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ワンダーランド


みんゅ姫論ってnote書こうと思ってたんだけどなんか暴力的だし人に対して論とか言いたくなくてやめた。
ミンギュちゃんの"可愛い"の話。ミンギュちゃん大好きの話。


11/11にYouTubeにあがったVLOGで、インセンネッコを撮るミンギュちゃんが自分の仕草を見て「今お姫様みたいだった」と言っていた。

常々キムミンギュのことをお姫様だと言っている私にとってはだいぶ私信なのでわざわざDMをくれる人もいたりしばらく高笑いが止まらなかったけれども、なんかこう、好きなものと好きなもの/好きな人と好きな人のコラボみたいな私信ではなく私から見えているキムミンギュがお姫様であるというだけ(怖いよねずっとこういう調子で話を進めます)(これ以降ツッコミはありません)(カオス)だったので、本人から口にされるとなんだかむず痒いような気持ちだった。


私はギャップというものをあまり信用していなくて、というのも、状況や向かい合う相手や自分の心次第でどうとでも変わるし変えることができるから。少し話は逸れるかもしれないけれど、その時々で合わせ"なければならない"こともあるだろうし合わせることが心地よかったりすることももちろんあると思う。ある種流動的で多面的であることこそが豊かさのように思う。

アルバムを買ったときのアンケートにある、その人を好きな理由の選択肢の「舞台上とそれ以外のギャップ(うろ覚え)」も首を傾げてしまう。いや、そうなんだけど、安直ではないだろうか。
(ちなみに捻くれているなどのツッコミももうしません。人と関わるために自分にナイフ突き立てるのやめました、ピース)

例えば、「〇〇歳なのにこんなに可愛くてすごい」みたいなのが私の地獄のひとつにある。ギャップとして言いたいのだろうけれど、ここで使われる"なのに"は社会的一般常識という名の制限の話だと私は感じている。


キムミンギュのわかりやすい構成要素を挙げれば、187cm80kg越えのセクシーマッスルガイだ。その彼が自分のことをお姫様みたいだと言ったりピンクのお洋服を着たりすればギャップという話にはなるだろう。
私もその容姿でその仕草をするんですか、ということに光を感じているので言葉選びの違いであって本質はなんら変わりないし否定したいわけでもない。

じゃあ何が言いたいのかというと、私はキムミンギュが姫だということに本気ということです。(それでいいのか?)いやうまくは言えないけれども。


私は人生において可愛いか否かがデカい判断基準となっていて、ミンギュちゃんの"可愛い"は私の今までの選択の全てが詰まっていて、諦めてきたり抑圧されたり隠してきたものまでに届く光。
他の誰でもなくミンギュちゃんだけが私を掬い上げることができる。


ここで具体例を挙げられたら文章として、オタクのnoteとして有意義なものになるのかもしれないけど私にはそれができないのでただ自分の気持ちの羅列になる。ここまで読んでくださった方ありがとうございます。並びに私の破茶滅茶な文章をいつも読んでくださる方、ありがとうございます。まだ終わりません。始まりです。


キムミンギュの愛らしさや少女性みたいなものは愛されてきた証だなと思う。本当にたくさんの愛を受け取って育ってきたんだろうなと思う。そして受け取るのが本当に本当に上手。重要なのはそこである。愛はいくらあっても受け取り先がなければ当然意味がないし、受け取り体制が不十分である場合もどこかにいってしまう。
"愛がデカいね"と褒められることになんとなく違和感を覚えるのはこれが理由かもしれない。私の愛がデカいのはキムミンギュがデカいからですし私が私の中にある愛を見つけられたのもキムミンギュがデカいからです。ありがとうございます。
ちなみに愛のサイズの話は他者との比較ではなく自分の中で占める割合なのでご使用の際はご注意のほどよろしくお願いいたします。




1〜2年前に自分を愛せずに他者を愛せるはずがないということを書いたのだけれど、自己肯定感の低さは周りにいてくれる人を無視する。
地下アイドルを推していたとき、私の言葉は届くし、キャッチボールもできる距離だった。私が彼女を無視したのではなく彼女はずっと私を、きっと多くのファンを、無視していた。私もその頃未熟だったし見えてない部分はあるかもしれないし、言い方が酷くなってしまったけど、若かった自分が捧げられるだけの愛を全て注いで毎日伝えても、自分は愛される価値のない人間だと、しんでしまいたいと嘆いた。
私は彼女のどこにいるんだろうと思った。確かに手が触れたはずなのに。私の目を見てくれていたはずなのに。

