

六月十三日(日)

そして夜が明けた。仕事に行く、わけがない。今日は休日だ。

休みの日は言うまでもなく、平日とは習慣が違う。平日には7時には起きなければならない。けれど困ったことに僕は目覚ましを一回ならすだけでは起きない。しかもスヌーズ機能の付いた目覚まし時計はいともたやすく眠りながら機能をオフにしてしまう。だから携帯でも同時に6時半から5分おきに目覚ましを鳴らす。
しかしそんな心配は休日にはない。だから平気で9時10時と寝てしまうが、世の人はどんなもんだろう。起きてもたいていは寝ている。けれど今日はそうもいっていられない。日曜は買い物の日と決めているのだ。いつも川向うのスーパーで買い物をする。歩いて片道30分程度かかる、決して近いとは言えない。近くにスーパーはある、歩いて10分ほど、けどやっぱり少し高い、毎週のことだから、できるだけ安く済ませたい。それに散歩は嫌いじゃない。河原には野球場があって、少年野球団が試合をしていたりする。たまにはおじさんたちの草野球の時もある。今日は少年野球の方だ。僕も小学生の時は野球をやっていた。二つ上の兄の影響だ。僕は運動神経がよくないからどうも好きになれなかった。兄はそれからもずっと野球をやっていて、大学も野球のために行っていた。今は消防士になったけれど、草野球にちょくちょく顔を出しているらしい。
買い物の工程は決まっている。僕はいつも同じものしか買わない。料理のレパートリーが決まっているからだ。別に料理が好きでもない、せずにすめばよいのですが、だ。だから毎週毎週献立を考えるような手間をかけず、毎朝用の焼きそばと夕食用の焼肉(玉ねぎと豚肉を炒めて焼肉のたれをかけるだけ)と先述の牛アスパラトマトで六食分、休日の昼はパスタをゆでて市販のソースをかけるだけ。残り一食分の夕食は鶏もも肉を塩コショウと醤油で味付けするチキンステーキだ。ほかにサラダ用のレタスとか料理が面倒なときのためにカップ麺と冷凍チャーハンや冷凍から揚げなどを買い、だいたい4000円で済む。これが一か月に4,5回だから500gの米代を入れてだいたい20000円。職場で頼む昼食の弁当代をいれてひと月の食費は27000円前後だ。

一通り作り置きを作り終えて一服するともう夕飯時だった。早速チキンステーキを作り、米も焚いておいた。明日は仕事だ。あとは平日の夜と同じ工程を繰り返すだけだ。

六月十四日(月)

そして夜が明けた。列車に乗って仕事に行く。

・・・・・・

列車に乗って仕事から帰り、いま一人部屋にいる。週末に作り置いておいた、豚肉と刻み玉ねぎを炒めて焼肉のたれをかけただけの簡便な料理と、タッパーに入れておいた白飯をレンジで温めて、夕食として食べて、それから外で一服してから、風呂に入って、また一服して、いまだ。

今日はニーチェの曲がききたい気分だった。一杯のウィスキーと机上灯だけをつけた暗い部屋で、ユーチューブで<生の賛歌>を流した。ニーチェがピアノを弾くなんてずっと知らなかった。教えてくれたのは哲学の授業を一緒に取ったトクナガだった。世紀末象徴主義を扱う美学の授業でも一緒だった。トクナガは作曲家を目指している。会わなくなってしばらくたつから今どうかは知らないけれど。最初に話しかけたのは美学の授業の時だった。大教室の後ろですれ違って声をかけた。トクナガが哲学の授業で教授とマーラーのレクイエムやスティーブ・ライヒの話をしていたのを聞いていたからだ。僕もマーラーやライヒは好きだった。それからよく話すようになった。トクナガは期末レポートにピアニストとしてのニーチェと哲学のかかわりについて記した。そこで『ピアノを弾く哲学者』を教えてもらった。ニーチェのピアノ曲を聴きながら、久しぶりにトクナガに会いたいと思った。でもしばらく連絡も取っていないから少し気まずい。ニーチェの『悦ばしき知恵』の中に次のような一節がある。僕の大好きなフレーズだ。「あふれんばかりに注がれた杯を飲み干すものは、多くのものがこぼれ落ちるがままに任せるが—、とはいえ、酒のことを軽んじているわけではない」(訳:森一郎)だからこれはこれで悪くはないのかもしれない。僕は残ったコップを一気に飲み干した。口から零れ落ちた、ウィスキーを腕で拭って。

