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Bullet Logic #1

1

 東南アジア特有の湿気を濃密に感じる路上が、慌ただしい空気でかき乱された。その原因は、額に玉のような汗を流して、着ているシャツとデニムにシミを作りながら必死に走る少年と、その後に付いて背後を気にする汗だくのカーゴパンツの女性だ。女性が何かに気がついて叫んだ。

「ヤバヤバ!撃ってきた!少年!」

振り向いた女性の視線の先にはハンドガンを構えながら追いかけてくる男たちがいて、彼らは、そろいのトライバルタトゥーである種の一団だとすぐに分かる。

「主任、こっちだ!」

銃声と銃弾の爆ぜる音と罵声が二人の耳にこだます中、主任に少年が合図し路地へ駆け込んでいく。主任が少年の後を追って角を曲がる。

数秒後、ギャングたちも路地に走り込んでくるが、すでに二人の姿はなかった。

「くそ!どこ行った!」

ギャングの一人が吐き捨てるように路地を駆ける。その風にあおられて紙が舞い、ひらひらと半地下の窓に吸い込まれる。窓から差し込んだ光がホコリに反射していたが、その光を遮って紙が床に滑り込む。かさりと音を立ててスニーカーに落ちた紙を拾いあげたのは主任だった。白いTシャツは汗で、まるでグレーの模様が入っているように見える。薄暗い中で目をこらすと、ボロボロになった紙にはかろうじて文字があり、それでチラシだと分かった。

主任は、外の気配を探っている隣にいる少年を肘でつついて、チラシを見せた。

「……」

少年はそのチラシと主任の顔を交互に見つめた。



 少年と主任が町のごろつきに追いかけられた路上から、少し離れた雑居ビル群の雑踏の中を、大柄で頭を坊主に刈り上げたラテン系の男が、いかにも、な黒いスーツを着て、行き交う人々を避けながら歩いていた。ある雑居ビルの『AP個人警備事務所』とかすれた文字で書かれた看板前に来ると、男はそのビルの階段を上っていった。革靴の立てる重い音がビルに響く。

 階段を上ると、オフィスの扉がいくつか並んだ廊下が現れた。『AP個人警備事務所』と書かれたドアの前まで男がのしのしと歩いて行く。ドア横の表札には『アンジェロ&ポール』と書かれていた。

アンジェロがドアノブをひねって事務所に入ると、GIカットでTシャツとデニム、ミリタリーブーツに身を包んだ男が振り向いた。

「遅いぞAJ」

「すまない兄弟、マリア様が」

「マリア様は関係ない。彼女はただの主婦だ」

ポールは苦々しそうに睨むと、腕を組んでデスクに腰掛けた。

「……マリア様が責めないなら大丈夫さ」

歯を見せてにかり、とアンジェロが笑う。それと、その背後の開け放たれているドアから女性が転がり込んでくるのとは同時だった。それに続いて脱げかけたスニーカーが脱げないように足をばたつかせながら少年が飛び込み、ドアを閉めた。

「このチラシの事務所はここ?」

アジア人で年齢はよく分からないが、まだ三〇歳を越えていないであろう女性が、息を切らせながら言った。しかし、口からとっさに出てきた言葉は英語ではなく日本語だった。

「なんだって?」

「このチラシの事務所はここ?」

女性とやって来た、十代後半といったスラブ系の少年がチラシをアンジェロにかざしながら英語で聞き直した。アンジェロは驚きながらチラシを少年の手から受け取り確認した。かすかに『AP個人警備事務所』とその住所が読み取れる。アンジェロはポールに振り向いてチラシを見せた。

「そうだ」

ポールはチラシを見ながらそっとつまみ上げて答えた。主任と少年は顔を良かった、というように見合わせてうなずいた。

「手を貸してください」

まだ息も絶え絶えな様子で少年が言った。

 

◯ 
 さて、少年と主任はボランティア活動でこの地域を訪れていたのだが、それも昨日までで、今朝から、人捜しのために東南アジアではどこにでもあるような路上で聞き込みをしていた。

