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自己紹介⑥:「シンデレラボーイ~サッカーとは人生そのもの~」

こんにちは!

今回は、
自己紹介第6弾であり、

最終章

「シンデレラボーイ~サッカーとは人生そのもの~」


というテーマで、大学生の頃に遡って、綴っていきたいと思います。

前回の記事を読まれていない方は、先に前回の記事を読んでくださるととても嬉しいです!



そしてここまで読んでくださった皆さん、
本当にありがとうございます。感謝してもしきれません。
#感謝カンゲキ雨嵐


あともう少しだけお付き合いください!



私は大学4年間、常に自分自身に問い続けていたことがありました。

それは、

「自分にとってサッカーとはなにか?」です。


それほどまでに
サッカーをすることが辛く、苦しく、難しい4年間だったということなのかもしれません。
#初っ端から重すぎてごめんなさい

というより、
初めてサッカーでは、食べていけない(収入を作れない)のかもしれないと強く感じたからなのかもしれません。


要するにそう考えてしまった理由はいくつもあって何個か上げると、

・130人、4カテゴリーといった大きな組織に初めて所属したこと
→自分自身の存在価値が見い出せない、ポジション争いの激化

・自分から見たらエリートだと思う奴だらけ(代表歴、選抜歴、Jの下部組織出身、高校サッカー強豪校出身、日本一経験者、プロの合宿参加・帯同経験などなど)
→チーム内だけでも上には上がいすぎる

・現実を知り、現実を考え、好きだけの理由でサッカーが出来なくなった。
→卒業後は、プロor引退(就職)を選択し、何かしらの生産活動をする必要がある

・一般的な大学生活が輝かしく見えすぎる(ギャップが凄すぎる)
→平日:5時半起き7時練、週末:遠征or1日中試合運営&応援(全カテゴリ応援)、OFF:週一(3,4年時以外は授業がある)

などなどですかね。


入学直後から、完全に大学4年間の過ごし方を間違えたと思い、毎日が後悔でした(笑)


なので、
大学4年間、幾度となくサッカーを辞めたいという気持ちに襲われました。
覚悟を決めかけたこともありました。


でも、辞めることはできませんでした。


なぜなら
公式戦のピッチに立った時のあのワクワク感が、
応援席からの大声援によりアドレナリンが出まくるあの瞬間が、
勝利した時のこれ以上ない最高に幸せな瞬間が、
負けた時の地獄のような悔しさが、


それらすべてが

自分のこれまでの人生で一番大好きな瞬間であり、
本当の意味でのサッカーの楽しさであり、
日頃の辛ささえも忘れさせてくれるものだったからです。

そして何より、
「今この瞬間を生きてるんだ」と思わせてくれるかけがえのない時間でもありました。

それでも上手くいかない時間が多くあったため、
「自分だけが特別辛い」、「自分だけ評価されない」と思い込み、
メンタルも言動も悪い方に行ってしまうことも多々ありました。

しかし、当時を振り返ると、

プロはもちろん、大学サッカーすら狭き門、ましてや全国から天才が集う関東リーグのスタメンなんて狭すぎる門、

だから、自分みたいな凡人が、しかも腐りかけた状態の自分が必要とされ続ける訳がありませんでした。

また、大学サッカーに進んだほぼ全選手が大学4年間で一度は挫折を経験します。
理想と現実のギャップに苦しめられていたと思います。

だからこそ、
大学サッカーがその人のこれまでの生き方が、人間性が、一番現われるカテゴリーなのかもしれません。

まさに、

「サッカーとは人生そのもの」ということに気付けた時でもありました。


そして、それに気付けたときに

今ある状況を理解しどれだけ正しい努力ができるか、
どれだけ自分自身と向き合う時間を作れるか、
マンネリ化し始める毎日の中で今日一日をどれだけ大切に過ごすことができるか、
大人数・大きな組織の中でどれだけ自分事に捉えプラスを生み出す存在になれるか


大学サッカーとは、まさにこれらの勝負であり、
これを淡々とやれる選手が活躍しプロの世界へ行き、
これをチームとしてやれている大学が圧倒的な結果を残している印象があります。



当たり前のことを言っているかもしれませんが、大学時代には残念ながら気付くことができませんでした。


そして自分はというと、

努力はしない、
苦手なものとは向き合わない、
毎日がマンネリ化し目の前の事に適当に取り組む、
組織のことになると他人事になり存在価値を無くす、

その他にも、
モチベーションに左右されることやラクを選ぶことも多かったですし、
失敗を恐れ、目立つことを嫌い、なによりやらない理由や出来ない理由を探すことばかりでした。

だからこそ、
長年サッカーをさせてもらったにも関わらず、突出した長所もなければ、輝かしい実績もない、上手い選手に活かしてもらうしかない、そんな普遍的な選手にしかなれませんでした。

まさに「人生そのもの」です。
Yusukeのこれまでの生き方が、人間性が、顕著に現れています。

非常に残念です。

でも、その残念な経験が本当にラッキーでもあったなと今は思っております。

どんなクソ野郎のYusukeでも、
サッカー選手を続けていた以上、常に評価対象にあり、結果を求められ、責任を負い、何かしらで存在価値を示さないといけません。

なぜならサッカー選手とはそういうものだったからです。

だからこそ、
これまでの数多くの失敗が、挫折が、妥協が今の自分へと成長させてくれましたし、

数多くの成功が、喜びが、成長が今の自分に少しばかりの自信を与えてくれています。

私自身、22歳の12月を持って、
本気でやるサッカーとは別れを告げましたが

過去の自分も、
今この瞬間の自分も、
そして、いつかこの世を去る瞬間の自分も、
軸となるものは全てあの頃の本気でやっていたサッカーの経験です。

要するに、

「サッカーとは人生そのもの」であり、

Yusukeという人生は、「サッカーそのもの」です。


そして、大学4年間常に問い続けていた

「自分にとってサッカーとはなにか?」

その答えは、随分昔から出ていて、
しかも、今も昔も変わっていないことに気づけました。

ただ大学生になり、
恥ずかしくて、そしてなにより自分自身の現実を受け入れられなくて、
口に出して言えなくなっただけであり、夢を諦めるのに納得する理由を必死に探していただけでした。

そして、自分にとってサッカーとは何か、

その答えはというと、
「人生で一番大好きなもの」です。

ただそれだけです。本当にそれでしかありません。
引退して1年半、やっと言える日が来ました。

これからもそんな大好きなサッカーを愛し、多くのことを学び、これからの人生に活かしていきたいと思います。

そして、サッカー選手としても人間としても大きく成長することが出来た大学4年間は私にとって大きな財産です。

4年間ありがとうございました!

そして、
16年間のサッカー生活本当にありがとうございました!



ということで、今回も最後まで読んで頂きありがとうございます!

次回もよろしくお願いします!

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