自分を好きだと言ってくれる人がいた時に全力で受け止められる人になりたいし、全力で捧げられる人になりたいと思った。私も自己肯定感なるものは地の底のような人間だったので、それから何年もかけて自分と向き合って、大好きだとは言えなくとも認めてあげることはできるようになって。




絶望の中の救いではなく、努力した先で迎えてくれる温かい場所。そういう風に出会えたキムミンギュを見てくれ。言いたいことはお分かりですね、で片付けてしまいたいくらい、言葉なんて必要ないくらい美しくて明るくて、陽が差していて、心地いい風が吹いていて、ああ報われた。全部報われた。

君の心の穴両手で塞ぐ
何もないなら僕で満たすよ

Home(Japanese ver.) /SEVENTEEN

何度も何度も聞くたびに新鮮に驚いてしまう大好きな歌詞。

ミンギュちゃんが2022年に表紙を飾ったELLEの背表紙には"Enough"という単語。

『GOING SEVENTEEN』の「TTT」で、合宿場所にガウンを持っていきましたね。寝る瞬間にもしたいことがはっきりしていると思いました。

MINGYU:
その瞬間の感情を最大限に感じたいという気持ちが一番大きいです。
おいしいものを食べたら、その時の感情が自分にとって一番幸せな瞬間であってほしいし、その瞬間のための環境を作ることができたらすごく嬉しいです。

そのような生活を通して追求する人生の方向性がありますか。

MINGYU:
生活のすべての瞬間にもっと意味を込めたいです。公演もその瞬間の大切さをもっと感じたいですし、終わってからスタッフの皆さんにももっと感謝したいですし。そうすればもっとずっと記憶に残りますから。そうしないと、大切だったものが、ただやっただけのことになってしまうので、それを逃さず大事にしたいです。

共にweverse magazine

私がSEVENTEENを知ってミンギュちゃんのこともっと知りたいと思ったときに読んだweverse magazineで印象に残った部分。

自分で自分を満たすことのできる人なんだ、自分のための選択をし続けられる人なんだ、と思った。


私は幸せに生きるのが上手だ。

2023.6.3 出典:私

ミンギュちゃんと私は似ているのかもなということをよく考えると同時に"似ている"だと全然違うなと思うし、ただ複雑に考えてしまう私に単純さを渡してあげると"似ている"になるし、"似ていませんように"とも思う。

人生はままならないし痛みも苦しみも豊かさとして昇華されていって、それがない人生の方がきっとつまらなくて、どんな感情も受け入れて上手に馴染ませられるミンギュちゃんにこんなことを願うのはむしろ失礼なのかもしれないけど、ミンギュちゃんだけは絶対に寂しい思いをして欲しくない。私はもうたくさんなくらいずっと、多分、寂しかった。

ミンギュちゃんって誰のことも置いてけぼりにしない視野の広さと行動力と頭の回転の速さがあるわけだけど、自ら目立とうとしない慎ましさいじらしさ可憐さ愛らしさも持ち合わせ、利他的であるがゆえに与えることに躊躇もなく見返りも求めず、むしろ他者に向いているようで自己のためであって(ここまで一息)
だからね、ミンギュちゃんが自分を癒す方法が自分だけではありませんように。私みたいにひとりで大丈夫になろうとしませんように。

これもまた全然杞憂だろうけどね。アイドルとオタクの関係性において割と自信を持ってそう思えるのって、ミンギュちゃんのとんでもない魅力だよ。
元気でいようねって伝えるのが怖くない人。


似ているし、似ていない。
私の過去が詰まっているという未来。
新鮮な懐かしさ。
新しいのに安心する。



年齢はただの記号といえど私の中では積み重ねてきたものの証明だから、自分の理想の可愛いに辿り着くにはもう少し年齢が欲しくて、でも丁寧に着実に拾い集めていきたいから"早くこうなりたい"とか"いつか"だけを夢みるんじゃなくて大事にしたいのは僕らの今で。理想を叶えるのもその時の"今"なわけじゃないですか。

