春に触れる
もう直ぐ引越しを控えている、モノを増やさない方が好ましい時期に迎えた桜の盆栽。
思い立ったら待つことができない性分である。
私がゆっくり暮らしを整えていくのと同じようにゆっくりと花をつけてくれた。
私が働くお店の盆栽は、店内のあたたかさから春がきたと勘違いをして2月下旬には花を咲かせていた。すでに咲くまでの過程を見ていて、それとは違ったために私の子は大丈夫なのかしら…とそわそわさせられたが屋内か屋外か、または早咲きか遅咲きかで思ったよりもずっと違うようだ。
蕾の中にいくつも花を持つことも、次の子の居場所を確保するように茎が伸びるのも、自分ひとりで育ててみて初めて知ったことだった。
2〜3日に一回土の様子を見てお水をあげて、私の部屋に置いてからも天気のいい日は外に出して、もしこの桜が私と似ていたら、そんなに見ないでって怒らせるくらいには毎日眺めている。
大雑把でガサツだからきちんと何かを長期的に大事にできるのが新鮮だった。
私の場合は、音楽にしろ何にしろ、好きな人の好きなものというのは自分で見つけ出すよりも私に馴染みやすかったりする。きみへの気持ちが上乗せされて、ここまで大切にできたのかもしれない。人は1人で生きていけないという言説を、豊かさという点でよく思い出す。1人の方が傷つかずに済むから、と思っていたけれど、もう1人で生きていきたくはない。
この"桜の盆栽"という彩り/人生の1ページのきっかけが私のいちばん大切な人・キムミンギュであるというだけで全部私のものなんだけど、これはきみにはあげないんだけど、それがすごく嬉しかった。人を想う気持ちってこんなに自分にとって優しくて、自分の心を温められるんだね。好きでいさせてくれてありがとう。毎日想うよ。
私の部屋には桜の花びらが落ちている。気持ちがこぼれ落ちてできた足跡みたいに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?