気づけばもう11:30だ。そろそろ外でもう一服してから、歯を磨いて寝るとしよう。

六月十五日(火)

そして夜が明けた。列車に乗って仕事に行く。

・・・・・・

列車に乗って仕事から帰り、いま一人部屋にいる。週末に作り置いておいた、豚肉と刻み玉ねぎを炒めて焼肉のたれをかけただけの簡便な料理と、タッパーに入れておいた白飯をレンジで温めて、夕食として食べて、それから外で一服してから、風呂に入って、また一服して、いまだ。

最近はずっと酒を飲んでいる。飲まずには眠ることができない。こういうことが大学三年の時にもあった。酒を好んで飲む女の子にはそんなにあったことがない、だからゼミの飲み会で隣の席になった、横浜の赤レンガ倉庫でワインビュッフェに行ってきた話をしてくれたサトコと出会ったときはすごく嬉しかった。昼間っからお酒が飲めるなんて最高じゃないと笑ってくれて、僕も最近は酒がないと寝れないんだと自嘲気味に話した。そのときサトコとは下らない話で盛り上がった。僕が僕はネコのために生きていると話したら、ネコって抱っこすると骨みたいな感じよねと笑っていたが、よくわからなかった。夏休みに、ゼミの先生の別荘のある平泉に合宿に行った。先生の運転するキャラバンでもサトコと隣で、話している時サトコはふと僕の腿に手を置いてきた。僕がちらりとそれを見やると、サトコはずっと手をどけた。僕はどうしてもそういう芝居がかった仕草が苦手だ。合宿の間、僕はサトコとずっと話していた。一つ上の先輩の卒業前の最後の飲み会で、同じゼミの中で付き合っている先輩の話から、お前らもなんかそういう話ないの?と先輩に振られたとき、サトコはわたしも合宿の時に告られるのをちょっと期待していたと笑っていた。僕はそれを聞き流した。

こんな下らないことを書いていたら、だいぶ酔いが回ってきた。あのころは働き出したらマッカラン12年でも平気で飲めるようになると思っていたけれど、飲む量が飲む量だから、あの頃と変わらずブラックニッカやトリスクラシックばかり飲んでいる。気づけばもう11:30だ。そろそろ外でもう一服してから、歯を磨いて寝るとしよう。

六月十六日(水)

そして夜が明けた。列車に乗って仕事に行く。

・・・・・・

列車に乗って仕事から帰り、いま一人部屋にいる。週末に作り置いておいた、豚肉と刻み玉ねぎを炒めて焼肉のたれをかけただけの簡便な料理と、タッパーに入れておいた白飯をレンジで温めて、夕食として食べて、それから外で一服してから、風呂に入って、また一服して、いまだ。これが最後のタッパーだ。

そろそろ煙草がなくなってきて、仕事からの帰り道に近くのファミリーマートで5箱ほど買い足してきた。僕の好きなキャメルが売っているのはこの辺ではそこだけだ。昔はどこでも売っているロングピースだった。けれどロブ=グリエの『反復』や『もどってきた鏡』でキャメルが出てきて、芥川好きがゴールデンバットを喫むみたいに乗り換えた。たまたまそれはヒロキが喫んでるやつでもあって、そんなに俺が恋しいか、といってきたからそうだなと言っておいた。歩いて20分ほどの隣駅の前のミニストップにも売っていたが流石にそこまでは行かない。煙草は1日7本ほど喫む。大体3日に一箱のペースだ。それに合わせて月頭に10箱ほど買う。4500円だ。そうする7本×30日÷20本(一箱)=10.5箱だから大体ひと月分賄える計算だ。だけれど休みの日なんかの時間がある日にはがぶがぶ喫んでしまうから、結局は計算が合わなくなる。食費はできるだけ削りたいし、もちろん酒や本に使う金もあるからできるだけ煙草の方も節約したい。だからなんとか捻出して5箱で2250円、でもまだ月の半分だからまた買い足さなければいけなくなるかもしれない。一応まだ2本だけ入った箱とストックは3箱あった。のこりは(3+5)箱×20本+2本=162本。これを15日で割ると1日あたり10本以上にはなるから大丈夫か。余る分には翌月に繰り越せるから問題ない。けれどなんだかんだ喫みきってしまうかもしれない。頭の中で本数を数える単純な計算は楽しい。それが箱が減っていく月末の楽しみの一つになって入る。あまりに楽しいからがんがん喫んでしまうのかもしれない。まあそれも悪くないだろう。