「主任、いつもありがとう」

手に持った似顔絵を大事に握りながら、いつも付き合ってくれる主任に少年は礼を言った。

「気にしないで、少年」

と主任はいつも肩をすくめて応えるのだった。出会った頃から何故か、互いにそう呼ぶのがしっくりきたので、そのまま呼び合っている。そんなやりとりをしながら少年は露店商に似顔絵を見せて聞き込みを続けた。その様子を横目に見ながら、主任ははす向かいの露店に向かった。それを眺めていた、そろいのトライバルタトゥーをした町のごろつき集団の中から、1人の男が主任に声をかけてきた。主任は尋ねられるままに似顔絵を見せた。すると、どうやら知っている人物だったらしく、男が仲間にも声をかけた。仲間たちもぞろぞろとやって来て似顔絵を見ると、地元の言葉で次々に何やら言い合いだした。そして同じ似顔絵を持っている少年も指差し始めた。

「少年!この人たちが呼んでる!」

主任が声をかけると、少年は、はっと顔を上げて主任の元まで駆けて来た。主任と対峙していた男は、少年を見下ろしながら似顔絵を指差した。

「この娘とどういう関係だ?」

男が問い詰めるように聞いてきたことに違和感をおぼえながら、少年は祈る思いで答えた。

「妹です」

すると明らかに男たちが色めきたった。きょとんとしている少年を主任がかばうように背後に押しやるのと、男たちが襲いかかってくるのとはわずかに時間差があった。


2

 AP個人警備事務所の経理担当でもあるポールは、二人の話を聞きながらすでにいやな予感がして、必要物品の手配と情報屋に依頼するためスマホでやりとりを始めていた。アンジェロはその様子を見ながら何かやっかいなことにならなければいいのだが、と思いつつ口を開いた。

「そいつらの特徴を聞く限り、地元の、かなりダーティーな奴らだな」

少年と主任は、つまりどういう事になっているのか、というふうに顔を見合わせた。ポールは、二人に伝わるようにとアンジェロの言葉を引き継いだ。

「ああ、何でもやる連中だ。麻薬の密売、違法銃器の密売、密造酒の……」

「人の売買も?」

少年がポールの言葉を遮って前のめりに聞いてきた。ポールはおや、と片眉を上げた。

「人も、だ。妹さんは連中と何があった?」

少年は首を振りながら目を伏せた。ポールは少年が手に似顔絵を握りしめているのに気がつき、手を差し出した。主任が少年を促したので、少年は似顔絵をポールに渡した。

「それに、人捜しなら写真がいいんじゃないかな?」

似顔絵に描かれた娘は十四、五歳と言った雰囲気で、特徴的な紫の瞳をしていた。似顔絵越しにちらりと見た少年は、目をつむり口をもごもごと動かしている。主任が少年の背に手を添えると、少年はやっと息を吐き出すようにつぶやいた。

「俺は、八歳の時に亡命した。妹……メリーとはその時生き別れた。だから、残された写真からモンタージュしたその絵しかないんだ」

やはり、その類いの話か、とポールは眉をひそめた。

「両親の支払いでは足りないから、と、ブローカーがメリーを……あの子は珍しい紫の瞳をしていたから」

少年はいつしかシャツの裾を、指が白くなるまで握りしめていた。

「結局、両親は亡命できず、俺だけアメリカ人の養子に。メリーの事を両親は知らないし、そのとき以来連絡手段もない。だから、俺以外あの子を捜せない」

そう、言い終わるときには少年の唇も声もかすかに震えていた。しかし、ポールが似顔絵を返したとき、顔を上げても涙は決して流さなかった。その姿に明らかに感銘を受けたアンジェロが両手を挙げて叫んだ。

「兄弟!神の思し召しだ!助けよう!」

ポールは、鼻息荒く詰め寄ってくるアンジェロを避けながら、その肩越しに主任を見た。

「待て、俺はまだ信用していない。そこの……シュニー?」

そう呼ばれて主任は眉をひそめて首をかしげた。

(ん?名乗ってないけど……ああ、少年が“主任”って言ったからか)

