若いうちのアルバイトの意義とは

ここ数日の僕の憂鬱はアルバイトの退職についてが専らである。今まで某外資系企業に四ヶ月勤めていたのだが、それを退職しようと思っている。
そもそも高校の時、内部生であったためアルバイトをしなきゃなんていう友達は周りに一人しかおらず、お家柄が良いお友達に囲まれていた。かくいう僕の親も1時間1000円でバイトをするぐらいだったら英語なり会計なり株なり勉強すればお金を出してもいいよ、と言ってくれる特殊な親だった。それがどこか脳裏にありつつも、それまでの全てを占めていた部活動引退直後は目先のお金欲しさに高時給の飲食店で働いていたが、そこで週7出勤1日9時間働いている課長を目の当たりにして、カルチャーショックを受けた。商社の2年目が800万とかザラに稼いでいる中で、課長クラスがここまで毎日毎日うどんを運んで接客して同じかそれ未満の年収しか稼げないのか、と。自分は一回週3で4時間働いてみて、体力的にはできなくはないけどモチベーション的に続けられないな、と感じた。課長だって、いい歳した大人がうどんなんて毎日運びたいわけがないのである。そこで、それまではハイハイ、と流していた親の言ってた”大人が高校生に投資をしてまでさせたかった勉強”の価値をなんとなく理解した。父親は自分の好きな仕事をして毎日楽しそうに大金を稼いでいる。その我が父と課長のギャップに改めて親への畏敬心と、課長への憐憫、そして脳裏には福沢先生の言葉が浮かび上がってきた。
”天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。”の方ではなくその後の、”その貧富の差をつけるのは学ぶものと学ばざるものなり”的なやつである。
長くなってしまったので実際いま退職しようとしているスターバックスジャパンに関してはまた後日執筆しようと思います。スタバは一応外資です。


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