将来の夢

自分と向き合うのが怖い。
いつからか、自分の無力さや無能さに打ちひしがれて、自分のことを客観視するのが怖くなった。
自分を見たら、歳を重ねても成長していない自分が見える気がして。
鏡を見る機会も減った。
あれやこれやと、将来を見据えることもやめた。
希望なんてなくした。
今日と代り映えのない明日が来れば、それで良くなった。
そうなってから、夜に暗闇を見て「飲み込まれるんじゃないか」っておびえることはなくなった。
近くにいる人間が、いつか私のもとを離れていくんじゃないかって不安もなくなった。
自分の体を痛めつけることも、一人で赤子のように大泣きすることもなくなった。
良くなったはずだったのに、ダメだったのかもしれない。
久しぶりに友人と話したとき、「昔より物事や刺激に鈍感になった」と言っていた。
私も、大きく頷いた。
いつからか、周りに対する感情が薄れてて、そして自分自身にも・・・。
いつか私は、隣にいるパートナーが人型の何かになっていても、なんとも思わなくなってしまうんだろうか。

よく見る自己分析とか、私を形成するものとか、本当に嫌いで。
何もない。全部なくしたかった。
私が好きだったもの、全部なくしてきた。
耳なじみの良い曲も、肌触りの良い服も。
あれやこれやと家族の縁を感じて、全部捨ててきた。
新しく紡ぐ何かにも、家族を感じて気持ちが悪くなる時がある。
いまだに、人に否定されるのは嫌いだ。
もちろん、私が間違っていればだけど。
言論の自由を解いておきながら、そんなものはない。
独裁国家で生きた私は、戸籍を抜けても幸せにはなれませんでした。
人を叩いたって、物を壊したって、何も満たされるわけない。
私は幽波紋使いじゃないので、壊したものは治せるわけもなく。
もちろん、人の心も。
私が暴れれば暴れるほど、家族は私を家に縛り付けた。
何度も家出や夜遊びをしたけど、門限が厳しくなるだけ。
行動が制限されるだけ。
何も気づいてない。何も気づかないんだ。
25歳にもなって、私はいつまで過去の私のトラウマと、家族につけられた傷を撫でながら生きていくんだ。
みんな、私をできた人間だという。
なんでこんな所にいる?と、言われる。
自分に才能が有ったら、こんなところにいないだろう。
自分に希望があったら、夢があったら、もっと素早く行動できるだろう。
全部一緒に捨ててきたから、何もできない。
私には何もなくて、なのになんで、私を好いている人がいるんだろう。
空っぽの私が珍しいのか、空っぽだと気付かせないように取り繕う私が好きなのか?
わからない。
そうやってまた、今日も、酒におぼれる。
煙草だけは我慢するから、それだけは許して。

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