その表情と仕草を見て、怪しげに受け取ったポールは、不信感を込めて続けた。

「彼女の身のこなしを見ると、軍人か、少なくとも経験が有るようだが、護衛でなければ何だ?」

あからさまに怪しまれていることに、どうにか少しでもまっとうな人間に見えるようにとの思いを込めて主任、シュニーは背筋を伸ばした。

「ああ、自衛隊で衛生兵をした経験が有ります。今はただの看護師です。で、少年は医学生をしています」

そう言って少年に視線を向けた。ポールもその視線を追いつつ、シュニーから目を離さなかった。

「私は新島夏海。日本で看護主任をしていました。彼、エドガーとは以前に難民支援ボランティアで知り合いました。事情を聞いて、少しは自分の経験が役に立つかもと思い、付いてきました」

夏海は一息で言い切り、喋りすぎたかもしれないと不安になったので、伸ばした背筋を思わず丸め、顔に落ちてきた髪をかき上げた。

「けど、ご覧の通り、町のごろつき相手になすすべもなかったんです」

そして少しでも困っている姿を悟らせまい、と肩をすくめて見せた。ちらりとポールを見ると、変わらず不信感に満ちた目で夏海を眺めていたのだが。
と、スマホの通知音がした。ポールはその通知を確認すると、深く息を吐き、腕組みし目をつぶった。

「……そのチラシは事務所開設時に一度だけ配った物だ。配ったことも忘れていた。だから、俺もAJの言うとおり、これは神の導き、御心だと思う」

そう聞くやいなや、アンジェロが手を叩いた。

「よろしく!アンジェロだ。あの意地悪な男はポール」

差された指を鬱陶しそうにポールが払う。アンジェロはにこにこしながら続けた。

「ショーとシュニーでいいかい?奴らに本名が知られないようにな」

そう言って差し出された手をエドガーは、かまいません、と言いながら握った。それを見ていた夏海にポールがメモ書きを差し出した。

「早速で悪いが、この宿に泊まって欲しい。どう動くかは情報を集めて判断する」

「おい、嘘だろ!」

まるで突き放すかのような態度にアンジェロが抗議の声を上げた。夏海は差し出された紙を受け取り、ポールを見た。目に不信の色は消えていたが、かわりに別の険しい色が浮かんでいた。

「……ひょっとして、かなりまずい状況ですか?」

その目の険しさに耐えきれず紙に目を落とした。

「その判断がしたい」

無機質な声で答えたポールの態度に、信じられないと言う様子でアンジェロは首を振り、胸元で十字を切った。

3
 翌朝早く陽が昇りきる前に、指定された宿の一室で一同は顔をそろえた。この宿はポールが危険と判断した時にだけ使用しているが、それを依頼人に悟らせないのも彼の仕事だ。

大きな荷物を背負ったアンジェロは窓辺で眼下の通りを見張り、ポールは室内の中央に置かれたテーブルにタブレット端末を置いた。画面にはいかにもマフィア、といった風情の男が映し出されていた。

「ブローカーが妹さんを売ったのはこいつらだ」

あまりに率直な言葉がポールから吐き出されたので、エドガーは思わず息をのんで端末に触れた。

「で、子どもを産める年頃になったので、今度はこいつらが妹さんを売りに出した」

そこでいったん言葉を切ると、ポールはエドガーの様子をうかがった。目の前の少年は、口を一文字に結び、眉間にしわを寄せた。目には怒りとも戸惑いともとれる色が浮かんでいる。

「が、妹さんはその売り上げと、組織のその他の売り上げを盗んだ。連中は、妹さんを売った後でそれに気づいた」

端末に映し出された妹を眺めるエドガー少年の脳裏には、かつて分かれる前に、まだ幼かった妹が笑顔で手をつないできた光景がよみがえった。少年には、こみ上げてくるものに飲み込まれないように、息を吐くしかできなかった。
それに合わせるように、階下にギャングたちが集まってきている様子をアンジェロが確認した。

「でだ、このまま妹さんを捜すのは厳しい。買い手まで辿れなかったのと……」
エドガーには、言葉を区切ったポールが少しためらっているように見えた。

「妹さん、メリーさんが盗んだ額はあまりに大きい。マフィアは報復を望んでいる。そのために下部組織のギャング団を動かした。そこに、メリーさんの兄と名乗る人物が現れた」

