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明日も



私の住んでいるところは風がすごく強い。
一年前地元に戻ってきて一番に思い出したのがそれだ。その頃は今よりもう少し髪が長かったから、荒れ狂う髪の毛を見て、崩れるのにも関わらず毎日前髪を完璧にセットする高校時代を思い出した。

2023年の目標は「頑張らないこと」だった。
それ以外の目標は立てず毎年決まって買っていたスケジュール帳も買わなかった。怠惰がそれを上回るためずっとそうではないと思っていたが計画型の私は文字に起こしたりしないことがもどかしくて何度か買おうか悩んだが、なんとなく、買わなかった。


レール、から転げ落ちてしまった頃から日記を書き始めるようになった。19歳だった。
日記はそれまでも書いたことはあるけれど、明るくて晴れやかなものではなく縋るためのもののようになった。
自分が今日何をしてどんな風に過ごしたのか、どんなことを思って明日は何をしたいのか。その日一日を終わらせてあげること。一日ずつ生きるため。

幼い頃から何故か水の流れのように生きていたので自分の足を使って歩むようになったのが遅く、あまり積極的に使いたい言葉ではないが、「年相応」という言葉を自分にかざしてみたときどうしてもいつも遅れをとっていた。
例えば自分が初めて知って喜んだことは誰もが既に知っていて、軽くあしらわれて知らないことを馬鹿にされた。人に自分の感覚の話をすることはなくなっていった。
伝えるということで記憶は強固になっていくが、人に話すことがない私の記憶はあまりにも少ない。
好きなものがなんだったのか、心が動いたことを覚えていないのが時折すごく寂しい。


反骨精神が強かったとはいえいつも遅れをとっていた自分がレールから外れるのはもちろん怖かった。尚且つほぼ不可抗力だ。
一日ずつ自分が何をしたのか認識してどんな些細なことでも褒めてあげて、出来なくてもそんな日もあるねって声をかけるように一日を記した。
一番の対話の相手も自分を認めてあげることができるのも自分しかいないと思った。"みんなと違う"から。世界はまだ狭かった。


「普通」を知らず、意見を持ったとき少数派であることが多く、それでも馴染ませた方が楽だからと降り積もる違和感に目を瞑って過ごす中で、私の救いはファッションにあった。
唯一自分と向かい合えるのがファッションだった。恐ろしかった「みんなと違う」ということが武器になった。

急にレールが折れて現実を突きつけるように広がった砂漠を前に途方に暮れた。もう何もない、と思ったらファッションがあった。私が救われたように誰かを救えるのかもしれない、一心発起、東京に出た。成人式を終えた頃だ。


私の将来の夢は何だっただろうか。

そもそも幼い頃は大人が未来の話を強要するから、別に夢なんてなかったけど人に伝えられるわかりやすい名前のついた何かを探してみる。その時一番興味のあるものを未来の全てにしようとしてみる。
夢があれば、目標があれば、指針が生まれるのであるに越したことはないけれども、好きなものができたらそれを"全て"にしなくちゃ、必ず努力をしなくちゃいけないようで何かを好きになることすら嫌だった。幼いくせに。好きなものを好きだということが憚られた。欲しいものをねだることが出来なかった。


誰かを救えるのかもしれない。それだけだった。
全ての優しい人のもとに、平坦に流れていく日常に、非日常のきらめきがもっと身近にあればいい。届けたかった。

若さという名の無知と、希望という名の柔らかさは社会には耐えられなかった。
確かに挫折だった。それでも夢を叶えた。21歳の冬。


それからの一年を私はもう言葉にすることができない。絶望だった。ずっと苦しかった。今だから言えることは「もう何も怖いものはない」。

22歳、好きなものはわからなくなった。私を守る手段だったファッションは苦しみになった。

家を自分の家だと思わせるものって何なんだろうって考えざるを得ない時期があって、自分がここで「暮らす」ということに耐えられない場所で過ごした時期があって、それに少しでも耐える術は自分の好きなもので周りを固めること。
自分以外の対話相手である本。可愛くて嬉しい小さな雑貨たち。自分の力だけで生活をし始めるのと一緒に買った植物たち。きみたちがいるから私はここを居場所だと思おう、と思えた。
大事にしていた服たちはずっと段ボールの中だった。必要なものってなんだろうね、必要不可欠だと思っていたものがそこにないのに生活はいつも通り回っていった。

ずっと部屋に篭ってたまにお散歩に出掛けて、川を眺めて音楽を聴いた。外に出てしまったらどこに帰ればいいのかわからなかった。
そのときに出会ったのがSEVENTEENだった。

明るさは難しい。
何も考えていないと見下されたり強い人だと誤解されたりする。SEVENTEENの曲は表面だけ見ると馬鹿にされうる明るさがある。明るさは自分の心を窮屈にすることもある。


まだ外野からSEVENTEENを見ていたときすごく「アイドル」だと思った。そこにあるのは大衆的であるということだけど、踏み込みやすさとか伝わりやすさという大衆性を失わないまま""SEVENTEEN""という核が揺らぐことがない。Self Loveや"私は私"が正義、言い方を選ばなければある種流行りともとれる世界でずっと一貫してI LOVE YOUを叫ぶ。


こんなふうに「頑張れ」を歌える人たちがいるんだ、というのが始まりだった。大丈夫も頑張れも第三者の基準に当てはめてしまうと時に暴力へと変わり、私はそれが恐ろしく、伝えることも受け取ることもできず歩みを止めるしかできなかった私の心にも一直線に届く「頑張れ」だった。