気づけばもう11:30だ。そろそろ外でもう一服してから、歯を磨いて寝るとしよう。

六月十七日(木)

そして夜が明けた。列車に乗って仕事に行く。

・・・・・・

列車に乗って仕事から帰り、いま一人部屋にいる。週末に作り置いておいた、牛肉とアスパラとトマトを炒めて塩コショウで味をつけた簡便な料理と、タッパーに入れておいた白飯をレンジで温めて、夕食として食べて、それから外で一服してから、風呂に入って、また一服して、いまだ。

ヒロキがピアノを弾いていた。もちろん過去の話。ヒロキが大学近くの家を引っ越して今住んでいる家に移ったときの引っ越し祝いの時だ。ヒロキはここならピアノが気兼ねなく弾けると笑っていた。前の家では壁が薄くて隣の部屋のカップルがエッチする音がうるさかったから、わざと大きな音でピアノを弾き語りしていたとよく言っていた。それで大家と大喧嘩したらしい。ヒロキはお気に入りの幻想協奏曲を弾いている。突然やめて振り向いて言った。一柳慧が言ってたんだけどさ、あ、ハナミズキの一青窈じゃないよ?オノヨーコと結婚してた現代音楽のね?音楽の三大要素、リズムとメロディとハーモニーじゃん?でもさぁ、もう一つあるんだって。なんだと思う?………音色。いやー、いいこと言うよな。僕は、音色ってなに?分かってるようで音色って分かんない。と聞いた。そうしたら向き直って、また幻想協奏曲を弾き始めた。ヒロキはショパンが好きでポーランドまで行った。それからスペインに行って立派な生ハムの原木を買ってから帰ってきた。弾きながら言う。つまりさ、リズムもメロディもハーモニーもさ、言ってしまえば量の多寡の問題で、順列組み合わせなのよ。それだけなら楽譜通りでまあなんとかなるわけ。もちろん技術は必要だけどね。でも音色は違うんだな。質であって、固有性なのよ。俺なんかさ、流石にちゃんとしたピアノは持ってないし、今やってんのも録音されたピアノの音を反復する電子ピアノじゃん?でも俺が引けばそこには固有性があるんだな。そう言って振り向いてわざとらしい快活さでヒロキは笑った。僕はハートランドビールのグリーンの瓶を直に飲んだ。

気づけばもう11:30だ。そろそろ外でもう一服してから、歯を磨いて寝るとしよう。

六月十八日(金)

そして夜が明けた。列車に乗って仕事に行く。

・・・・・・

列車に乗って仕事から帰り、いま一人部屋にいる。週末に作り置いておいた、牛肉とアスパラとトマトを炒めて塩コショウで味をつけた簡便な料理と、タッパーに入れておいた白飯をレンジで温めて、夕食として食べて、それから外で一服してから、風呂に入って、また一服して、いまだ。牛アスパラトマトの作り置きのタッパーはもう一つ残っている。