"会いたい気持ちに蓋して自分のために笑えるようにね"、原動力は会いたい気持ちかもしれないけど/だから、「自分のため」が上手にできるようになったよ。
いっぱい可愛いをかき集めて楽しく生きるし、そうやって積み重ねた私の今一番の"可愛い"をミンギュちゃんにあげる。そうやってどんどん更新されていくわけ。

ぅちら可愛いの真っ向勝負ってこと。ミンギュちゃんが"可愛い"を魅せてくれるから私もとびきりの可愛いを選ぶことができる。

自分の表現に戸惑いがなくなることって本当に健康なことで、私は合わせるタイプだからずっとずっと難しくて、でもミンギュちゃんがくれるエネルギーは明確にそれだしミンギュちゃんは私を馬鹿にしたりしないし話を聞いてくれるなあと思う。

私はミンギュちゃんが何気なく「自分自身も誰かでしょう」って言ったのがずっっと忘れられないんだけど、その俯瞰した考え方も通ずるものがあるし、編集もあるとは思うけど割とみんなにスルーされていて。なんかもうスルーされるのあるあるだと思っているんだけど、キムミンギュ、伝わらなくたって貫ける。
他者との関わりで自分の魅力を発揮させるような慎ましさと心地よい狡さがあるのに他者に依存をしない。
対話がしたい人すぎませんか。私の独り言みたいなくだらない疑問にも自分の思考で返してくれる人でしょ、知らんけど。



ミンギュちゃんが人と顔を見合わせて喜びを表現して幸せを伝染させていくことのファンなんだけど、何度も言うけど受け止めるのも本当に上手なんですよね、誰のこともひとりぼっちにしないんだよね、いつも拾ってるからね。

エネルギーの向かう先にミンギュちゃんがいたら最大限腕を広げるように受け止めてくれる安心があるし、表現に戸惑ってもミンギュちゃんが引き出してくれるよ。ミンギュちゃんってそういう力があるよ。

先に引用したweverse magazineの中でもsnap shootのMVを撮ったこと、going magazineの撮影を担当したことについて言及されているけど、メンバーもきっとそうなんだなと思うし、私もそうだよ。
自分の豊かさをもって人の豊かさを引き出せる人。ミンギュちゃんが視線の先にいるときのメンバーの顔を見るのがたまらなく好きだ。



例えば映画を見たり小説を読んだり人と会ったり美しい自然や芸術に触れたりして自分の表現に恐れがなくなる感覚、心が穏やかになって好きなものに正直になれる感覚、その全部をくれるのがミンギュちゃんでその全部にいるのがミンギュちゃん。
いろんな感情の全部、いつも、ミンギュちゃんの名前呼んじゃう。



最近、悲しみ等は特になくただ認識として、私の表現の主戦場は言葉ではないな〜と思った。だからといって無くすわけではないし好きなときに好きな表現ができたらいいし模索していけたらいいし沢山チャレンジしたいなと思って。
無関心な私に表現という欲が生まれるのは全部ミンギュちゃんがくれる温かい気持ちのことだった。それが本当に本当に嬉しい。


キムミンギュが照らす世界では私は自由でいられる。ワンダーランド。ユートピアの方が意味は近いけどワンダーランドの方が可愛いからそっちにする。

今までの全部大事にしていい。今まで積み重ねてきたものは間違いじゃなかったし、ミンギュちゃんがくれる積み重ねはいつだって嬉しい。
何度も、毎日のように、ミンギュちゃんのこと好きになれてよかった、ミンギュちゃんのことこんなにも好きになれる自分でよかった、と思うよ。いつもありがとう💌


私の大事な気持ち、やっと書けたな。思ったよりたくさん書けたな。でもまだまだこれからもっとたくさんありそう。やった〜

どうやって終着させたらいいかわからなくなっちゃったので大事にしてるツイート載せちゃおう。

出典:私




あ、あと、自分だけの何かを模索しながらシンプルでいられるミンギュちゃんのことをすごく尊敬しているんだけど、Happy Endingで"ありふれた展開はごめんだね"って歌ってるの、だいすき!

うちら全力で楽しんで生きてこ〜ね♫


おしまい


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