彼らはいつも"私"に対して歌う。当たり前のことを当たり前とは捉えないが、悲観される"べき"事象を、否定も肯定もなく当たり前のようにそこにあるという表現をする。例えば私が一番好きな「何もないなら僕で満たすよ」(Home-Japanese ver.)の"何もない"の部分。
特技も夢も才能も中身も常識も、何もないからお洋服とお化粧で武装するしかなかった。何もないことを一生懸命誤魔化していた。こんな人間ではダメだと思ったから。
自分だけの何かをいつも探して、基礎もないのに応用しようとしてしまう私がその言葉に身を預けられるのは、SEVENTEENでありキムミンギュであったからだと自信をもって言える。



このクソみたいな世界を生きるために背中を叩いてくれる彼らの歌う「一緒に逃げよう」は「君が望むなら」だ。自分本位な愛ではないことが、閉鎖的な私の心を明るい世界へ繋いでいく。


私のいちばん好きなミンギュさん、第一印象はピュアなまま大人になれた稀有な人。真っ直ぐな人だなと思った。欲に忠実で、それを楽しめる人。羨ましいなと思った。


誰かが、今を精一杯頑張りたいという文脈の中で「人の全盛期は決まっていて、それ以上に欲を出すことは本当に欲になってしまう」と言っていて、欲のない子供だった私はハッとした。
私は出してもいい、もしくは出さなければならない欲まで抑えていたような気がするし、欲という一種の希望を別世界のものだと思っていたところがあるなと思った。
欲に忠実であることは傷つく覚悟とも取れる。私も少しは傷ついてきたつもりだ。
キムミンギュという人、少し前のnoteで書いた「自分で自分を満たすことのできる人」の話しかり、彼には楽しい方に向ける引力があった。いつも笑顔が眩しい。


人生を引っ張り出してきて絶望の話までしているが、そうして出逢えたSEVENTEEN、に劇的な何かがあったわけではない。
一年を振り返ろうと思ったとき、ずっとずっと苦しかったことがなくなって全部大丈夫になっていて、街を歩くときイヤホンをしなくても良くて、ご飯が美味しくて、晴れの日を天気が"いい"と思えて、そこにSEVENTEENが、キムミンギュがいる。

出逢えたから大丈夫になれたんじゃなくて自分の足で「大丈夫」に向かうまでの道を並走してくれた。
言うなれば、ずっとそこにあってふとしたきっかけで気付いた道端の花とか、一緒に"あのとき"に戻って馬鹿みたいに笑い合える友達とか。


好きなものはわからなくなって自分を守るための鎧が自分を苦しめる理由になっても、マイナスがゼロになったらそれでよかった。また仕切り直して新しく始められるから。私は何にだってなれるんだと思ったから。



そんな風に始まったのに、あまりにも多くのものを貰った一年だった。まっさらで新しいのに少なからず積み重ねてきたものも土壌としてしっかりあることがわかるような、ぺたんこのソールで凸凹の地面に立つんじゃなくてふかふかの大きな何かの上を舞うように歩くみたいな、そんな自分になった。
好きなもの、わからなくなっただけで無くなったりはしなかった。きちんと歩んできたんだ。そう思わせてくれるのはいつもミンギュだった。自分を諦めないことを体現してみせてくれる。



いつかのスケジュール帳の、目標を書くページのいちばん上に「唇を噛まない」があったけど、きみとおそろいの癖だからなんかいっかって思えるみたいな、そういう小さな優しさで過去まで全部包まれるような日々。

どんなところがどんなふうに私に作用したのか上手にまとめられたらいいなと思ったんだけど、私が覚えているからいいか、と思った。そのために書き始めたのにね。物語の内容は忘れてしまってもその時の感情の温度は覚えていられるように、ずっとずっと大切にできると思う。何度も再確認させてもらえるきっかけが日常のあらゆるところに散りばめられている。

ミンギュに会えるから一番可愛い私でいようと思ったときに選んだのが、箪笥の奥でしわくちゃになってしまっていた、あの頃の、心の鎧だった服であったこと。

居場所を作るために必死にかき集めるのではなく、ただ心の赴くままに拾い集められるようになったこと。そうして心から安心できる居場所を見つけたこと。


今私は自分が好きなものに対して正直でいられている。今年は生まれてきたことが苦しくなかった。
コンプレックスだった"年齢"というものをそのまま受け取れるようになった。24歳。年相応という言葉をまたかざしてみたとき、幼くなっているなと思った。あの頃、人に話せなかった、記憶に残してあげられなかった感情が戻ってくるみたいな。
「好き」「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「悔しい」「寂しい」、単純明快なたくさんの感情の花が咲き誇っている。私は今の私の心の有り様がとても好きだ。

2022年の終わりに、「今は漕ぎ切ったペダルの余力に任せるように、ただ時間に身も心も委ねられますように」という言葉を贈って貰えたことがずっと心の深いところにある。
そうか、私は一生懸命漕いだんだ、漕ぎ続けたから、休んでも大丈夫なんだ、と思えた。
ゆっくりゆっくり時間をかけたから、自信を持って「また漕ぎ出せました」と伝えられる。

この一年、「頑張らないこと」を目標に掲げて感じたことはやはり"頑張る"は美しいエネルギーだということ。基準に当てはまらなくていい。みんなみたいに、みんなにならなくていい。



2024年のスケジュール帳を買った。ピンクの可愛いやつにしようと決めて買いに行ったのに、毎年決まって買っていた、いつものにした。なんとなく、しっくりきた。
苦しかった記録に上書きができる、これから記すことは嬉しいことの方が多い予感がする。新しい一年が始まる。生活を彩る。人生をデコる。






「무슨일이 일어날지모르니까 더 재밌고 두근거리잖아
괜찮아 아무도 널 이상하게 생각하지않아」

「상상해봐 설래지않아?」


그냥 하는거야


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