最近は出勤の時しか動いていない気がする。梅雨に入ったこともあり、外に出る億劫さはいや増した。いや、こうした自堕落な習慣は大学の時も変わらなかった。最後にまともに動いたのと言えばトクナガと一緒に高尾山にのぼったときだった。トクナガは先端がマイクみたいなスポンジのついた録音機を持ってきて見せてくれた。今度作る曲のために、高尾山の近くの渓流で録音したいらしい。前にも書いたが、トクナガはライヒが好きで、ライヒっぽい曲を作っていた。家の近くの踏切を走る列車を録音して作った曲なんてまるっきりdifferent trainsだ。
登りは大変だからロープウェイを使った。足をぶらぶらさせながら、落下防止のネットの下を二人で覗いて、こっから落ちたら大変だと震えた。三島由紀夫の東大全共闘の前でやった公演を真似したり、平沢進の山頂晴れてを歌ったり、美輪明宏とテレビ局で会った話をしたり、煙草を吸っても長生きしてるお爺さんの話をしたり、羽生善治の大局観の話をしたり、色々話しながら登って、途中の茶屋でみたらし団子を食べて、降りてきてそれから途中の公園で一服してから、渓流に行った。トクナガはゴツゴツした岩の上に汚れるのも気にせずリュックサックを置いて、川の中の石をひょいひょい飛び跳ねていった。僕はそれを少し羨ましく思って、ついていったらすぐに水の中に落ちて、全身びしょ濡れになった。こんなバカなことをしたのはいつぶりだろう。見るとトクナガは平気で水の中に飛び込んでいる。トクナガは滝に向けてマイクを突き出して音を拾った。たった今偶然に響いている音を音楽に落とし込むため。こんなバカなことをしたのも、ずいぶん昔のことになってしまった。今は一人静かな部屋の中で、ウィスキーを飲んでいる。やっぱりまたトクナガと酒を飲んでみたい気がする。

気づけばもう11:30だ。そろそろ外でもう一服してから、歯を磨いて寝るとしよう。

六月十九日(土)

そして夜が明けた。仕事に行く、わけがない。今日は休日だ。

しかしそんな心配は休日にはない。だから平気で9時10時と寝てしまうが、世の人はどんなもんだろう。起きてもたいていはごろごろしている。本を買いにいくくらいしか外へ行く用事はない。私は本を読むのがかなり好きな方だと思う。何もやることのない休日は本を読むだけで過ぎていく。だからわざわざ娯楽を求めて外出する必要を見出せない。本を買うにしても、困ったことにたいていはもうインターネットで注文できてしまう。

今日は何の本を読んだのか。そう、『迷路のなかで』。この本は何回も読んでいる、何回読んでも面白い、そう言う本は本当に貴重だ。一人のフランス兵が雪が降りしきり遠近感を無くした街路を彷徨っている。子供の話す言葉、館の中の女たち、負傷した男、何度も出会う、そのたび新しい、聞き覚えのある言葉を繰り返す。繰り返された言葉の迷路を兵士はゆく、それを見つめる医者の瞳、赤いぼってりとしたカーテンに包まれた部屋。銃声が響き、兵士は倒れる。そのとき初めて兵士と医者は出会う。見るものと見られるもの。兵士の持っていた箱は今、医者の埃を被った暖炉の上にある。外は晴れている、外では雪が降りしきっている。視線の非-非対称性。僕は大学の講義の大教室で、一番左の長机の一番右端の、前から六列目にいつも座っていた。その長机は円台に斜めに向かっており、そこからは真ん中右の長机の一番左端の前から四列目に座る、少しぽってりした魅力的な女の子の横顔がよく見えた。授業に退屈すると、僕はよくその子の顔を見つめていた。そのとき、どうしてか女の子も視線に気がついてこちらを向き、目が合う、僕は目を逸らす。中学生くらいから、胸が大きくなってしまった女の子は、人にジロジロと見られるようになり、視線には人一倍敏感になる。視線とは一方的な関係性ではないのだ。対象を見るとき、対象も見られると言う形で積極的な働きかけをしている。僕はその女の子をなんとなく好きになった、好かれると言う形で彼女が僕に積極的に働きかけている、そう思うのは身勝手な妄想だろうか?

六月二十日(日)