と言ってポールは居住まいを正した。

「……それは、格好の獲物だね」

悟ったように、エドガーが口元を引きつらせて呟いた。その時、アンジェロが窓辺から離れて荷物を床に置いた。

「兄弟」

そう言いながらハンドガン、ベレッタM39Rを荷物から取り出し、ポールにはアサルトライフル、M16と弾倉をいくつか渡した。ポールがそれらを受け取るのと、階上の部屋で爆発が起きるのは同時だった。
とっさにエドガーに覆い被さっていた夏海に、ポールはコルトM1911を差し出した。その意味を理解するまで数秒あり、口ごもりながら夏海はハンドガンを受け取った。

「使い方は分かるだろう?」

「いや、分かるけども」

「国外へ行け。国境まで送る。奴らから逃げた方がいい」

「俺にも」
夏海の下から這い出てきたエドガーが、手を伸ばした。彼は、ポールに意図が伝わっていない事に気づくと、イラついた様子で手で拳を作り、人差し指を立てて引き金を引く動作をしてみせた。

ポールはそれを見て、夏海がすくんでしまうほどの険しい表情になった。しかし、エドガーは負けじと睨み返した。

「ダメだ。これは大人の仕事だ」
「すぐ大人になるさ」
夏海には、二人の視線が、互いを激しく主張して火花が散っているように見えた。冷や汗が吹き出して、コルトを握り直す。

「兄弟!」

小声だが、部屋中に聞こえる声でアンジェロが呼んだ。何をもたもたしているんだ、とその目が訴えていた。ポールはアンジェロに頷き、それからエドガーを一瞥した。

「これは、大人がやらなきゃならない事だ」

そう言って踵を返すと部屋の出入り口まで素早く移動した。出遅れた夏海が慌てて後に続く。エドガーが不満そうに鼻息を鳴らし夏海をちらりと見た。
夏海は苦笑いしてコルトを構えて見せた。とても様になる姿で頼もしく見えた。
エドガーは、その姿をなんとも言えないといった表情で見つめてきた。

「分かってますよ」
夏海は気まずそうにポールの所までこそこそと移動した。

4
 部屋から顔を出すと、宿の主人がうまく動いてくれたことが分かった。ポールの思惑通り、ギャングたちは階上の部屋に集まり、目の前の廊下には誰も居なかった。合図を送ると、アンジェロが静かにその廊下を進んで、突き当たりの階段まで素早くたどり着いた。ポールは顎で指して、夏海へアンジェロに続くようにと促した。夏海はエドガーについて来るよう合図し、アンジェロに続いて足音を立てないよう階段を降りた。ポールがしんがりを進み、背後の警戒をすると、階上からはギャングたちの咆哮と一斉銃撃の音が聞こえてきた。
 
  今にも潰れそうな宿の駐車場には種々雑多な車が停められていたが、そのうちの一台に防弾加工が施されている物があった。それがAP個人警備事務所の手配した、5人乗り普通乗用車を改造した防弾車だった。
アンジェロは駐車場へ続く扉から顔を出して周囲を確認すると、巨体からは想像できない静かな走りで、最初に運転席へ乗り込んだ。背後を見てポールに合図を送る。
ポールはそれを見て頷き、夏海の肩を軽く叩いた。夏海はエドガーに振り向き、唇に指を当ててコルトを持っている方の手で手招きしながら車へ小走りに向かった。ポールは二人を先行させ、周囲を警戒しながら背後を進み、最後に車へ乗り込んできた。

 宿のエントランスに面した通りに、ギャングたちと彼らが乗ってきた種々雑多な車両が見えた。アンジェロは静かに車を発進させたのだが、目の端に動く物が有ると見ずにはいられない1人のギャングがたちまち気づいた。

「おい!」

そいつは隣にいた仲間に、駐車場から発進した車を指差して知らせた。仲間はその意図をすぐに察するとただちに車に乗り込んで他の仲間に連絡を始めた。
その間にギャングの乗り込んだ車は発進し、アンジェロたちを逃がすまいとけたたましいエンジン音と共に道に躍り出た。
銃声が響き渡るのもすぐの事だった。


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