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髪切った


ただなんか飽きたなと思って美容院に行ったのだけれど、キムミンギュとほぼおそろいになった。

ここ最近は楽さゆえに前髪を伸ばしていわゆるハンサムショートと呼ばれる髪型で、その前まではずっとオン眉ぱっつんのベリーショートだった私はミンギュちゃんが今の髪型になってからそわそわしてしょうがなかった。前髪かわいいな…は彼のキュートさもさることながら私もやりたい…のそれだったようだ。

なぜこんなことを書いているのかと言えば、私はおそろいがあまり好きではない。
彼の隣に立てるような人(主に男女として、"お似合い"の類)になりたいわけでもないし、服装などにおいても同じような見た目をしたいわけでもないし、彼が持っているという理由だけで消費活動をしたくないし、私は私らしくありたい。そして"私らしくありたい"には"人と違っていたい"がある。
憧れの人をそのまま真似ることは私の信念に反していて、いつも私だけの何かを見つけたがっている。

「学ぶ」が「真似ぶ」からきていたり、基礎がなければ応用ができなかったりするように、真似ることから自分らしさなるものを見つけられるが、捻くれ者で空っぽだった私はそれがなんとなく嫌だし恐ろしかった。
そもそも持ち物や服装などの比較的簡単に手に入るものを真似るというのは人が試行錯誤したかもしれないものを簡単に奪うようで敬意がないと思っていて、今はそこまで躍起になったりしないけどそういう思春期を過ごしてきた。

だから図らずも似たような髪型になったことになんとなく後ろめたさなんかを感じたし、同時に、これはとても愛おしい記録だなと思う。

そういえば去年の秋頃におそろいのベルトを買ったな。
ベルトの中心をずらしたりロンTの片袖を脱いでたり、落っこちそうなメガネがポケットから覗いていたり、ラブリーが盛りだくさんだった日のお花のベルト。
"一般的"と違うことをすることは関心だと勘違いされた嘲笑もあるだろうに、その日もしっかり表情管理をしながら空港を闊歩する彼のそのマインドが大好きで希望だから、指針みたいに、私のことまでまるごと全部宝箱に入れておくみたいに、それを私のそばに置いておく。


真似をすることもされることも嫌だったのに彼に出逢ってからは頑なだった何かがいつも解けていくようだ。解いて可愛いリボンを結びなおしている。
彼がそうしてくれるというよりは私がそうできるようになる活力をくれるというような感覚。ミンギュちゃんの光の種類はこういうものだと思う。私は私の足で歩く。


私がキムミンギュに出逢って嬉しいのは、形が明確であろうとなかろうと大事にしてた部分に共鳴することだ。
追いかけて追いつきたくて同じになるんじゃなくて、無くしたパズルのピースをたまたま出逢った彼が持っていたみたいな。


ここまでたかが髪を切っただけで長々と書いているが、私の行動の根源はなんとなくとか思い立ってとかそういうものなので意味はひとつもなかったのだけれど、たかが前髪だけど、彼を愛おしむ気持ちが私にまでリンクするようでまた自分のことを好きになれそうだ。


最近よくきみの夢をみる。

私が夢にみるのはきみの光。


もうすぐきみが生まれた春が来るね。


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