そして夜が明けた。仕事に行く、わけがない。今日は休日だ。

休みの日は言うまでもなく、平日とは習慣が違う。携帯で同時に6時半から5分おきに目覚ましを鳴らす。平日には7時には起きなければならない。なぜならば僕は目覚ましを一回ならすだけでは起きない。しかもスヌーズ機能の付いた目覚まし時計はどうやってか知らないが眠りながら機能をオフにしてしまう。
しかしそんな心配は休日にはない。だから平気で9時10時と寝てしまうが、世の人はどんなもんだろう。起きてもたいていは寝ている。けれど今日はそうもいっていられない。日曜は買い物の日と決めているのだ。スーパー、それも川向こうのスーパーいつもで買い物をする。歩いて往復1時間程度かかる、決して近いとは言えない。近くにも少し高いが歩いて10分ほどのところにスーパーはある、とはいえ毎週のことだから、できるだけ安いスーパーで済ませたい。それに散歩は好きな方だ。河原の草原では楽譜立てを前に置いてトランペットを吹いている中学生くらいの女の子が二人いる。野球を一応中学までやってやめた僕は、高校では合唱部に入った。歌は好きだ。音楽は好きだ。楽譜はばっと見ただけでは読めない。ヒロキやトクチと違って、ピアノも弾けなければ、コードもなにもわからない。でも好きなものは好き。だからと言うのはなんだが、楽器を弾いている人を見ると妙なシンパシーをもって見てしまう。出来ることなら彼女らの演奏で歌いたい。そんな思いを抱きつつも、流石にそんなことはせず、たまに風呂場で立原道造の「夢見たものは」や三好達治の「鐘鳴りぬ」の合唱曲をひとりで歌ったりする。高校の時に歌った曲だ。周りはみんな女の子で、同じ学年では僕一人が男だった。だからといって女子校みたいな雰囲気だったかと言うとそう言うわけでもなく、いやそうだったのかもしれないが、生来の呑気な性分だからさして気にはならなかった。ただそんなに真面目に大会で賞を取ろうとかは考えず好きなように歌ってられる時間はやっぱりありがたいものだった。

買い物の工程は決まっている。料理のレパートリーは決まっているのだから当然僕はいつも同じものしか買わない。料理が好きなわけでもない。大学のころなんかパスタと白飯と冷凍から揚げと刻みキャベツだけで生きてきた。いまは作り置きも考えて、毎朝用の焼きそばと夕食用の焼肉(玉ねぎと豚肉を炒めて焼肉のたれをかけるだけ)と先述の牛アスパラトマトで六食分、休日の昼はパスタをゆでて市販のソースをかけるだけ。残り一食分の夕食は鶏もも肉を塩コショウと醤油で味付けするチキンステーキだ。ほかにサラダ用のレタスとか料理が面倒なときのためにカップ麺と冷凍チャーハンや冷凍から揚げなどを買い、だいたい4000円で済む。これが一か月に4,5回だから米500gの値段を入れてだいたい20000円。職場で頼む昼食の弁当代をいれてひと月の食費は27000円前後だ。

一通り作り置きを作り終えて一服するともう夕飯時だった。米ももう焚いたし、今夜のためのチキンステーキもできている。明日は仕事だ。あとは平日の夜と同じ工程を繰り返すだけだ。

六月二十一日(月)

そして夜が明けた。






 僕はいったい何をしているのだろうか。本当に馬鹿げてる。今日は仕事に向かう列車には乗らなかった。乗れなかった。気分が悪い。死んでしまいたいくらいだ。どうしてこんなことを続けて、平気でいられるんだ。たった四時間だ。僕に残された特別な時間。僕だけの時間。それをこんな繰り返しの中でいとも簡単に、あっさりと浪費してしまっていた。僕は日記を読み返した。それは一週間ごとに決められた工程を歩んでいた。ほんのわずかなずれだけだ。バグみたいなずれ、あとは単なる繰り返し。こんな精彩を失った日常の中で、鮮やかに引き出されるのは、ただただ過去の記憶ばかりだった。そしてそれはすでに僕の手のひらから滑り落ちてしまっていた。もう二度と手に入れることはできない。誰がこんなことを望んでいたのか。僕が望んだというのか。いつ?わからない。どうしてもわからない。どうかしてしまっている。僕は気づかないでこの繰り返しの中に転げ落ちてしまっていた。これが僕なのか。僕はどうすればよかったというのか。

 僕はいま最小限の荷物をリュックサックに詰めて、通勤とは反対方向の、別の列車(different train)に乗って、車窓に広がる海を眺めている。切り立った崖に沿って進む列車だ。ここではないどこかへ、この列車が連れ出してくれる気がした。今とは別の終着点へ。分かっている。そんなのは馬鹿げてる。他愛もないロマン主義だ。逃げ出したところで時間は変わらず流れ続ける。分かっているんだ。それでも僕の日常だって馬鹿げた、取るに足らないものだったじゃないか。そう思えば僕はこの列車に乗らずにはいられなかった。どこに着くのかもわからない。わからない方がいい。ただいつまでもこんな風に海を眺めながら揺られ続けていたい。切なる願望だ。 
 同じ車両には、いま僕のほかに10人くらいが乗っている。席はガラガラだというのに、手すりにもたれてワイアレスのイヤホンで音楽を聴いている大学生くらいの男は、携帯に夢中になっている。そのはす向かいのシートに女子高生二人が腰かけていて、一人はもう一人の方にもたれて、やや股を広げて眠ってしまっている。もう一人はやはりきちんと閉じた足の、スカートの襞の上に開いた英単語帳をじっと見つめている。そんな二人の後ろの窓から光が差し込んできて、そのまた後ろには海が広がって見える。座席の反対の端にはこんな時間にスーツすがたの僕よりすこし年上に見える男が、本を開いている。時々姿勢を変えてみたりするのをじっと見ていると、彼が読んでいるのは文庫とは呼べないサイズの東洋文庫のアラビアのロレンス『知恵の七柱』だった。何巻なのかははっきり見えない。僕も抄訳の『砂漠の反乱』ならば、古い角川文庫の金色の装丁の本で読んだことはあった。砂漠の中の孤独な異邦人。僕もそんな心持ちだった。何か本をもって来ればよかった、いやこれでいいのだ。男から目をそらして、海を眺めやった。日は南天からやや傾き、それでも海の面に一筋の光の筋を投げて照らしていた。

 気が付けば、さっきまで少なからず乗っていた乗客はいなくなり、日は少し傾いていた。終着駅まで来ておた。小さな駅舎とそこから伸びる屋根もないプラットホーム。片田舎の寂れた駅だ。僕は開いた扉から放り出されるみたいに列車を下り、ところどころひび割れて草がその割れ目から伸びるアスファルトの上に立った。
 僕は砂浜に立っていた。崖の上の駅から転がり落ちるように坂道を降りて。目の前に広がるのは真っ白い砂浜。偽物みたいにきれいだった。そこにモネの真っ白いワンピースの女の人が同じくらい白い日傘をさして現れる幻想を見て、ハッと振り向いたがやはりそこにはだれもたっていなかった。見えたのは遠く、老犬を連れた中年女が、二人とも草臥れた感じで歩いているだけだった。それさえ遠ざかっていく。
 防波堤のように浜から少し高くなった海沿いの道には防風のためか、一定の間隔で松の木が植えられており、それかやや車道へと突き出している。しかし今は風はなく、葉は揺れない。ただ一定のペースで繰り返すソーダ水のはじけるみたいな静かな潮騒だけが響いていた。斜陽が水面の小さな波の動きに反射してキラキラと輝いていた。海水は異様なほどに澄んでいて、二つの突堤に囲われて和らげられた静かな波が水底の小石や海藻にぶつかりまた別の小さな襞の連なりをを生み出す様子がありありと見えた。襞は絶えず自分を内側に織り込んでは、溶けていった。僕はキャメルに火をつけた。それでのみこんだ煙を一気に吐き出した。煙草の赤く焼ける先端から出た粗い煙と吐き出された滑らかな煙が混ざり合って夕日に染まる空へとゆっくりと溶けていった。もう何時間ほど経ったろうか、夕焼けに照ってしずかに蠢く海の様子を眺めているとだんだんと、僕は生きている、生きなければならないという確信めいた思いが、胸の内にふつふつと湧きだしてきた。畢竟それも単なるロマン主義に過ぎないのかもしれない。しかしそれでもいい。僕はふりかえり、砂の上を、山上の駅に向けて歩み去っていった。

 実際はほんのわずかな時間だった。すでに日は沈み、水平線の間際だけが赤々と光っていた。海は闇に溶け、最後の光も消えると、どこが境界なのかさえ分からない。ただ何もかも包み込んだ闇の中で、少し強まった風が松の葉を揺らすざわめきと、繰り返すソーダ水の小さな音だけが人のいなくなった砂浜に響き続けている。そして砂上に残された力強い足跡は、確かに波に攫われることなく残り続けていた。

D.C.・・・・?

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